ラグビーが教えてくれたこと6
【国や文化の違い、育ってきた環境、価値観が違う人とこそ、たくさんコミュニケーションを取る必要がある。】
これは社会人でラグビーを続けていないと感じることのできなかったことかもしれません。
と、このことを深く考えることができたのも、実はほんの一年前くらいのことで、
きっかけはチームに起こった事件、チームメイトの外国人選手が薬物に手を出してしまった時の事でした。
これは後から知ることになるんだけど、
家庭のことやラグビーのこと、異国の地にいることなど、すごく精神的にストレスを感じて過ごしていて、自分をコントロールできなくなっていた、というのも理由の1つに挙げられていて、
たしかにその最後の引き金を引いてしまった彼は反省しないといけないとは思う一方で、
毎日一緒に過ごしていて彼のそんなストレスによる変化を見抜けずに守れなかった自分にもすごく情けなく感じたのを覚えています。
本当に仲の良い選手に対しては、日常の中での少しの変化や、その人に降りかかるプレッシャーに気づいた時に声をかけてあげたりすることができたりしますが、
国も違う、言葉も文化も、価値観も違うであろうその選手の変化に気付けなかった自分は、じゃあ仲の良い仲間ではなかったのかと言われれば、別に普通に仲間として接してきた自負はあるんですよね。
それでも、やっぱり自分とその人との間にある、前提知識というか共通点(国、言語、文化など)が違うことを考えた時に、同じ環境で育った人間とのコミュニケーション量では埋まりきらない距離があるのかな、と感じたりしたわけです。
そんなこともあって昨年のコロナ禍では、コミュニケーションの手段の1つでもある英語の勉強をしてみたり、自分たちには馴染みのないキリスト教などの宗教の本を読んでみたりして、少しでも彼らとの間にある壁を取っ払って彼らのことを理解したいなと、感じて行動したりしてみました。
このオフ中にも、家に食事に招待したり、ランチに誘ったりして話したりして、グラウンドの中だけでは知り得ない彼らの表情や裏側を知ることができて、少しだけだけどそうやってプライベートでコミュニケーションをたくさんとっていくことで心理的な距離が縮まってきているような気がします。
チームメイトでトンガ人のニリ・ラトゥがこんなことを言っていたことを思い出します。
「ラグビーのチームの結束は、ラグビーをしている以外の時間で育まれる。ラグビーをみんなで一生懸命に頑張るのは当たり前で、それはどのチームもしていること。グラウンドを出てからもファミリーだと思えるかどうかが大事だよ。」と。
ラグビーをしている時間は、それぞれの人柄が出たりします。怒りっぽい人もいれば、いつもニコニコしながら楽しんでる人もいるし、黙って淡々とプレーする人もいたり、いきなり性格が変わる人もいます。また、いつもと違った雰囲気の選手もいたりする。そうなると、やっぱりグラウンドの中だけでは、そういう人柄やその時の感情にどういった背景があるのかまで気付いて寄り添うことって難しいと思うんですよね。
だからこそ、グラウンド外でのコミュニケーション。
その人の人柄やその感情の裏側に気付いてあげて寄り添うことができたら、自分とその人との人柄の違いや感情などのモチベーションの違いをも認め合えると思うのです。
どんな人との間にも価値観の違いは存在するので、お互いにとっての常識は違うことがほとんどです。それぞれの理解の中で、抽象的な表現で会話を進めていけば、それはお互いの認識に勘違いを生み出すことでしょう。だからこそコミュニケーションの量って、どんなチーム(組織)であっても、大事になると思います。
そして、この時代。コロナによってあらゆるものが分断されてきました。コミュニケーションの重要性というものは、これまで以上に高まってくると思います。
若い頃は自分のことばかり考えており、チームメイトのことを考えたりすることなんてあまりなかったのですが、最近はそんな人との繋がりについても考えてみたりしています。
そんな話です。