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[SNS中毒]落ちるところまで落ちるべからず

大学生になりたての頃、人々は大きな希望を胸にしている。

様々なまだ見ぬ未来を想像し、期待を胸に勉学や部活、バイトに勤しむだろう。

しかし大多数の人々は、大学生活もまた、これまでとかわらぬ普遍的な毎日であることにすぐに気づかされるに違いない。

決まった授業、中高より自由度が少し上がっただけの部活動、時間労働を提供するだけのアルバイト...

真新しい生活は初めの数ヶ月程度で、それに慣れてしまえば、これまでの日常と変わったことなど、ほとんどないことに気づく。

そこからは、最低限生きるのに困窮してさえいなければ、大半の大学生は堕落する

個々が様々な大きな夢を持っているはずだったにもかかわらず、周囲に蔓延しだす怠惰で思考停止な空気に同調しだし、より楽な方、受動的な方へと進んでいくことになる。

ある程度不自由のない生活をしている大学生は、皆そうなることが自然の摂理で定められているかのように、総じて同じ道を歩んでいることだろう。

そういった大学生は総じて、時間さえあればYouTubeを観る

もしくはSNSをひらく

YouTubeとは怖いものだ。無限に観ていられる。

SNSも、無限に居場所を与えてくれる。

僕は覚醒剤取締りと同じレベルで、今後の世界を思うなら、YouTubeやSNSを取り締まるべきだと力強く主張したいものだが、もうこれらは完全に人間社会と癒着し、切り離せない関係になっていることからそれは不可能に近い。

世の中から酒たばこを禁ずることと同じ、むしろそれ以上に難しいだろう。

YouTubeやSNSで時間を浪費している間、当本人は無気力な快楽を得ると同時に、強い自己批判をし続けているだろう。

なぜこんなことをしているのか。

自分には、もっと大きな目標があり(抽象的な場合が多いが)、その実現への一歩を日々積み重ねていなくてはいけない状況にあるだろう、今この時間は、その目標を達成するためのリターンをなにひとつ生み出していないどころか、能動的な思考意欲すらも失わせるものではないか。

という自己批判だ。

しかし人間は結局のところは一生物である。

三大欲求が常に満たされている場合(性欲についても、現代はなんの労力もなしに解消させることができる)、よっぽどのことがない限り、能動的に動こうとしないのだ。

そこで、そのような状況を打破するために、大半の人はこのように考えるだろう。

いっそのこと落ちるところまで落ちてしまおう

三大欲求を十分に満たせないような状況になるまで、自分を追い込めば、流石の自分でも動き出すだろう、と。

つまり、いっそのこと永遠にYouTube、SNSなどで時間を潰し、大堕落な生活までもっていき、生きる資金が底をつくまで続けてみたらどうかということだ。

しかし現状の社会の構図を考えて欲しい。

幸いなことに、現代の日本では、様々な社会保障も完備されており、落ちるところまで落ちたとしても、山籠りでもしない限り生命が脅かされるレベルまでは生活水準は落ちないのだ。

つまり、一度落ちるところまで落ちたとしても、案外死なないということがわかってしまう。そしてそこまで落ちた場合、永遠にそこから抜け出すことはできない

先にYouTubeやSNSなどのソーシャルメディアは麻薬と同様な存在であるという旨を記したが、一度そこまでどっぷりと浸かってしまったものは、いくら生活が悪化しようと、自分が生き続けることができるとわかってしまった以上、その思考停止な受動的生活からは、決して抜け出すことができないのだ。

生物はできるだけエネルギーを使わずに、欲求を満たしたい、と元来からプログラムされているものだからである。

もしも今、落ちるところまで落ちてみようか、と考え初めている大学生がいれば、それは全力でお勧めをしない

しかし人は実際に自身で経験しないことからは、なかなか学べない生き物である。

したがって僕は、万一この状況に陥ってしまった場合、どのようにすればその絶望的状況から徐々に抜け出すことができるのようになるのか。その糸口を、精神論的なものではなく、実践的な再現性の担保された解決策を、常に探し続けている。

もしも見つかれば、是非すぐにでも共有しようと思う。

ちなみに大学生活は人生で最も需要な時期であることは言うまでもない

ぜひ貴重に能動的に過ごしてほしい。

それではまた。



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