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正常じゃなかった

ここ半月ほど毎日何をするにもやる気が出なくて、作った料理は腐らせるし課題は溜まるし授業には行けないし部屋は片付けないし洗濯はしないしみたいな怠惰な生活に陥ってしまった。

毎日の生活を正しく真面目に回し続けることの難しさと、自分の欲求から離れることの大変さ、我慢することへの耐性の無さを実感した。起きたくないなら起きなければいい。片付けたくないなら片付けなければいい。勉強したくないなら勉強しなければいい。未来の自分に任せればいいを繰り返した。でもその「未来の自分」もまた同じ自分だからそんな後回しのツケを返せるほどやる気に溢れている訳もなく、日常の全てがギリギリ間に合っていないまま日々だらだらと生活していた。

特に眠気が凄くて、毎日15時間以上眠っているのに全く眠気が収まらない日が1週間以上続いた。正確に診断されていないから適当なことを言うのでご容赦願いたいがあれは過眠症のようなものだったのではないかと思っている。軽度の鬱みたいな日々だった。

直近の2、3日でようやく過眠状態から抜け出してしっかり物事を考えられる状態に戻ったので、こうなってしまった原因と今の自分について考えたことをメモ形式で残しておく。
かなり長くなったけど自分のための言語化だから許してください。



自分は自分のためにしか頑張れないと思っていたが、実際はそうではないような気がする。本当に自分のために頑張れるのであれば自分を雑な扱うような適当な行動は取らないはず。私は自分のために頑張るのに向いていないのかもしれない。20年間ずっと勘違いをしていたかも。未来の自分よりも今の私のわがままの方が大切。明日の私と今日の私をまったくの別人と捉えている。眠る前は毎日ベッドの中で明日の私は頑張ってくれるはずだと期待してしまっている。そして過去は過去で変えられないのだという事実を重要視しすぎているため、無意識のうちに昨日までの日々を反省することを無駄だと考えてしまっているような気がする。過去のことは悩んでも無駄であるという考え方で前を向くのは精神的に一時的に健康になるかもしれないが、長期的に見れば過去をふりかえって反省する行為は精神の安定に大きな役割をもたらすのでは?

自分の「まだ寝たい」の欲求が他の人よりも強いのか、ただの極度な夜型なのか、私が自分に甘すぎるだけなのかが分からない。睡眠以外に関しても、自分が持つ「やりたくない」の感情から逃れられないのは私の弱さが原因なのか、それとも私の「やりたくない」が強すぎるのか、私の中に「やりたくない」を断ち切るための方法と経験が無いだけなのか。これをやらないと後で困ることになる、という危機感は私の中にはまだ備わっていなくて(前述の通り未来の自分を全くの別人と捉えているため)そこに大きな原因があると考えた方がいいかも。生活は地続きであり、未来の私もまた今を生きる私であることへの自覚が足りない。

自分は空っぽな存在であることを改めてしっかり自覚した。何にでも興味があって色々なコンテンツに触れて、まるで自分が何かを知っている中身のある人間であるかのように勘違いしていた。私が本当に好きで大切にしたいものはなんなのか、なぜそれが大切なのかを見つめ直すべきであり、そして興味無いものは興味無いと断ち切る勇気を持つべきである。自分が何にお金をかけて何になりたいのかを考える。全てやりたいし全てできるようになりたいと思っても順序を立てないと駄目で、その場の欲望のみで動くのは健全でないし結局なのもできるようにならない。これに気づいたのは、もし自分がアイドルになって自己紹介をするとしたらどうするかを考えたことがきっかけだった。グループに新加入するメンバーはファンに覚えてもらうためのキャラ付けをし、そのためにインパクトのある趣味や特技を披露する。もし、私がそのような立場に置かれた時にできることってなんだろう。長年続けてきたこともなければなにかに熱中して詳しくなったりしたことも特に無い。いや好きな物はあるしちゃんと詳しいジャンルもあるけど私が求めているのは多分そういうことじゃなくて、自発的な趣味というか自分だけで成り立つ物だと思う。コンテンツを消費する立場じゃなくて、スポーツとか芸術とか勉強とかの行動の類い。何もしていない、空っぽな人間であることを自覚できただけマシだと思っていいな。ソクラテスみたい。

