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「つづく」という姓を持つ私が、つづく展に行ってみて。

「つづく」という名字が、ずっと苦手だった。

「都竹さんの展示がやりますね」

昨年(2019年)の10月頃だったか、会社で後輩が声を掛けてくれた。

「え?」
「ミナ ペルホネンが“つづく”っていう展覧会をやるみたいなんですよ〜!都竹さんの“つづく”ですね!フライヤーもめっちゃかわいくて!」

そのフライヤーがこちら。写真がない文字だけのティザー期フライヤーも存在してますが、こちらは展示会場でいただいたもの。デザインは葛西薫さん!

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ティザーは下記リンクから見れますね。
東京都現代美術館 プレスリリース



minä perhonen(ミナ ペルホネン)はデザイナー・皆川明さんが1995年に前身である「minä」を設立し、2003年にブランド名が「minä perhonen」に改められたファッションブランド。

(ちょっと前に仕事の企画打ち合わせで「ミナ ペルホネン」の名前が出たとき、女性陣は声を揃えて「「「好き!!」」」となったけど、男性陣がブランド名も知らないような感じでポカンとしていたのが印象的だった。てっきり私は「ミナ ペルホネン」がシャネルくらい有名なのだと思い込んでいた。そう思い込むくらい、身近というか、特別なブランドだと考えていたのかも)

ミナのお店やインスタをたびたび覗いては、いつかずっと大切にできる1着を見つけたいなと思ってる(そして今はまだその時期じゃないと思ってる)、私にとって付き合い方がすこし特殊なブランド。

後輩に教えてもらってすぐ、手帳に「つづく展 東京都現代美術館 2019年11月16日から」と書き込んだ。

「つづく」という名字が、ずっと苦手だった。

“めずらしい(もしくは読みづらい)名字あるある”だと思うけど、「読み間違えを訂正する」のが地味にイヤだ。

「つづきさん」「みやこたけさん」と呼ばれるたび、「すみません読みづらくて。都竹(みやこたけ)と書いて“つづく”と読むんです」と、謝りながら伝える。相手は「あら、すみません」と恐縮する。いやいや、あなたも私もわるくない。

最近、都竹姓になった義姉が「玲子ちゃん、都竹って名字、いろいろメンドくさいね!100均にハンコないし!(笑)」と言っていて、そうなんだよ〜!!とめちゃくちゃ頷いてしまった。

小学校のクラス替えのときが、サイアクだった。

新しい担任の先生が出席をとるとき、決まって私の順番になると言葉に詰まった。しんとした教室で、読み間違えられるのを待ってから「つづくです」と訂正する。

内気な小学生だったから、ほんとうに恥ずかしかった。なんで私の名前は山田さんとか鈴木さんみたいにポピュラーな名前じゃないんだろう。

それから10年以上経って、私はコピーライターになった。

忘れもしない、コピーライター2年目くらいの夏。コピー賞の打ち上げで、とある有名コピーライターさんと名刺交換したら、言われた。

「都竹さんって、いいお名前ですね」
「え?」
「ご縁が続きそうで」

え? え? え?

私はびっくりした。

当然、「続く(コンティニュー)」の意味にもなることは分かっていた。
でも、小・中学生のとき、クラスみんなで道徳の時間に『中学生日記』(調べて見たら、NHK名古屋放送局制作らしいので東海圏以外の方はご存知ないかも?名古屋市にある私の出身小・中学校では、クラスみんなで見る時間があったり、出演者が本物の素人中学生というスタイルだったから同級生が出演してたりする、いま考えるとなかなか興味深いドラマだった)を見ていると、最後にドラマが続くという意味で「つづく」のテロップが出て、毎回男子に冷やかされた。

だから、「続く」という意味と自分の名字をあまり関連付けたくなかった。というか、ポジティブに捉えることができなかった。

『いい名前』
『ご縁が続きそう』

自分で気づいてもよさそうなのに、この言葉をもらうまで“いい名前”だと気づけなかった。

すごくうれしくて、私は「つづく」でいいんだ、と思った。

この名前を大切にしよう。
この名前と生きていこう。

大げさかもしれないけど、世界がひっくり返るくらい、ほんとうにうれしかった。

都竹(つづく)という名字が好きになった私。

手帳に書き込んだ「つづく展」の開催日がやってきて、清澄白河にある東京都現代美術館へ向かった。冬の、冷たい空気が心地よい日だった。

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ぼーっとしていたら「つづく展」を観てから1年も経ってしまったけど、このnoteを書いている今でも思い出せる情景がたくさんある。

ミナのお洋服を着た、すてきなひとが大勢いたこと。/とにかくかわいくて、きゅんきゅんしたこと。/ミナの服と暮らす方たちの映像、ずっと観れちゃう。/テキスタイルのもとになるスケッチをガン見したこと。/「森」とか「種」とか。展示室の名前もミナらしい。/川上弘美さんの小説の挿絵を描いていらしたんだ!/宿泊施設もつくってるんだ!/ミナ ペルホネンの体内に入っているような感覚。/展示会場がまとう空気がやさしい。

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最後のほうに、長年愛用されたミナの服と、その思い出が展示されている部屋があった。実際にお客さまから借りた服だそう。

コピーの神さま・仲畑貴志さんの名作コピー「服を脱がせると、死んでしまいました。」(ワールド / 1986年)が頭に浮かんだ(ちなみに、このコピーをはじめて知ったときは衝撃だった)。

服は、ただのモノじゃない。

記憶が重なることで、家族や友達のような存在になっていく。自分の味方であり、一部になってくれる。

ミナの服は、そんな付き合い方がしたくなる服なのだろう。私がいまだに見るばっかりで買うことができない理由もそこにあるのかもしれない。

そして、
「せめて100年つづくブランドに」という言葉。

「せめて」が、すごくいいなと思った。

「かならず」「絶対」という言葉以上に、「絶対」感が伝わる。謙虚なようで、ものすごく強い意志がひしひしと伝わってくる。

ミナ ペルホネンというブランドが続いていくこと。その服を着た人たちの人生が続いていくこと。その人生がつながって、重なって、循環して。

そうしてミナの精神が循環していく世界は、想像するにとても美しく、心豊かになれそうだ。

もうすぐ35歳になる私は、年齢を重ねたことで「つづく」の価値に気づきはじめている。

若さもいいけど、老いもいいやん!

腐れ縁の友達と20年以上の付き合いになっていたり、だからこそ話せる話があったり。日本の都道府県の半分くらいは旅行できたし。失敗しまくったことを改善して、うまいことやれるようになれることが増えてきたり。自分がほんとうに好きなものがわかってきたり。

私は器用に生きれるタイプじゃないから、年齢を重ねながら、自分を学んで、他人を学んで、ちょっとでもたのしくしあわせに暮らせるように、コツコツ調整しながら生きている。

私が子どもの頃、50代になった母が「ここまで生きてきた自分を褒めたい」と言っていたことがあって、当時ピンと来なかったけど、今はなんとなくわかる。

自分を続けるって、すごいこと。

私の「つづく」も、あなたの「つづく」も、いい「つづく」になりますように。

ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく

東京都現代美術館
2019年11月16日 - 2020年2月16日【終了】

兵庫県立美術館
2020年7月3日 - 11月8日【終了】

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