箱
私と親友の小春(こはる)は、同じ児童養護施設で育ちました。
親友と言いましたが、私としては、姉妹のほうがしっくり来ます。
ですが、血の繋がりはありません。
なので、あらためて関係を聞かれると、『親友』と言うことになるのかな、と思ったのです。
本当に、双子の姉妹のように、つねに一緒にいました。
施設に入ったのも、ほとんど同じ時期です。
誕生日は小春のほうが早いですが、学年も同じです。
遊ぶのも、宿題するのも、もちろん一緒。
体型も、ほとんど一緒だったので、服を貸しあったりもしました。
部屋もずっと一緒でした。
小春は私のことを、下の名前で、咲(さき)と呼びます。
小春は男性恐怖症なのです。
小春は小学生のころに、父親に殺されかけました。
小春の父親は、小春の首を絞めて、殺そうとしたのです。
一家心中をしようとしたのだけれど、失敗しました。
小春が死ななくて済んだのは、借金の取り立ての人のお陰だったのです。
まだそのときは、今のように、借金の取り立てが、厳しく取り締まられていませんでした。
アパートの、小春たち家族の部屋へ直接、取り立ての人が来ていたそうです。
その日の日中、取り立てのときの小春の父親の様子が、やけに落ち着いていたそうです。
なので取り立ての人は、小春の父親が、夜逃げを計画しているのではないか、と思ったのでした。
それでその夜、取り立ての人は小春のアパートの部屋を、見張っていたそうです。
ですが、小春の父親が計画していたのは、夜逃げではなく、家族との無理心中でした。
そして真夜中に、部屋のなかで無理心中を実行に移していたのです。
取り立ての人に、部屋を見張られているなんて、小春の父親は思ってもいません。
小春は眠っていたところを、父親に馬乗りになられて、両手で首を絞められたのです。
小春は目を覚ましたが、部屋に灯りは点いていませんでした。
そのときは、部屋へ侵入してきた強盗か、男の幽霊に、首を絞められているのかと思ったそうです。
両親に助けを求めようと、叫ぼうとしました。
ですが、大人の男の力で、目いっぱい首を絞められて、声は出せなかったのです。
すぐ横で寝ている両親に、視線をむけたくても、顔をそちらにむけることも出来ませんでした。
「本当に殺されてしまう……」と、小春は思ったそうです。
小春はとっさに、枕元のスチールラックの脚をつかんで、引っ張りました。
何かの考えがあって、そうした訳ではないそうです。
首を絞められる苦しさ、死んでしまうかもしれない恐怖。
パニックの中、訳もわからずやった事だそうです。
安物だったスチールラックの脚は、簡単に抜けてしまいました。
傾いたラックが、小春の上の父親に寄りかかる状態になったそうです。
それでも小春の父親は、小春の首を絞める手を、緩めませんでした。
ですが、ラックの上の電話機やペン立てが落ちる物音を、聞いていた人物がいました。
取り立ての人です。
取り立ての人は、小春たちに夜逃げをされると思ったそうです。
夜逃げを阻止しようと、動きました。
取り立ての人は廊下に面した、おかっての窓に手をかけたのです。
錠は、かかっていませんでした。
勢いよく窓をあけて、持っていた懐中電灯で、部屋のなかを照らしたのです。
小春の父親が、馬乗りになって、小春の首を絞めているのが、見えました。
取り立ての人は、焦ったそうです。
もし小春の父親が、小春を殺してしまったら、大ごとです。
刑務所に入れられたら、入ってる間に貸したお金が時効になってしまうことがあるそうです。
「おいっ」と、大きな声で威嚇しました。
その声で、小春の父親は、やっと小春の首から手を離したのです。
ですが、すでに小春は意識を失っていました。
小春の父親は、玄関とは反対の窓から飛び出ていったのです。
取り立ての人は、それを追いました。
小春の父親は、アパートの近くの国道に向かったのです。
走っている車に飛びこんで、自殺をはかろうと思っていたのでした。
その騒動で近所の住人が、警察に通報をしたのです。
小春は、警察が呼んだ救急車で、運ばれました。
入院するほどの怪我を首に負いましたが、小春の命は助かったのです。
皮肉ですが、父親を追いつめた取り立ての人が、小春の命を救った形になりました。
しかし、小春の母親は、小春が首を絞められる前に、父親の手で殺されてしまっていたのです。
小春の父親は、そのまま警察に逮捕されました。
裁判で実刑判決を受けました。
取り立ての人は、小春の母親が亡くなっていたことに気づいていなかったのです。
私も母を、小学生の時に亡くしています。
なので、小春と心を通い合わせることが、できたのかも知れません。
小春の父親の借りたお金が、時効になったのかはわからないです。
少なくとも、小春が肩代わりすることはありませんでした。
小春は、この話を私に、すこしずつ打ち明けてくれました。
この話をしていると、小春は調子が悪くなってしまって、中断せざる得をなかったのです。
この話は、小春の記憶と、後に人から聞いた話を、合わせたものだそうです。
特に、自分の記憶を話すときは、つらそうでした。
入院先の病院で、小春は意識を取り戻しました。
首の怪我のせいで、小さなかすれ声を出すのが精一杯でした。
のどからの出血もあったそうです。
固形物を飲み込むのは、難しいということで、普通の食事はできませんでした。
栄養補給は、点滴と流動食でまかなわれたのです。
