狂っているのは「君」じゃない、「世界」のほうだ。
noteのお題企画「#8月31日の夜に」について初めて知った時から、「不安や絶望の中を生きている方たちは、今、何を求めているのだろうか。」「何か一つでも、僕にできることはあるのだろうか。」と何日もかけて考え込んでいたら、気付けば8月31日を迎えてしまった。
今からでも間に合うのかは分からないけれど、この夏、僕が出会った映画を、音楽を、そして言葉を、夏休み最終日を過ごす10代の方へ伝えたい。
新海誠監督の最新作『天気の子』。
今作のクライマックスにおいて、主人公・帆高は、世界の形(さだめ)に抗い、ある「選択」をする。その「選択」は、社会の価値観と決定的に対立するものであった。共感できないと感じるどころか、強い嫌悪感を抱く観客も少なくなかっただろう。その意味で、彼が選んだのは「正しさ」ではなかったのかもしれない。
それでは、「正しくなさ」を讃えたこの物語は、間違っているのだろうか。僕は、そうは思わない。なぜなら、「大切な人と共に生きたい」という彼の純粋な想いそれ自体は、決して批判されるべきものではないはずだからだ。不完全な社会において、不器用な僕たちにとって、全ての「選択」は、必然的に「正しくなさ」を内包しているといってもいい。
この映画は、そしてRADWIMPSの音楽は、「正しさ」と「正しくなさ」の堂々巡りの果てに、ついには理屈や論理を超えて、帆高の「選択」を力強く肯定し、祝福する。
そして、帆高の成長を「大人」としての立場から見守る須賀は、最後にこう告げる。
須賀が語ったことは、教科書には書かれていないし、ニュースでも報道されない。もちろん、政治家が語ることもない。それでも、それは揺るぎない真実であり、残酷で、理不尽で、不平等なこの世界を生きる僕たちが、日々、胸の中に抱いている圧倒的なリアルだ。
狂っているのは「君」じゃない、「世界」のほうだ。
無責任かもしれない。甘えかもしれない。現実逃避かもしれない。それでも僕は、『天気の子』が懸命に伝えるこのメッセージが、あなたのもとへと届くことを願う。
もう一つ、RADWIMPS・野田洋次郎が、「STOP自殺 ♯しんどい君へ」へ寄せた言葉を紹介したい。
最後に、僕から伝えられることがあるとしたら、それは、映画は、音楽は、言葉は、決して、あなたを拒みはしないということ。この世界を生きる僕たちが、不条理な哀しみに襲われるのと同じように、映画は、音楽は、言葉は、不条理な愛であなたを包み込んでしまうということ。
そして、いつか狂った世界に立ち向かう日が来た時、映画は、音楽は、言葉は、必ずあなたの力になってくれるということ。
あなたの輝かしい未来にとって、この記事が、何かの新しいきっかけになれたら嬉しいです。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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