他人を変えるのは無理だと分かって諦めたら。他人を長い目で見れるようになった。

ある大学の授業で、
不正行為を行った学生を注意したら。

その学生は教務課に不服だと直訴した。

結果、
主任教員と教務課から、
不正行為はなかったことにして、
再度指導して欲しいと言われた。

まるで私の指導方法にも問題があるかのように。

え?
他の学生の前行った不正行為。

悪いことをしても、
難癖つけて騒げば、
許されることを他の学生も教えるわけですか?

と、
まぁ思う出すだけでムカつくけど。

そのことを主任におかしい!
と、詰め寄ったら。

「変えようとしない方がいい。」

そう言われ、
妙に腑に落ちた。

変えようとしたら反発を招くだけ。
と、
そんな教訓を学んだ気がした時だった。

けれど、
学生の不正行為、
それらを許すように指示する奴らを。

悪く思うことは変わらない。

おかしいのは、
おかしい!!

説得された自分も変わらない。

そう。

みんな自分が1番正しいと思う。

変えようとすれば、
自分がどうなってしまうのか?

自分が自分でなくなるのでは?

とか。

怖いのだろう。

あのことがあってから、
他人は変えられないことをよく理解した。

と言うより、
単に諦めたんですね。

あーしろ。

こーしろ。

と言わなくなった自分。

肩の力が抜けたように、
腑抜けたように教えるようになった。

丸くなったと言われる。

けど、
どこかこれで良いのか?

と不安に感じることはある。

でも熱く語ったところで、
どうせ無駄なことになる。

でも良いのか?

と自問自答しながら、
尊敬するベテラン先生に相談したら。

「良い傾向ですね。
物事を大局で見れるようになれますよ。」

とのこと。

あぁ確かに。

先生って教えなきゃって思う。

そりゃ当然なんやけど。

教えてやる!

ってなると。

習う人が、
それのやり方や考え方にハマれば良いけど。

ハマらんかった、
反発を喰らってしまう。

長い人生の中で、
自分と接するのはほんの一時。

自分が相手に多大な影響を与える。

あるいは与えられると、
奢らない方がいいと思えるようになりました。

でも運動やスポーツ、
トレーニングを教える時、

決して熱い心は捨てませんよ。

人によっては、
心を動かすこともありますし。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?