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欠けてる方がいい | 庵野秀明展 in 国立新美術館

東京ヤクルトスワローズが日本一になった一週間後の土曜の朝、小田急線・梅ヶ丘駅に降り立つと友人を見かけたので「A子〜〜〜!」と呼び掛けるもよく見ると別人で、しょぼくれながら駅から徒歩数分のグラウンドに行き、年1回ペースで幽霊マネージャーをしている社会人野球チームに合流しようとするもなかなか見つからないと思ったらチーム名とユニフォームが一新されていて「そりゃ見つからないわ」と浦島太郎状態になるも気を取り直し、「ナイバッチ〜」「2アウトだよ〜」と適度なガヤで盛り立てた試合は6対4で勝利、祝杯をあげるべく中華料理屋さんに入って白ワインと蟹チャーハンを頼むも、優先的にお願いしたチャーハンがなかなか来ず、焦りは募り、ようやくやって来た頃には焦りマックスだったのでチャーハンを勢いよくかき込み、「お先っ!」とお店を後にし、梅ヶ丘の駅へと走った。

なぜ蟹チャーハンをかき込んだかというと、東京・六本木にある国立新美術館『庵野秀明展』の事前予約チケットの入場時間が迫っていたからである。

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世田谷美術館の『グランマ・モーゼス展』が気になっているというタクシー運転手さんが的確に国立新美術館に向かってくれたおかげで、数分遅れにはなったけれど、展示室にすんなり入ることができた(行こうかな、『グランマ・モーゼス展』)。

入るとすぐ、特撮スタジオにありそうな書き割りに飾られた庵野氏の肖像画が出迎えてくれた(素敵な演出!)。

【庵野秀明をつくったもの】【庵野秀明がつくったもの】【そして、これからつくるもの】という大きく3つのコンセプトで構成された展示。

最初のゾーンでは、【庵野秀明をつくったもの】として庵野少年が敬愛する作品たちが並んでいた。視界いっぱいに広がる模型、ミニチュア、アニメ、マンガ、イラスト。圧巻のインプット量。

気になって、足が止まった作品 ↓

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中学・高校時代に描かれた油画も飾られていた。

私は、巨匠たちの研磨される前の絵を見るのが好きだ。というか、「当時こんな風に褒められたんだろうな」「褒められてどんな風に感じたのかな」と想像するのが好きだ。

ものづくりをしている人はだいたい、誰かに絵を褒められた原体験があると思う。

私も地元・名古屋での小学生時代、当時 絶賛建造中だったナゴヤドーム(現バンテリンドーム ナゴヤ)を描いた風景画を先生がベタ誉めしてくれて、みんなの前に飾ってくれた光景を今でもはっきりと覚えている。
「この絵はね、本当にいいね。すごいね」。先生の言葉ととともに表情も思い出すことができる。大人になってわざわざnoteに書くくらい、自我に影響を与える原体験だった。

でも、庵野氏は「褒め」にそこまで影響を受けていないように感じた。

確かな画力で、少しの甘えもなく描き込まれた油画。中学校時代の賞状や盾も一緒に並んでいた。きっと「天才的に絵がうまい」とか手放しで褒められただろうに、「褒め」に浮かれていないストイックさを感じた。

褒められることより優先される何かが、すでに庵野さんの中にあったのだと思う。根っこから「つくるひと」なんだろうな。



さて次は、エヴァゾーン。放送開始時のポスター、こんなのだったのか!と、思わずパシャリ(すごいキャッチフレーズだな)。

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私は中学生の時、エヴァと出会った。シンジくんも中学生だった。震えるくらいの衝撃体験だった(1997年にテレビ愛知で再放送されたテレビシリーズを観たと思う。「21世紀に間に合いました。」という岩崎俊一さんのキャッチフレーズのもとTOYOTA・プリウスが生まれた年だ)。

