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世界各地を周り、金沢へ。RADWIMPS、希望のメッセージを送り届けた万感の凱旋公演を振り返る。

【6/15(土) RADWIMPS @ 石川県産業展示館 4号館】

4月に、RADWIMPSのアジアツアーの追加公演として金沢公演が開催されると発表された時、この公演は、RADWIMPSにとって、そして私たちリスナーにとって、とても大きく深い意義を持つものになるはずだと思った。そしてだからこそ、その公演についてしっかりと書き記しておかなければならないと強く感じた。前置きが少し長くなってしまうが、まずは、今回の金沢公演が特別な意義を持つことになると直感した2つの理由について記しておきたい。


1つ目の理由は、今回の金沢公演は、昨年から続く世界各地を周る長い旅を締め括るライブであり、同時に、その旅を経て大きく進化した姿を日本の観客に見せる凱旋公演であったから。遡ると、もともと彼らは数年前に、ヨーロッパ、北米、アジアなどを周るワールドツアーを予定していたが、2020年からコロナ禍に突入したことで、一度はそのツアーがキャンセルとなってしまった。2023年、再びワールドツアーの開催に向けて動き出し、まずは、北米ツアー「RADWIMPS North American Tour 2023」と、ヨーロッパツアー「RADWIMPS European Tour 2023」を実現させた。

バンド史上最大規模の欧米ツアーを見事に全公演ソールドアウトさせた彼らは、その年の夏、日本に戻り、ライブハウスツアー「BACK TO THE LIVE HOUSE TOUR 2023」を敢行した。彼らが国内でライブハウスツアーを行うのは、2015年以来8年ぶり。言うまでもなく、その8年の間にバンドを取り巻く状況は大きく変わった。特筆すべきは、彼らが劇伴と主題歌を手掛けた新海誠監督の映画『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』の特大ヒットで、今やRADWIMPSは問答無用の国民的ロックバンドとなった。かつてと比べて、あまりにも大きなスケールアップを果たした彼らが、自分たちの音楽活動の原点であるライブハウスに戻ってくる。さらに、長きにわたるコロナ禍を経て、3年ぶりに観客の声出しが全面解禁されたタイミングだったこともあり、このライブハウスツアーにかけるメンバー、そして観客の想いはとても大きなものだった。

北米ツアーとヨーロッパツアーは、ほとんど同じセットリストであったが、彼らはこのライブハウスツアーに臨むにあたってセットリストを大きく刷新。”なんちって”、”ヒキコモリロリン”、”俺色スカイ”をはじめとしたインディーズ時代の曲や、”ハイパーベンチレイション”などのレア曲が数多くセットリスト入りしていた。(なお、初日の名古屋公演のアンコール1曲目では、いつもファンがライブ本編終了後にメンバーにアンコールを求める際に歌う”もしも”が披露されたという。)そうしたセットリストは、まさに、いつもバンドを支えてくれている日本のファンへの深い愛と信頼の証、そして感謝の表れだったのだと思う。

僕は2023年7月4日のZepp Haneda公演を観たが、その時の彼らは、北米ツアーとヨーロッパツアーを経て、ライブバンドとして完全に覚醒した状態だったことをよく覚えている。何より、国民的存在となった彼らが、今一度ロックバンドとしての本能を際限なく解き放っていく展開に何度も胸が熱くなった。印象的だったのは、その日のライブ中、野田洋次郎が、「ここからの未来を生き抜くための元気として、俺の体に注入したい。」と観客に告げたシーン。そして終盤、その日のライブを振り返りながら、「この場にちゃんと置いてきた。」「受け取った。」と、日本の観客との確かなコミュニケーション実感を噛み締めていた場面も忘れられない。

国内のライブハウスツアーを終えた後、夏フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2023」への出演を挟みつつ、アジアツアー「RADWIMPS Asian Tour 2023」とオーストラリアツアー「RADWIMPS Australian Tour 2023」へと繰り出し、2024年に入ってからは、「RADWIMPS WORLD TOUR 2024 “The way you yawn, and the outcry of Peace”」を開催。まず3月に中南米ツアーがあり、その後の4月、5月のアジアツアーでは計4本の日本公演を経て、アジア各国へと飛び立っていくというスケジュールが組まれていた。