勉強は出来ないのに何もしないということも出来ない。そんな中でTwitterだけが不自由なくできるのは何も努力しなくても頭の中に情報が流れ込んでくるからかもしれない。頭の中になにか新たな情報を流し込みたいが、自分の頭を働かせることはしたくない。本を読むのも文章を理解するために頭を使うので厳しいが、ツイートの文章量だとそのツイートが画面に表示されるだけで画像のように情報を取り込むことが出来るのでスワイプするだけでどんどん情報が入りこんできて、それが気持ちいい。そしてその状態には基本的に暇がない。YouTubeなどの動画には基本間があって酷いときはその間ですら耐えられない時があるためYouTubeも見れない日がある。暇な時間は自分が現実にいることを自覚してしまうから苦しい、だから暇から逃げたい。何も考えないようにするために何か外部からの情報で脳が満たされるような感覚を得たい。そんな私の欲求を手軽に満たしてくれてしまうのがTwitterなのである。ただTwitterを見たその時間に得た知識などないに等しく、少し面白かったかも~程度の感情しか私に対してもたらさず、その正の感情を上回る罪悪感がその後に襲ってくる。とても良くない。そして私は頑なにTwitterのことをエックスと呼ばない。

人にアドバイスをすることも求めることも無駄な場合がある。例えば、やる気を出すためのアドバイスを求めたとする。この場合はアドバイスを与える側はやる気がない状態から脱却して頑張れるようになった人で求める側はやる気がない状態から抜け出せていない人。しかし人によってやる気の大きさや方向、抜け出すための壁の大きさなどは違ってくるからそのアドバイスが効くことなど稀なのではないだろうか。やる気がない側はやる気が出て頑張れるようになった人間の言葉など、所詮結局その人は頑張れる人間だっただけなのだと思ってしまうのではないか。全てのことにおいて能力とかキャパシティには個人差があって、持つもの持たざる者がいて、アドバイスする側とされる側の能力やキャパシティが一致した奇遇なパターンにのみ、アドバイスは有効なのではないか。技術的なアドバイスになると少し話が違うとは思う。でも精神面的なアドバイスは無駄に等しいのではないか。

連れションって1人でトイレに行けないのわけじゃなくて1人よりも誰かと一緒に行く方が道中話せて楽しいからってこともある。日常のどうでもいいことに人を誘った時に誰かと一緒じゃないと行動できないんだって笑う側は時に愚かである。

凄い人の話を聞いても参考にしようと思ったりモチベーションに繋げたりすることが難しくなった。アドバイスの話と似たような話になるが、その人の能力(これには努力をする能力も含む)が優れていたのだ、もともとそのような人間だったから成せたことなのだと思ってしまうようになった。そもそもモチベーションってなんなんだ?なにか目標があってそれに向かって頑張れるかどうかというのは、その目標にどれだけ本気かどうかという初期値の話であって本気であるならモチベーションが無いなんて状態には陥らないのでは?もし急にやる気が出なくなったのならそれは疲れているだけでモチベーションはあるんじゃないか?でもきっとこの考えは角度を変えた精神論であって正しくない。人の心はそんなに単純ではないということはわかっている。そして私はきっと何も目標を持っていないから頑張ろうという段階にも立てていないのだろう。目標はあるのだがきっとそれは実現可能性がかなり低く自分でもどこか諦めている節がある。そしてその目標が達成できなかった時にきっと全く悔しくない。自分のために頑張ることが出来ない理由っておそらくここにある。私は精神のマネジメントが変に上手くなってしまっていて、過ぎたことを後悔しない。先程私は反省をしないと書いたがそれと同じ理屈である。過去を悔やむことをあまりにもしない、と書くと少し語弊があるかもしれない。過去は過去でも現在とかなり遠い過去(大過去と呼ぶ)のことは悔やむこともある。例えば高校生の時に部活をもっと頑張ればよかったな~みたいなことは全然思う。でもそれはきっと、その大過去の自分は自分と地続きの存在、同一人物だという自覚が薄れているから後悔できるのだと思う。他人事として後悔していると言えるだろうか。そして直近の過去、私として見れば大学に入ってからの自分は当事者意識がまだ残っているからかあまり後悔できない。まっとうに後悔してしまったら苦しいから、後悔しない。プライドの高さゆえなんだろうな~これ。自分を正当に攻めることがあまり出来ない。だから、例えば成績発表で単位を落としたことを知ったとしても、まああの頃の私には無理だったしあとからなんとでもなる、後悔しても過去は変わらないもんな~、で済ませてしまう。自分の本当の奥の奥の感情ではあの時もっと勉強していればと思っているのだが、そこを直視するのはあまりにも苦しくてプライドが傷つくので出来ない、というような仕組みだろう。ややこしい話になってきたのでもし読んでる人がいたら本当に何を言っているのかわからくなってきていると思う。申し訳ない。

自分の理想が叶ったことって無いなと落ち込む。でも私がお風呂入ってる時とかにしている未来の理想って妄想の域を出ていないんだと思う。でも自分ではあまりそれを自覚できていない。落ち込む前に理想と今のギャップを認識して行動するべき。

