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校長に「この子は何しに学校に来たんだろう?」と言わせてしまった、不登校の子の話

ぼくは小5の時に、学校が嫌いになって不登校になり、その記憶が抜けないまま、気がつくと公立高校の物理教師になっていました。
30年間どっぷりと、不登校をとりまく現実をナナメに見てきたので、キワどい話もありますが、地方公務員法に触れない範囲でお伝えします。
生徒が元の教室に戻れることを目標としている人ですが、別の道を選ぼうとしているなら、止めませんよ。学校は、ある意味、修羅場ですから。

今回お伝えしたいのは、次の3点です。

1️⃣. 学校の先生って、そんなに深くは考えていないこと。
2️⃣. 担任と戦って、勝とうと思わない方がいい理由。
3️⃣. 大事なところを押さえて、うまくやって行くコツ。

半年間不登校だった子が、学校に戻った日のこと

ある秋の日、登校と不登校を繰り返して3割以上も休んでいた3年生のA子が、久々に登校しました。

朝のホームルームのあと、出欠席のホワイトボードに書き込みながら、担任が、教頭に報告しました。

「A子が、今日は朝から来てました」

その後の、校長のつぶやき声が、ショッキングです。

「へぇ、この子、何しに来たんだろう?」

意図がよく分からず、「あのう、ここは学校なんですけど」と、飛び出しそうになった言葉を飲み込んで、天井をあおいで、想像を巡らせました。

この担任は、この生徒のことを良く思っていなくて、約束を破ったとか、だまされたとか、問題が解決したのに生徒が登校しないとか、愚痴をこぼしていました。

学年主任も進路部長も、同じような口ぶりで、同じように考えていることは気づいていましたが、校長の口から同じような言葉が出てくるとは。

不登校の子の選択肢

不登校の子には、次のような選択肢があります。

1️⃣.もとの教室に、戻る。
2️⃣.他の高校に移る(通信制や、フリースクールのようなところ)
3️⃣.ギリギリまで在学して、大学入学資格検定(大検)を受ける
4️⃣.しばらく静養する
5️⃣.起業、就職する

もしかするとみなさんは、教員はみんな、1️⃣になるように頑張るのではないか、と、お考えになるのではないでしょうか。

ところがたどり着く可能性が高いのは、2️⃣か3️⃣です。

1️⃣にたどり着くには、不登校の子の意識が、今より高いレベルに成長する必要があり、保護者の協力が欠かせません。
1️⃣は不登校の子本人にも担任にもハードルが高いので、結果的に2️⃣か3️⃣に落ち着くことになります。
よほど、おかしな先生が、そこにいない限り。

その前の週の金曜日のこと

放課後、その子と保護者が学校に来校したのですが、なんと、担任も学年主任も不在で、しかたなく、生徒指導部長のぼくに内線が回ってきました。

ぼくは願ってもないチャンスと思い、職員玄関に走り、相談室で3者懇談を始めました。

ラポール(信頼関係)の構築

まず、ラポール(信頼関係)を深めるネタです。

ずいぶん前に、その子と面談するときに備えて、歴史上の同じ苗字の人を探して、功績を調べておいたことがありました。

面談を始めてすぐに、その歴史上の人物の話をすると、なんとその一家は、その人物の子孫だということがわかりました。ぼくは叫びました。

「やばい、当てちゃった。」

一発目のネタで、ラポール、どころか、笑いが取れちゃいました。

その子もお母さんも、誇りに思っているのが伝わってきました。

ここで、お母さんの眉間が釣り上がった状態から、笑顔に変わっています。
ただし、ここでハズレたとしても、次があるので問題はありません。

そこから、本題です。
不安に思うことは、なんですか?と聞いてみました。

その子は、イジメを受けたのではないようでした。
担任から、かなり傷つくような言葉をかけられたようです。

「人間ってね、人を励ますとき、キツい言い方することがあるんだよね。」
よくあることですが、担任自身は、傷つけたとは少しも思っていません。

その子は、容姿とか学力とか、いろんなところでコンプレックスを持っているようでした。
「あなたは、そんな可愛らしい顔していて、まだ足りないの?
確かにね、もうちょこっとだけ細くなったら、オレもほっとかないけどね!」


ラポールが取れていたので、ちょっこし減量できれば、美女になるという見通しを言って、遠回しに承認しました。
一応、承認しているので、傷ついた様子はなく、むしろ親子でバカウケしていました。

お母さんは続けます、
「欠席日数について、感染症の出席停止のはずが欠席になっており、何度問い合わせても、間違いはないと言われ、不安で仕方がないんです」

ぼくはそこで、真顔になって謝りました。
「それは不安ですね。申し訳ありません。間違いないか自分も確かめてみて、お電話をさしあげますね!」

まず、謝る

ぼくはどんな時も、お母さんたちが不安に思っている時学校側に責任があると考えて、発言をします。

よく心配されることですが、「本当に責任を取らされたらどうするのか?」

そうなった例を知らないのですが、それは責任を取るべきなのだと思います。ただ、態度を柔らげたなのに、相手が硬いままだったら、柔らかさが足りません。

お母さんから次の質問が来ました。
「今後、娘はどうしたらいいんでしょうか?」

わたしは何日か前に、担任との電話の内容を聞いていたので、自分でも単位数の少ない科目の欠席時数を調べてありました。
今後、休まずに登校するようになると思うので、欠席の時数は心配ないですよ。ちょっと脅迫してるみたいですけどがはは。

お母さんも娘さんも、笑った状態に慣れてきました。

そこに、教頭が様子を見にきて、驚いた顔をして言いました。

「先に、帰るね!」

この教頭も、この家族が苦手なようでしたが、お母さんも穏やかな笑顔で会釈をしてくれたので、印象が変わったかもしれません。

この先の生活が、面倒くさくならないコツ

ここは、書き忘れていたので、付け加えておきます。人間って、人を褒めるより批判する方が楽しいので、これからも、褒められるよりは、批判されることのほうが多いことを、覚えておくこと。
批判されるのを避けたいなら、弱みを作らないこと。
弱みを作るというのは、人を批判したり、絶対に悪口を言わないことです。


進路の話

その後、進路の話に移り、延々2時間ほど盛り上がりました。
大きな夢があるけれど、そのための専門学校には経済的に行くことができず、就職することになりそうでした。

なるほど、ここも気持ちがふさがるポイントだなと思い、夢を叶えるための作戦を、三人で考えました。

なんだか、実現可能な気がしてきたところで、20時を回ってしまったので、間違いなく出席停止の日時を調べることを約束して、お開きになりました。
土曜日にそのあやしい欠席の日付を調べて、月曜日に担任に確認したところ、真相がわかりました。

その日、欠席の理由をお母さんに聞いたところ、「熱はありません」と答えたため、感染症にしなかったということでした。

ぼくは、この先生には、取り入れてはもらえないと思ったので、次のことを言いませんでした。

「そういうときはね、優しい声で『ホントに熱はないんですか?』って、3回聞くんだよ。そしたらね、『ちょっと熱っぽいです』って答えるから」

結局その子は、なんとか卒業できました。
その直後にぼくは早期退職し、年休を目一杯とってその場所を発ったので、その後のことはわかりません。
夢の実現に向けて、あのときの作戦を実行していてくれたら、と祈っています。

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