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作品ヒットの要因(1)「時代の空気」

物語をつくっていて、できれば自分の作品がヒットしてほしいと願う気持ちは誰しもあるのではないかと思う。

「ヒット」という言葉は「商業的な成功」を意味していることはもちろんだが、つくり手はそれよりも「多くの人に作品を読んでもらえた」「多くの人を楽しませられた」「多くの人が自分の作品からさまざまな感想や考え、感情を見出せた」という方がうれしいかもしれない。

では、作品を意図的にヒットさせることはできるのだろうか?
できるとしたら、どうすれば作品をヒットさせられるのだろうか?
ヒットには、法則といったものがあるのだろうか?

今回は、この「ヒットする作品の法則」について、考えてみたい。

ヒット作はどんな「時」に生まれる?

物語作品のヒットの法則、そんなものを安易に語る人間がいたら、多くのつくり手は眉に唾をつけるだろう。

なぜえなら、ヒット作品というものは「時代」とともに生まれるものだからである。
つまり、ヒットの鍵は「時代性」にあるといえる。

だから、優れた作品があったとしても、その時代に合わないならば、いくら面白くても「ヒット」せず、マイナーな「隠れた名作」になってしまうことがままある。

また、その時、その時期、その時代にヒットしたからといって、1年後、5年後、10年後に同じ題材、方法論でヒットするかといったら、そうでない場合の方が多い。

作品のヒットは、その時代の空気や人々の意識、気持ちといったものと作品がさまざまな形でマッチするときに生まれるのである。

「広告代理店」の功罪

では、流行や時代性というものは、それを自由に生み出したりコントロールできるのだろうか。

それを行おうとしていたのが、いわゆる「広告代理店」である。

一昔前までは時代性や流行は、広告代理店によって情報を操作してつくり出されたり、コントロールされてきた。そして、同調圧力が強い日本人の民族性と相まって、その戦法はある程度成功してきた。流行は、つくるものだったのである。

しかし、ネットでさまざまな意見が個人から発信される現代においては、そんなつくられた流行という姑息な手段はまったく通用しなくなってきている。それが如実に現れたのが、記憶に新しいマンガ『100日後に死ぬワニ』の一件である。

同作は、Twitterで毎日公開されていた作品で、日ごとに話題になり盛り上がっていった。
しかし、そんなみんながつくり上げた自然な盛り上がりを、自分たち(作者ではなく代理店)の思う通りにコントロールして露骨に商売に結びつけようようとした結果、その思惑があからさまに露呈し、それが作品のイメージを非常に悪くしてしまい、せっかくの盛り上がりが台無しになってしまったのである。
作者が苦労してつくり上げた作品が、広告代理店によって殺されたのである。

また人気ゲーム『妖怪ウォッチ』も、某広告代理店の「広告的な戦略」に乗っかったばかりに、代理店に作品の内容にまで口を出されてまったく見当外れの方向に作品をコントロールされてしまったことで、もともと持っていた強みや良さを失って、その人気に陰りが出てしまったと聞いている。

「マーケティング」から作品は生まれない

なぜ、非常に優秀で表現力も高いクリエイティブなスタッフが多数働いている広告代理店が作品作りに干渉すると、うまくいかないことが多いのだろうか。

その理由は、彼らは広告のプロではあるが、クリエイターではないからだ。

彼らが手掛けているのはあくまで「広告」であり、作品創作ではない。広告と創作では、その目指すべき目標、到達点、用途、求めるものがまったく違う

優れた作品があってもそれが広告には直接結びつかないように、非常に巧みにつくられた広告があっても、それが作品になることはない。

マーケティングからは作品は生まれないのである。

いくら流行を分析し、マーケティングしても、新しい価値観、マーケット、新しい流行を生み出すような「作品」をつくることはできない。

マーケティングにできるのは、もともとある流行に乗っかることだけだ。

よくマーケティングを徹底すればヒット作を生み出せると考えるつくり手がいるが、マーケティングが有効なのは広告であって、創作ではない。
流行の後追いではクリエイティブな作品はつくれないし、流行に頼るということは、作品のクリエイティブな部分を他人の考えや価値観、感性に委ねて、作者が自分で考え、生み出すのを放棄することにつながる。

