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生理で泣きそうになった日 | 1/3

「あー、これはおっきな病院で診てもらったほうがいいね」

紹介状書くね。近所で評判のレディスクリニックの美しい女医さんは、私の目を見ながらやさしく言った。

え? どういうこと?

私、青森旅行したかっただけなんだけど?


・・・


当時26歳だった私は、名古屋の広告制作会社でコピーライターをしていた。マスクをしないと出歩けない未来がやってくるなんて1mmも思わず、実家でぬくぬくと暮らしつつ、鼻息荒く仕事に励んでいた。

ひとり旅がマイブームで、青森県にある太宰治疎開の家(旧津島家新座敷
で生前に太宰治が執筆していたという部屋に入り、太宰パワーを浴びたい。そうしたら私のコピーもちょっとは上手くなるかも、なんて他力本願なことを考えながら青森旅行を計画していた。

名古屋から青森への飛行機チケットを取ったあと、旅行期間と生理期間がまるっと重なってしまうことに気づいた。これでは温泉に入れないじゃないか(陸奥湾沿いにある浅虫温泉に立ち寄る予定だった)。生理を遅らせるべく、ピルを処方してもらうためにレディスクリニックへ足を運んだら、冒頭のような事態になったのである。


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「もしもし、お母さん?」

診察後の帰り道、私は母へ電話をした。ドキドキと波打つ胸の音が母に伝わらないようにと、慎重に息を整えてから話し出した。

卵巣に腫瘍らしきものがあるみたい。
たぶん悪いものじゃないっぽい。
おっきな病院に行った方がいいらしい。

「みたい」「たぶん」「らしい」。曖昧な言葉を連発した。そりゃそうだ。おっきな病院で診てもらわないとハッキリしたことは言えない。婦人科の病気に罹った経験のある母は、落ち着いた声で「うん、うん」と聞いてくれた。その声に安堵して、ふと油断した目頭が熱くなったけれど、目に力を入れてその微かな液体を引っ込めた。


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両側卵巣腫瘍。

それが正式な診断名で、「腹腔鏡(ふくくうきょう)手術」というお腹を大きく切らなくていい手術をすることになった。

ふたつある卵巣の両方それぞれに約3〜5cmほどの腫瘍があり、おそらくガンなど悪性のものではなく良性である可能性が高いということだった。今は痛みなどの自覚症状はないけれど、放っておくと腫瘍が大きくなり症状が出る恐れがあるという。すぐに手術と入院日が決まった。

私はそれまで、入院や手術をした経験がなかった。

ありがたいくらい健康体で、保健体育の教科書に載っていた「成長期になると女性のからだは丸みを帯びる」という記述通り、成長期には丸みを帯び、生理は28日周期できっちり訪れ、オリンピックと同じく4年に1度しか風邪をひかず、朝と昼と晩にはお腹が減った。病院との縁といえば、アトピー持ちなので皮膚科に通っているくらいだった。

だからなのか、それとも雑な性格のためなのか、「手術が不安」というレベルにまで考えが行き着かず、「想像がつかない」という場所にとどまっていた。早期に見つかったことへの感謝の念に乏しく、仕事を二週間も休まなければいけないことにただただ気が重くなっていた。

入院に一週間。その後の自宅療養に一週間。合計二週間。ああ〜。コピーをもっと頑張りたいのに。ただでさえ遅い成長にブレーキがかかるなんて。ああ。職場復帰した時、もしも私の仕事がゼロになっていたらどうしよう。

そんな不安をかき消すように、勤め先の上司や先輩たちは安心して療養期間が過ごせるように協力体制を取ってくれた。あたたかい言葉ももらった。私って、本当に自分勝手でアホで欲望の塊だなと反省した。しっかり治して、ここに戻ってこよう。


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手術前日、入院をした。

入院先は、実家から歩いて3分(近ッ!)の総合病院。近いだけじゃなく、家族がお世話になったこともあって、子どもの頃から馴染みのある病院だ。ただ、自分が「患者」として院内に入るのは初めてだった。

母に付き添われてロビーに入ると、大人、おとな、オトナ。自分も大人だが、もっと成熟した大人たちで混み合っていた。コロナ禍の今だと考えられないような、混み具合。職場のある栄(名古屋が誇る繁華街。東京でいう渋谷とか新宿的なところ)に比べると、人々の動きがゆっくりで、一歩一歩噛み締めるように歩いている人が多い。

今、ここにいること。

その価値に気づいている人の数が、栄よりも多い。そう感じた。

案内された産婦人科病棟の4人部屋へ。入り口すぐの一角が、これから一週間の私の住まいだった。入院初日のメインイベントは、手術と麻酔の説明。


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腹腔鏡下卵巣腫瘍摘出術。

うお。漢字が十一文字も並ぶ、手術名。「腹腔鏡下・卵巣腫瘍・摘出術」という区切りだろうか。

お腹に小さい穴を数カ所あけて、小型カメラや器具を入れ、モニターを見ながら行う手術を「腹腔鏡」と呼ぶ。私の患部はお腹の下あたりの卵巣なので、「腹腔鏡下」と「下」が付いている。

腹腔鏡はお腹を切る必要がないので、傷が小さく、術後の痛みも少ない。

担当医のK先生はとてもわかりやすく説明してくれた。その後、麻酔科医の先生の説明も受けて(点滴から麻酔薬を入れるようで、痛みはなさそうだった。ホッとした)、本日やるべき全行程が終了した。

母も帰り、暇になったのでブラブラと院内散策をしたり、ウトウトと昼寝をした。表面上は病人じゃないのに、病院のベッドにいるのが落ち着かなかった。

ソワソワしていると看護師さんがやってきて、手術の準備としておヘソ掃除(ゴマ取り)と毛の処理(陰毛剃り)をしてくれた。なんと。こんな行程がのこっていたとは。

初体験だらけの入院初日の日は沈み、眠りについた。会社の先輩からプレゼンに勝利したというメールが来ていた。


つづく


※同じ病名であっても症状などは人それぞれ異なるため、医学的な参考にはされないようお願いできると幸いです。違和感や不安があれば、ぜひ検診を。


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