すごいもの、観ちゃった。子どもながらに思った。

当時としては隠キャの主人公というのが斬新で、中二病 真っ只中だった私には刺さりまくった。

「僕は子どものころから
 ロボットとか描くんですけど 
 必ず腕とか足が無いんですよね

 壊れて取れてるのが好きなんで

 どこか欠けてる方がいいと思うのは
 僕のおやじが足が欠けていたからかなと
 今思いますけどね」

2021年にNHK総合で放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀・庵野秀明スペシャル』で庵野氏が語った言葉だ(Amazonプライムで再編集バージョンが観られます)。

庵野さんのお父さんは、事故に遭い、片足がないという。欠けているものが日常にあって、しかもそれが自分の親だった。ロボットに惹かれたのは、父親を表現できるからかもしれない。そう語っている。

エヴァはアニメ作品としてもちろんめちゃくちゃ素晴らしいのだけど、加えて、どこか自分が肯定してもらえたような心強さも感じていた。それは「欠けてる方がいい」という庵野氏の思想が伝わったからかもしれない。

「欠けててもいい」

「欠けてる方がいい」とまでは言いきれなかったけれど、「欠けている自分でもいいんだ」とすこし思えたように記憶している。当時、隠キャという言葉はなかったけれど「隠キャでいいんだ」と。

特に女子は、人によってキラキラ発光が増し出す中学生時代。流行りに詳しかったり、男子から人気があったり、お化粧やお洋服の感度が高かったり。そんなキラキラとは無縁で、教室のすみっこで絵を描いている地味な自分を(地味なのに自己主張は強いから困る)、ギリギリのところで肯定しながらその時代を乗りきっていった。



『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のミニチュアも飾られていた↓

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「えっ、もう2時間も経ってる」

近くにいた若い男女が、腕時計を見て驚いていた。ハッとして私も時計を確認すると、見始めてからすでに1時間半が経っていた。

広〜いエヴァゾーンに加えて、ナウシカやトップをねらえ!、シン・ゴジラにキューティーハニーなどなど。繊細な原画、作画資料、庵野氏がスタッフに宛てた熱量の高い文章などなど……。じっくり観たい作品ばかりが並んでいる。しかも作品たちが記憶の呼び覚まし装置になっているから、思い耽って歩調もゆっくりになっていく。

ようやく辿り着いた最後のゾーンでは【そして、これからつくるもの】として、『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』など新作たちの紹介がされていた。エヴァが完結してもなお、ワクワクを届け続けてくれる庵野さんには感謝と尊敬する気持ちしかない。

「この絵はね、本当にいいね。すごいね」

小学生の時に褒められた絵は、だんだん褒められなくなっていった。理由は明白で、私以上に褒めるべき絵の上手い人がたくさんいたからだ。

自信をなくしたし、自身の描写力のなさを自覚したけれど、つくることをやめたいとは思わなかった。単純につくることが好きだし、記憶力とかコミュ力とか、自分に欠けているものをつくることが埋めてくれたから。

「欠けてるのも悪くない」

今では、そう思う。私も欠けているけど、周りの人だって欠けている。たとえば言い間違いは「間違い」だけどその場をホッコリ和ませるし、不器用な人には不思議と愛着が湧く。欠けているって人間らしい。完璧じゃなくて泥臭くて誰かの力を必要としていて。それでいい、って思う。

展示室を出ると、六本木の空は暮れ始めていた。かき込んだ蟹チャーハンは、すっかり消化されていた。

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『庵野秀明展』東京展:国立新美術館
2021年10月1日〜12月19日(閉幕)

【巡回展】

大分展:大分県立美術館
2022年2月14日〜4月3日

大阪展:あべのハルカス美術館
2022年4月16日〜6月19日

山口展:山口県立美術館
2022年7月8日〜9月4日

※2022年1月17日現在。追加巡回を調整中のようなので公式サイトにて最新情報をご覧くださいませ!


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