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右往左往時計の針を遅くしたい

会議をして、長めの散歩をして、風呂で花粉を落として、昼寝して、仕事して、ご飯食べて、仕事して、「まだやっておきたい仕事ある」とぼやきながらベッドでうつぶせ。

淡々と、とつとつと、朴訥とした語りに憧れている。そういう語りのそばにいたときに、自分のそわそわせかせか右往左往時計の進みが穏やかになる。右往左往することはあっていいのだけれど、針の進み具合はできるだけゆっくりであってほしい。

場の針の進みが穏やかになる自身のふるまいをすこしでも身につけたいけど、あまり得意じゃないのかもしれない。だからなんとか言葉で共有して共通認識をつくろうとしたがるのかもしれない。個人の知識や経験だけでは針の進みを変えるのはなかなか難しい。だから環境としてそれがしやすい場が日常のなかに、他者との関係のなかに、さも当然のような顔して存在していてほしい。

「自分は積極的な意思表示をしていない。でもなんとなく求めているであろうことを察して、手渡してくれたり、関係性を構築しようとしてくれること」のありがたさとおそろしさも引き続き考えている。他者から見たときに自分が持っている(ように見える)ものを見据えて、先に差し出されているのかもしれないという視点は忘れたくない。ほしいもののために積極的に期待に応えるというやりとりのみを増やし続けてはいけない。期待に応えないと権利や尊厳が守られないという文化はおそろしい……と書いたけれどちょっと飛躍しすぎて、それはそれでおそろしいので、おそろしいから今日はおしまいまだやっておきたい仕事はある

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