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住友春翠ノート

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住友春翠と、そのご子息の泉幸吉について、思うことを気軽に書いています。
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#泉幸吉

「バロン住友の美的生活」展第2部

茶臼山-現在、大阪市立美術館のある辺り-は、昔は住友家のお屋敷が建っていた。そこには大きな屏風が飾られ、絵が掛けられ、お客様がいらっしゃったら特注の食器でパーティー。そしてご主人様はお茶を点て、絵も書も篆刻も。

この夢のような生活は、しかし、わずか数年ほどで終わる。贅沢をし過ぎてお金が続かなくなったのでも、ご主人様に何かあったのでもない。ご主人様が、お屋敷のある土地を、美術館にすることを条件に大

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参考文献

本来、参考文献はその文章の末尾に書くものだと思うのだが、この「住友春翠ノート」については、これから参考にするかどうか未定のものもまとめて、ここに挙げさせていただくことにする。

公益財団法人泉屋博古館『住友春翠』2015年

「住友春翠」編纂委員会『住友春翠』1955年

住友吉左衛門『泉幸吉選歌集』1994年 ※第十七代

泉幸吉『歌集 途上』1994年 ※奥付には「住友吉左衛門」とあり。第十六

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泉幸吉と菓子

泉幸吉の歌に菓子を詠んだものはあるか。探していたところ、歌集『途上』に一首見つかった。

食べたしと母が欲りする菓子のたぐひ衢(ちまた)にいまは賣らずなりたり

昭和15年。父の春翠はすでに亡く、母の満寿は病の床にあった。彼女のことを伝える資料で私が目にできるものは春翠の伝記、住友寛一(春翠と満寿の長男)の文章、そして泉幸吉の短歌だが、とにかく物静かで自己主張をしない、おとなしい人だったようだ。春

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レクイエム

レクイエム

浜側に向かって歩く靴音も少し湿り気帯びて来たりし

迷いようもない気がしつつゆっくりと国道2号線を横切る

子どもらがボールを蹴りぬいにしえの御曹司らの生まれ変わりか

かつて山羊が飼われし庭に犬二匹目的もなく走り回りぬ

須磨海浜公園かつて洋館がありし温室も花園もありし

焼夷弾の炎のなかでうつくしく崩れてゆきしもののかずかず

レクイエムのようなさざなみいつの日か海を越えると言いし日もあり

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