僕が観たのは、4本目の日本公演となった4月14日のぴあアリーナMM公演。2023年の北米ツアーとヨーロッパツアーの直後の日本のライブハウスツアーでセットリストが大きく変わっていたのと同じように、今回の日本の4公演においても、直前の3月の中南米ツアーからセットリストを大きく刷新していた。日本公演のために組まれたそのセットリストには、昨年のライブハウスツアーの時のように、初期曲やレア曲がめいっぱい詰め込まれていて、改めて、日本のリスナーへの熱い愛を感じた。野田は、直前の中南米ツアーを振り返りつつ、「地球の裏側はすごかったぜ!」と観客を力強く煽り、それに応える形で広大な会場全体から次々と大合唱が巻き起こっていった。まさに、最強のホーム戦だった。

野田は、このホーム感をお守り代わりにして、次の週からアジア各国へ挑んでいくと宣言した。そして、アジア各都市を巡ったツアー本編を無事に終え、アジアツアーの追加公演として位置付けられた6月の金沢公演へ。この公演は、アジアツアーのラストを飾るものであり、また広く捉えれば、2023年から続く長きにわたるワールドツアーを締め括る最後の凱旋公演でもある。それが、この公演が特別な意義を持つことになると直感した1つ目の理由だ。


2つ目の理由、それは、この金沢公演は、2024年1月の能登半島地震を受けて、メンバーの要望によって実現したものだからだ。RADWIMPSは、長きにわたって、震災という不条理な悲劇とまっすぐに向き合い続けてきたバンドである。遡ると、彼らは、2011年の東日本大震災の発生からわずか数日後に義援金プロジェクト「糸式 -itoshiki-」を立ち上げ、翌年2012年以降、ほぼ毎年、3月11日に被災地への想いを込めた楽曲を発表し続けてきた。音楽を生み出すことを通して、3.11によって失われてしまった命を想い、また、震災後の世界で傷だらけになりながらも懸命に生きる一人ひとりの生に、優しく、力強く寄り添う。その営みは、長年にわたってRADWIMPSというバンドにとっての大切な活動サイクルとなっていた。ここで、野田が2014年3月11日の日記の中で綴った言葉を引用する。

 映像と一緒に毎年言葉を載せているんだけど、今年はさらになんて言えばいいかわからなかった。あの日地震で亡くなった人、津波で亡くなった人、今でも仮設住宅で暮らす人、被災地を離れ疎開する人、精神的に追い込まれ亡くなる人、絶望の中で自ら命を断つ人。その人たち、遺された人たちの想いを想像しても僕には知ることができない。
 だからあくまでも僕は僕の目から見える景色を語るしかない。そこから見える悲しみと希望を歌うしかない。希望という言葉が僕は苦手だ。でもこういう時にこそ使いたいと思う。
 希望がほしい。この国に、今生きる人に、次の世代に、希望がほしい。
 絶望に用なんてないのだ。もう。

書籍「ラリルレ論」 野田洋次郎(p.149)

震災を巡る悲しみと、その先にきっとあるはずの希望を歌う。それは、単なる義務感によるものではなく(2017年の3月11日には新しい楽曲が発表されていないことから、継続することそのものが目的ではなかったことが分かる。)、もっと深い原動力、言うなれば、表現者としての業のようなものに突き動かされた活動だったのだと思う。2021年3月11日には、それまでに公開した8曲に2つの新曲を加えたアルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』をリリース。その後は、毎年の3月11日に定期的に新しい楽曲を発表することはしていないが、10年という一つの区切りがついただけで、決して何かが終わったわけではない。今年の3月11日には、野田はXでこのように投稿していた。

東日本大震災から13年。
被災された方、今なお震災の影響を受け続け生活をされている方、それ以降も日本各地で天災の被害に遭われたすべての方に、心からお悔やみとお見舞い申し上げます。
自分にできることをやり続けたいと思います。
合掌。

そして4月、2024年1月の能登半島地震を受けて、アジアツアーの追加公演として、今回の金沢公演の開催が発表された。そのアナウンスに合わせて、野田はXに次のように投稿していた。

ワールドツアー追加公演として、石川県金沢での公演を行います。
元日の震災から、自分たちにできることは何かをずっと考えていました。僕たちなりのやり方で、微力ながらお力添えができたらと思います。

