いいねされなくても、わたしの感動は尊いって忘れないように
先日、とある彫刻家の作品展を見に行きました。
どの作品も本当に命が宿っているような力強さとメッセージ性。
それに加えて、私は展示の一部として飾られていたその作家の、創作に対する姿勢を表す言葉が心に響きました。
適当にかっこいいことを言っているんじゃない、この人は本気で「そう」なのだということが、作品からビシビシ伝わってきてめちゃくちゃ説得力があったからです。
同時に、創作に限らず私が苦手なこと――素直に観察する、自己流で曲げない――を地道に手堅くやった結果があの作品群……!
ははーっ!とひれ伏したい気分でたっぷり作品を堪能し、会場を出ました。
そして気持ちが昂ぶるまま、作家の言葉や私の感想をSNSに投稿しました。
思ったことをアウトプットし、その文字を見ることでまた自分の中にインプットし直して焼き付ける快感。
それで済んでおけばよいのですが……
いやもう、SNSって本当に向き合い方が難しいですね……
展覧会に行ったよー!よかったよー!という投稿にはいいねがついたのに、私の感想にはいいねがつかない。
べつに誰かの反応を求めて投稿したわけではありませんでした。
楽しかった、とっても素晴らしいこと学べた、という自分の気持ちや考えをまとめただけです。
なのに……もやっとするんですよね……
私の感想はどうでもよかった?みたいな。
でも、よく考えたらどうでもいいと思います、ほかの人からしたら。
それが普通です。いいねがついた方が、共感してくれる人とのちょっとした奇跡の出会いがあったというようなものです。
せっかくいいものを見ていい気分になっていたのに、反応がなかったことでその気分もしおしおとしぼんでしまいました。
だけど、そのもやもやをジャーナリングしたら、誰からも反応がなかったことと、私の感動が私にとって大切なものだということはまったく別の話だと気がつきました。
そうしたらまた「行ってよかった」「あの人の言葉は私の中でも大切にしよう」と思えた。
今はたいていどのSNSにも「いいね」の仕組みがあります。これ、つけば嬉しいけど、なかったら本当に惑わしてくるなぁ。
その数に左右されないためにはちょっと心がけが必要だなと感じました。
目に見える人からの評価は、目に見えない「私を潤すもの」の大切さの指標にはならないと、ちゃんと覚えておくこと。
自分の大事なものは自分で大事にすること。
そういう考え方で、SNSへのアウトプットを楽しめたらいいな。
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