頚椎損傷による後遺症は、幸いにもまぬがれました。
そして、心の傷の重さも、明らかになっていきました。
中年男性である、最初の担当医との対面では、怯えきっていて診察はできませんでした。
女性の医師へ代わっても、患部を触診するために、首へ手を近づけるのは、出来ませんでした。
小春が目を覚ましたとき、患部保護のために、頚椎カラーと言うものを首に巻かれていたそうです。
それの圧迫感にも、小春はたえられませんでした。
乱暴にはずそうとするので、治りが遅くなるおそれがあり、安静を条件にはずしてもらったそうです。
カラーをはずした首には、内出血による手形が鮮明にのこっていた、と小春は言っていました。
担当医による、当初の見通しは、これらの心理的な症状は、辛い体験による一時的なもの、ということでした。
そして、声が元にもどり、普通の食事ができるようになり、内出血によるアザも、痛みもひきました。
小春の体は癒えてきたのです。
しかし、小春の心の傷は癒えません。
それでも退院の日は、やってきました。
両親のほかに、たよれる身寄りのない小春は、児童養護施設へ入りました。
そこで、小春と私は初めて出会います。
私と小春は、グループホームと呼ばれる施設に入りました。
グループホームは、私たちが入る前年に、制度化されたものだそうです。
より家庭に近い環境でケアを行う、というコンセプトでした。
私たちが入った所は、2階建ての一軒家でした。
私たちのグループホームは、6人の女子児童と、女性職員が一緒に住んでいたのです。
職員は、住み込みのかたと、通勤のかたがいました。
すぐ近くに、男子児童のグループホームもあり、そちらには男性の職員のかたがいらしたのです。
女子のグループホームの緊急事態には、男性職員がすぐに駆けつけられるようになっていました。
小春の恐怖症のことは、病院から施設の職員へ引き継ぎがされ、対応されていました。
限界はありましたが、可能なかぎり女性の職員のかたとしか、接触しなくて済むようにしてくれていたのです。
小春は恐怖症のせいで、不登校がちでしたが、調子のよいときは登校していました。
登校しても、保健室にこもることが多かったですけれど、しかたがありません。
男の人に悪気はなくても、小春を怖がらせてしまうのは簡単でした。
父親と同年代の男性が、近くに寄るだけで、小春は固まってしまいます。
そして、冷や汗がとまらなくなってしまうのです。
小学生の私は、男性恐怖症というものを知りませんでしたが、小春を近くで見ていて、ほんとうに辛そうでした。
しかし、大変だけれど、学校に行くことを諦めていなかったのです。
小春は、なげやりには、なっていませんでした。
小春の勉強は、施設の職員のかたが教えたり、私がその日に学校で習ったことを教えたりしていたのです。
小春は自習もよくしていましたし、私と同じ宿題をこなしていました。
小学校のときは、私がもってかえった小春のぶんのテストを、施設で解くこともありました。
それを私が翌日、先生へとどけて採点してもらっていたのです。
小学校のときと言えば、一度、酷いことがありました。
その日は小春の調子がよくて、通学班でいっしょに登校していたのです。
でも、小春の調子が急に悪くなってしまって、通学路の途中で、立ちどまってしまったことがあったのです。
班の、ほかのこたちには、先にいってもらって、私が小春についていました。
しばらくしてそこへ、私たちの心配をしたサラリーマン風の男性がきました。
そして「大丈夫?」と声をかけてきたのです。
「ありがとうございます。でもいつものことなので大丈夫です」
私は男性に言いました。
ですが、男性は引き下がってくれません。
「本当に大丈夫なの?」
私を手の甲でおしのけて、小春の様子を見ようとしてきたのです。
私は焦りました。
「すいません。本当に大丈夫です」
私は、そう言いながら、男性と小春の間にふたたび立ちました。
男性は一瞬、ムッとした表情になりました。
たぶん、善意をふいにされた、と思わせてしまったのです。
そして男性はムキになって、私の腕をつかんで、またどかそうとしてきました。
なので、私はあわてて小春のことを説明したのです。
「この子は、男の人が近づくと、調子がわるくなってしまうのです」と。
すると男性は、私をいぶかしい目で見ました。
そして黙ったまま、強引に私を引っぱって、どけたのです。
そのときの男性の力が圧倒的に強くて、私は怖じ気づいてしまいました。
男性は、うずくまっている小春のとなりにしゃがみ込んだのです。
さらに、小春の背中をさすりながら「大丈夫?」と聞いていました。
小春は、私と男性のやり取りを聞きながら、すでにパニック発作をおこしてしまっていました。
まったく動けなくなっていたのです。
そのうえ男性に触れられて、発作のすえ小春は失神してしまいました。
死んだように、ぐったりと失神した小春の様子をみて、男性は青ざめて救急車を呼びました。
私は頭がまっ白になって、救急隊員のかたに声をかけられるまで、立ちつくしてしまっていたのです。
小春はそれ以降、登校拒否の状態が続きました。
その日の夜、私は寝る前に布団のなかで泣いたのをおぼえています。
自分の無力さに、うちひしがれていました。
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