この年齢になってようやく自分の極度に出来ないことがわかってきたと思っていたが、そうでも無いかもしれない。きっとわかったつもりになるのはまだ早い、20にもなってないからね。

自分の感情をできる限り正確に言語化できるようになることは自分を知ることにも繋がるし相手に気持ちを伝える時にも有効だと思う。だから好きなものがなぜ好きなのか言語化することは自分の感情を知るためにも大事なことだと思っていた。でもそれに対して何故かどこかもやっとした気持ちがあった。好きな理由を言語化してしまったら、漠然とした好きに理由をつけてしまったら何か型にはめてしまったような、無理やり方程式に押し込めたような感じになってしまうんじゃないかという話を聞いてもやもやの理由がわかった気がした。どちらがいいのかはまだわからない。わからないままでもいい、という気持ちを持つことも大事という結論でいいのかも。

自分のする恋愛に関しては人に比べて興味のない方だと思うが少女漫画はかなり好きかもしれない。読んでいて幸せになる。少しだけ悲しいような不思議な気持ちにもなるが幸せの方が絶対値が余裕で大きいので結果大きなプラスになる。でも恋愛ドラマとか映画とかはあまり興味が無い。これに関してはずっと恋愛というコンテンツ自体に興味が無いからだと思っていたが、昔から少女漫画は地味に好きだった。私にとって恋愛ドラマや恋愛映画と少女漫画の違いってなんだろう。映像媒体自体があまり得意では無い可能性は大きい。それに加えてドラマや映画は全て俳優さんたちが演じているのだとメタ的な視点で見てしまうからでもある気がする。漫画の時点では演じているとかでも何でもなくただその物語の登場人物でありそれ以上でも以下でもない存在であるから物語を物語として受け入れられるのか?

テスト前はテストが終わったらあれもしたいこれもしたいと色々と考えてしまいがちだが、人生でその理想のテスト後が叶えられたことは1度もない。テストまであと約1ヶ月になってテストが終わったらしたいことを楽しく考えてはいるがきっと実行されることは無いのだと思うと虚しい。この1ヶ月をテスト後に能動的に動くための練習期間と捉えるのもアリかもしれない。というか、テスト前という響きで心が忙しいと勘違いしている気がするが、全然毎日5時間以上Twitter見てる気がするしこうやって2時間ほどnoteに文章書いてるしパソコン開く度にYouTube見てるし実際はかなり無駄に過ごしている。心が忙しいと勘違いしているのはだいぶ無駄だし勿体ない。時間を有効活用したい。

変わりたい時ってどうすれば変われるんだろう。きっと一日で全部理想になることはなくて、もがいたり苦しんだり我慢したりしなきゃ行けないんだろうけど、私にはそれができるのだろうか。ただ思考ばかりして、自分の特性と感情に言葉をつけて形にして理解した(つもり)になってもそこからどうすればいいのかを考えて動かなければ意味が無い。私はこれからどうするべきなのか。変わりたいけど変わるための努力なんてしたくないという最大限のわがままを持ったまま毎日生活していくのか。環境を変えるべきなのか、頑張る仲間を見つけるべきなのか。人生における正解なんてあとから振り返らないと分からないものなんだろうな、先に正解を見つけてその通りに動こうとしているから良くない。


色々と考えていたら1時間半くらい経っていた。
自分でもどうあるべきかわからない。自分のプライドの高さと行動力の無さと耐性の無さを自覚するべきであるということは何となくわかる。

とりあえず今月あるテストをこなして前期は単位を落とさないということを目標に掲げることにする。

ただ自分のために頑張るのは少し難しそうなので、親に成績が届いた時にちゃんと単位を取っているということで親を安心させられるように、そしてできるだけ良い成績で喜ばせてあげられるように頑張るという方向に気持ちを切り変える。

考え事で頭がごちゃごちゃしていてあまり物事に集中できなかったので文章にできて良かった、と思う。たぶん。
なんか最近聴きたい音楽もなくて見たい動画も無くて日常の中の空白に耐えられなくなってた。とりあえず今月は親のために頑張ってみる。学費を出してもらっているという状況でもあるしね。頑張るって自分には難しいなって思ったけど他人のためだと思ったら少しハードルが下がる気がする。暇は私の時間と精神を削るのでなるべく勉強で忙しくして暇を潰す感覚で生きてみます。


ここ最近は正常を保つのに必死だった、頑張っても正常を保てなかった。6月は低いハードルをこなすように、自分を認めながら他人のために努力したい。1ヶ月後自分に対しての考えがなにか変わっているといいな、成功体験が私の中に残っているといいな。では皿を洗って課題をやります。私、真っ当に毎日頑張るよ。

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