心なんて死ね

感情を揺さぶり続けるものを急に全て切り捨ててしまいたくなるときがある。
感情は良い方向に動いていれば仕事のモチベーションになったり、いいこともあるのだけれども。
そうでない場合には仕事の効率が落ちてしまう。

以前までの私なら仕事より感情を優先してしまった。
というか感情の整理がつかないと仕事にも手をつけられなかったりした。
けれどももうそうはいかない。
仕事で進んでいるプロジェクトがあって、それが自分の人生でやりたいことの一つで、凄まじい引力を持っている。
それをするために私は強くなりたいと思っている。

抽象的なのは百も承知だけど、
多少自分の人間的な感情を捨てなきゃいけないときがある。
最近辛いことがありすぎて、そして自分のことは自分でやれとすごく苦手なことばかりやる毎日で、感情を殺さないとやっていけなかった。
感情を殺すことを覚えた。
どこか冷たくなっていくんだと思う、これからの私は。
自分と組織の利益と、人の利益というのを切り分けて、人の幸せを願っていたけどもうそういう考え方を心の奥にしまいこむようになるんだと思う。

自分を守るために本当はしたくない金勘定をし、忖度をし、空気を読み、自分の感情に蓋をした。
感情をぶつけ合うような、心と心を触れ合わせるような会話が少なくて、私が発することばに返ってくることばがなくて、月日が流れる。
流れる月日の中でも私の中ではずっと感情をぶつけられるのを待っていた。
でも、世の中はそううまくもいかないみたいだ。
支離滅裂ですらあるかもしれない。
自分の感情を論理的に説明するのはすごく難しい、自分の行動だって。
ちょっと衝動的にもなっている。
本当はなりたくない性質に体から近づいている感覚なんだ。
感性を失わないとやっていられない、感情に正直すぎて自分が子供すぎて、このままじゃきっと生きていけないんだろうなと悟った。
心を殺さなきゃいけない。

お金の管理が苦手だからお金の勘定をしているときは心が荒む。
批判されることが苦手だから批判されると心が毛羽立つ。
でもそういうのに打ち勝っていかないとたくさんの人を将来救えるようにはならないんだろうと思う。
心を鬼にするというのはまさにこの感覚なんだなという気すらしている。

これまでは自分の利益はそっちのけで生きてきた。
自分が損してもいい、誰かがそれで幸せになれれば、と。
だけれど自分が利益を得てそれを循環させてそれによりプラスになる部分を大きくしていった結果、誰かのために、より多くの人のためになるなら、自分が利益を得ることも積極的にしていくようにしなければならないと思うようになった。

と同時に、

一方通行の感情表現に疲弊した。
軽視されるのも、必要とされてると思われるのもなんだか悔しくなった。
自分の身を守る時の私は恐ろしいくらいに無表情で、声に抑揚だってない。
でもいいんだ。

気持ちは受け入れられないと、ずっと感情を無視されてばかりいると私はこうなるんだ。

もう感情なんて捨ててやる。
死ね、感情なんて。
振り回してくる感情なんてなくなっちゃえばいいんだ。
大っ嫌いなんだ、私を弱くしようとしてくる感情なんて大嫌いなんだ。
どうでもいいんだ。
離れたいんだ、もう、誰のためでもない自分のために。
勝手にいろんなことを考えて勝手に疲弊するの、ばかみたいだ。
ひとのことを思いやることなんてやめてしまえばいいんだ。
大嫌いなんだ。
感情がなんだよ、感性がなんだよ、辛いんだよ、ばか。

怒りばかり。怒りでいっぱい。
大嫌いな心から解き放たれたいのに首輪がついていて離れられない。
助けてよ
だれか助けてよ





もう知らないどうにでもなればいい。
こんなことをかいてる間も頰に伝ってくる涙がいいたいことはわかってる。けどもういい。無視する。自分の感情なんて無視する。
心のことばっか考えていてもどうせ、仕方がないんだ。
どうせ私のことばは信じてもらえないんだ、目に見えないもので、だから軽視されるんだ。
いいよ、なら見えるもので成果を出せばいいんでしょ。
目に見えるものがすべてなんでしょう。

そんな世の中に順応してやるよ。

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