たまに思う、私は愛を知ってるって。
愛するということに長けていると思う。
きっと母から目一杯愛情を受けて育ったからだと思う。

学校に行く前は「あれは持った?これは持った?」と気にかけてもらい、何か物を無くせば「ここにあったんじゃない?」と教えてもらい、「今日は寒くなるから分厚いコートを着ていきなさい」って、「朝ごはんは食べないとダメ」って、「今日の宿題は持ったの?」って、沢山沢山気にかけてもらった。

世話のかかる子どもだった。

家に帰ってきたら「今日は何があったの?」と話を聞いてくれた。
一部始終話し終わるまでね。
大人になってから気づく、私にあんなに話をさせてくれる人はとても少ないということ。
あんなに興味を寄せてくれる人はなかなかいないということ。

そんなお母さんにありがとうを伝えたくて、私と妹はよく誕生日にサプライズをした。
部屋を締め切って、「絶対に覗かないでね」って言って部屋を飾り付けした。
2人でピアノを練習して歌を練習して手紙をしたためる。
そうして決めた時間になったら締め切っていた部屋を開けてお母さんをソファに座らせ、私たちの「お母さんありがとう」の会が始まる。

はじめのことばもあるよ。
「今日は母の日です。いつも頑張っているお母さんに今日は私たちの気持ちを伝えます。それでは始めます。」

大体手紙の朗読をするとお母さんは泣いた。
お母さんは私たちの前でいつも強かった。
私たちの前で泣いたことがあるのは嬉しい時だけだった。
本当は弱い1人の女の人だった。

お母さんは私にとってお父さんでもあった。
いつだって頼るのはお母さんだった。
感情的で理不尽なことにも怒って、手をあげる父を嫌っていた私の味方をしてくれた。
私たちのために離婚はしなかった。
衝動的に仕事をやめてしまった父を捨てなかった。
ギャンブルにはまってしまった父を見捨てなかった。
今でもそんなに人として大人ではない父の面倒を見ている。

面倒見のいい母は今誰のために生きているんだろうね。
多分自分のための人生を歩むのではなくて人のために尽くすのが好きな人だ。
妹が家から出たら母はどうなるのか、それは誰にも想像がつかない。
でも必ず来る未来。

私と離れて暮らすようになってから母の頭はどんどん固くなった。
今の母には私の暮らしや生き方を許容する思考ができない、だから距離をとっているけれども自分でその思考を変えることはたぶん無理だろうから、私がしかるべき時にしかるべき方法でコンタクトをとるようになるんだとおもう。
タイミング的には結婚の時かな。

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