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ラグビーが教えてくれたこと10

【アートとしてのラグビー。ラグビーは自己表現の手段】

これは僕がラグビーをどう捉えているか、という話になります。

ラグビーというスポーツを選んでそれを生業にしている自分に対して、一番しっくりきたのが

アートとしてのラグビー

これでした。

というのも、きっとそれは僕の育った環境が影響しているのだと思います。

僕は、小さい頃からラグビーをやっていたわけでもなく、スポーツ一家に生まれてラグビー選手を志したわけでもなく、
高校でたまたま出会ったラグビーに心惹かれて始めたのがきっかけでした。

僕の生まれ育った家族は、一言で言うと芸術一家で、それが普通なんだと思って育ってきて、いつだか忘れましたが、ある時それが割と特殊なんだと感じたのを思い出します。

祖父は画家、父は建築家、母は歌手、兄も歌手、叔母はピアニストで、叔父は陶芸家。それぞれ趣味ではなく、それを生業に家族を支えて生きてきました。小さい頃からそういうものに囲まれて育ってきたので、将来自分の好きなことを仕事にするのが当たり前なんだと思っていました。小さい頃から、そういうみんながかっこよく見えたし、そんな家族の時間は今でもいつも賑やかで楽しいです。

そんな芸術一家のみんなに共通していることは、皆、それぞれ創造者であるということ。生み出している自分自身の納得の行く作品と向き合い続けて、それによって人の心に影響を与えている。誰かと戦っているというより、自分と向き合って自分と戦っている。

僕はそんな家族の価値観にどっぷりと影響を受けて育ちました。

そんなこともあってか、僕がラグビーをやっている意味を考えた時に、それに通ずる部分があるなと。

自分の身体を使ってプレーを創造していくことに喜びを感じているし、ラグビーという手段を使って自分を表現して、それが自分の納得のいくプレーだったのか、自分の目指す究極体に近づけているのか、誇れる態度だったのか、ということに向き合いながら、自分の行く道を極めんとする。それを見てくれた人に、感動したよ!とか影響受けたよ!とか言ってもらえることが大きな喜びだし、僕にとってのモチベーション、原動力となります。手段としてのラグビーだから、それがラグビー以外であっても、何かを創造して人に喜びを与えることができたら幸せです。。

自分が感じたことを自分らしく創造して表現していることが、結果的に誰かに伝わることっていうのが、すごくアートだなと思うし、人間らしくいられるなって思うわけです。

ただ一方で、「人と戦っているというより、自分と向き合って自分と戦っている」という部分が、自分はスポーツに向いていないようでもあると思うことがありました。スポーツはどうしても人と対峙して戦って勝ち負けを争う。そんなスポーツを、自分みたいな価値観の人間がやるという違和感も感じた時もありました。
それでも、やっぱり人と戦うその瞬間、その局面も、究極は自分の戦いなんだと思っています。
自分より大きな相手に対してタックル行く時も、そいつと戦うのではなく、その瞬間には自分の勇気が試される。足の速い相手と対峙する時も、自分のリアクションスピードや足の速さが試される。勝敗も試合の出場の有無も、自分の目指す究極体になっていれば自ずとついてくる。自分の目指す像は、弱っちいもんじゃないし、誇れるもんだ。だからこそ、自分との戦いに勝つことが、結果的に目の前の人に勝つことにつながっていくのだと思います

ちなみに、そういうバックグラウンドを持つ自分が、どうしてラグビーの道を選んだのかというと、冒頭にも軽く触れましたが、

中学時代の後半ほとんどが受験勉強に追われていた僕は、高校に入ったらなんとなく部活に青春を捧げたいなと思っていました。サッカー少年だった僕は、もちろんサッカー部の見学に行ったのですが、その時休憩中だったのかわかりませんが、選手たちが地面に寝転がっておしゃべりしていたんです。一方、その横のグラウンドに目を向けると、泥まみれになって走っているラグビー部の選手たちがいたのです。

小さい頃からサッカーを続けていたし、サッカーを今後も続けたいと思って見学に行ったのですが、その対照的な光景を見た時に、直感的に泥まみれのラグビー部の選手たちがキラキラ輝いて見えてしまった

あれから17年ほど経ちますが、全てはその時、自分の感じた、「こっちだ!」っていう心の声に従ったからこそ、これまでの幸せな人生があると思っています。

高校から大学、大学から社会人と、進路に悩む時もありましたが、やっぱり今はラグビー選手としている自分が自分らしくいられるし、この刺激的な生活が大好きなんです。

自分の直感的に感じる「ここだ」と思える場所っていうのは、自分が自分らしくいられる場所だと思ってます。そこで誰かに影響を与えることができたら、こんなに幸せなことはないんじゃないかと。

僕は、自分の家族たちと違って、ラグビーというアートをプレーヤーとして生涯現役で続けることはできませんが、いつかプレーヤーとして終わりが来た時、次のステージに行く時も、その時の自分の直感を大切に、その行く場所で創造し続けたい。自己表現の手段として、アートとして捉えて生きていきたいと思います。

その時の直感を大切にしたい。だから、引退したらこれをするぞ!って決め切らないのだと思います。サッカー少年の目の前にラグビーが突然現れて人生が変わったようなことが、今後もあるかもしれないからね。

そんな話です。

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