もちろん、客層の分析は必要である。流行に乗ること自体は悪いことではない。しかし、その流行にはない自分独自の要素を盛り込むことすらなく、ただ流行に乗る“だけ”なのがナンセンスなのだ。創作は流行や時代性を踏まえながらも、それを超えたところに源がある。

作品というものは時代性や流行とは関係なく、クリエイターの中から生じる衝動や表現したいものやその断片から生まれる。
とくに名作、傑作と呼ばれるものは、マーケットなどとは無縁の、異なる次元で生まれるのだ。

ヒットには時代性が重要だが、それをコントロールすることはできないし、しようとするべきではない。

つくられた流行、用意されたヒットに、今の成熟した読者は非常に敏感である。大衆をコントロールしてヒットさせるという作為が見えた途端、読者は冷めてしまうだろう。読者はバカではないのだ。

流行は作品の前にあるものではなく、作品の後に生まれるものなのである。

時代は繰り返す「オールド・イズ・ニュー」

さて、時代に合わなけれればヒット作は生まれづらいことはすでに述べたが、時代は繰り返し、流行もまた繰り返すということも覚えておかねばならない。

つまり、過去に流行ったものが、現在のそれを知らない世代にとってみたら未知のものに映り、珍しがったり、流行ったりすることもあるということだ。

だから、時代性も合わなくなった作品や過去の作品を今の時代に合うようにアレンジすることによって、ヒットにつなげることはできるだろう。

ヒットの法則「時代の空気を変える作品、時代の逆を行く作品をつくる!」

これまでに述べたことを踏まえたうえで、最後に作品をヒットさせる法則の1つをご紹介したい。

その法則とは「時代の空気を変える、新しい空気を吹き込む作品をつくる」ことである!

そのためにもっとも有効な方法は「時代の空気、流行と反対の作品」をつくることだ。

つまり、今現在流行っていることに合わせて作品をつくるのではなく、むしろ「まったく逆の作品」をつくるのである。

いつの時代も、新しいムーブメントを起こす作品というものは、それまでの流行や空気を打ち壊すような、その時の流行とはまったく異なる要素、現行の流れに逆行する要素を持っている。それが流行に対するカウンターパンチとなるのだ。
それこそが、作品をヒットさせるための重要な法則の1つなのである。

流行や時代性というものは変遷、流転するものであり、それをいくら追いかけても所詮は流行を生み出した作品の後追いにしかならない。

だからマーケティングでは、流行に乗ることはできても新しい作品は生み出せないのである。

みんなが北へ行くといえば、自分1人だけ南へ行く、みんなが西に行くといえば、自分は東へ行く、それがヒットのための心構えだ。

大事なのは、自分を見失わないこと、そして自分がいいと思ったもの、自分の感じたこと、表現したいものを信じ、軌道修正しつつもそれを貫くことである。

お笑いの世界で天下を取った漫才コンビ「ダウンタウン」は、当時早いテンポで笑わせる漫才が全盛だった時代に、あえてテンポのよさで笑わせるのではなくネタのシュールさで笑わせる漫才を貫いて時代を変えた。
もちろん、テンポや間は重要だが、それでもネタの面白さ、新しさ、独自性にこだわったのである。

そんな時代に逆行するダウンタウンの漫才には、たくさんの否定的な意見を向けられたというが、結果を見れば彼らが新しいスタンダードとなった。

時代性や流行と逆を行くことがヒットをつくる決め手になるとは、何とも皮肉な話であるが、多数派の中に新しいものは生まれず、次の時代を生み出すものは少数派の中にこそ見いだされるものなのである。

「古い」ことと「時代の逆を行く」ことは、大きく違う。
あなたの歩む道、つくる作品がただ古いのではなく、時代と逆を行くものであるときにこそ、その作品が新たな時代をつくりだす大きな可能性を秘めているのである。


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