メンバーの要望により実現した一夜限りの追加公演。それが、今回の金沢公演が特別な意義を持つことになると直感した 2つ目の理由だ。


前置きが非常に長くなってしまったが、ここから、2つの大きな意義が込められた金沢公演を観て感じたことを書き記していく。この日のセットリストは、基本的に、4月に行われた4本の日本公演の時と同じもの。総勢30名のダンサーを迎えた”人間ごっこ”と”G行為”。今回のツアーのメインアートをフィーチャーしたカオティックな映像演出によって、楽曲に漲る爆発的な生命のエネルギーがさらに増幅された”おしゃかしゃま”。久々の披露であるが故に一際大きな歓声が巻き起こった”最大公約数”。人を傷付ける言葉が蔓延る世界を憂いながら、その世界に懸命に抗う意志を伝える”針と棘”など、この日も、日本のファンに向けたセットリストだからこその特別なハイライトの連続だった。

今回の金沢公演だからこその光景の一つが、「会いたかったよ、金沢。」という野田の言葉に、無数の「おかえり!」の声が飛び交ったこと。そして、この日の大きなサプライズとなったのが、セットリストに”すずめ feat. 十明”が新しく加わり、十明がゲスト出演したことだ。昨年のライブハウスツアーでも十明との共演は実現していたが、今回は、より大きな会場で披露されたことで、彼女の神秘さを帯びた凛とした歌声が、存分に広々と響き渡っていて、その広大なスケールと深みに思わず息を呑んだ。また、映画『すずめの戸締まり』の主題歌であるこの曲が、被災地である金沢で響くことの意義の深さを強く感じた。十明が歌い届ける《正しさのその先で  君と生きてきたい》という願いの言葉が放つ切実な響き。そして、十明がステージを去った後、”三葉のテーマ”に続けて披露された”スパークル”における《そんな世界を二人で  一生  いや、何章でも  生き抜いていこう》という決意の言葉に滲む力強い響き。その深い余韻が、いつまでも胸の中で残り続けている。

この日のアンコールは、なんと、kZmをゲストに迎えた野田のソロ名義の楽曲”EVERGREEN feat.kZm”を含む計5曲。野田は、アンコールの曲間で、もしかしたらこれから先も、大きな地震やとんでもない悲劇が起きるかもしれない、と前置きをした上で、「でも、そんな時でも希望を見つけられるのが人間だと思うので、そんな時でも力強く生きていきましょう。」と語った。また、次々と届けられるアンコール曲を受けて眩しい笑顔を見せる観客に向けて、「その気持ちを忘れないでほしい。」「そのエネルギーを信じて、明日からも生きていこう。」と呼びかけた。ラストは、”DADA”で熱烈な大団円。万感の終幕だった。総じて、アジアを、いや、世界を周る中で得たエネルギーの全てを石川に置いていくような、熱烈な愛に満ちた圧巻のライブだった。


震災だけではなく、この日本では、この世界では、悲しいことに、思わず目を覆いたくなるような不条理な悲劇が次々と起こっているし、不公平や不平等が残酷なほどに満ち溢れている。そうした現実を前にして、誰しも、時として立ちすくんでしまいそうになることがあるはずで、希望を抱きながら生き抜いていくことは決して簡単なことではない。それでも、RADWIMPSは、そうした悲痛な現実と真正面から向き合った上で、たくさんの希望の音を鳴らし届けてくれた。音楽そのものに、世界を変える力があるわけではないし、ライブによって被災地が復興するわけではない。そんなことを痛いほどに分かった上で、それでも諦めることなく、眩い希望のメッセージを懸命に歌い届けてくれた。希望は、いつだって私たち自身の中にあることを、愛に満ちた渾身のライブパフォーマンスを通して教えてくれた。綺麗事のように聞こえるかもしれないけれど、いくつもの海と大陸を渡り、数々の国境を越えてきた彼らが届ける音と言葉には、あまりにも深い説得力があった。何より、今回の長きにわたるワールドツアーに参加した世界各地の観客と同じフィーリングを共有できことにも、僕はとても大きな意義を感じている。

世界に向けて、高らかに希望を鳴らすロックバンド・RADWIMPS。彼らと同じ時代を生きられることが、僕は一人のリスナーとして、何よりも嬉しく、そして誇らしい。



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