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産後育児中における劣等感との付き合い方

他人を通して自分を見たり、大勢の他人を見て自分のスタンダードを作ってしまうタイプにとってはどう考えてもSNS向いてなかったりするんだけど、それでも産後って孤立しがちで、Twitterとか Instagramでもないと誰かと繋がったり共感できないこともしばしばある。

育児って情報戦みたいなところがあって、もしSNSを通したママ友ネットワークを構築できていると、自分で情報収集するにはコストがかかりすぎる情報にすぐありつける。
これって常に隙間時間でスマホしかできないような育児中の人にとって相当ありがたい。

でもなんか、SNSしていてわけもなく落ち込むのって、もしかして自分がいる環境、もしくは我が子をとりまく環境って自分の思うベストじゃないんじゃないかと思うことが多くなってきた。
それって多分、周りを見る余裕ができてきたのもあるし、それぞれママ達が仕事復帰したり一時預かり利用したり、それぞれのスタイルが見え始める時期だと言うのも大きい気がする。

育児ってひとりでするにはとてもしんどくて、お金もあるのとないのとでは全然違う。
それ以前に体力的、精神的にどれだけタフかってことが重要で、何か欠けてると万全な子育てって感じがしない。

別に完璧主義者じゃないし、身の丈を知らないとかそういうことじゃなくて、生まれてきてくれた我が子があまりにも尊くて大切で、我が子を取り巻くピースのほころびが他人によってあらわになってると思うことがあるという話。

そしてそれは他責傾向が強いわけでもなくて、子育てしてる中で自分と他人の境界が曖昧になってることと、我が子が可愛すぎて自分の実力を超えた環境を与えたくなる欲が出るだけだと思う。

赤ちゃんって話せない。赤ちゃんに一番近い大人が赤ちゃんの意思を汲んであれこれしてあげなきゃいけない。
そうすると、どんどん自分と赤ちゃんの境界が曖昧になっていく。

赤ちゃんが泣いていたら悲しいし、笑っていたら嬉しい。鏡みたいだ。
共感する力、想像する力があまりにも働きすぎちゃって、そんなときにSNS見ると落ち込んだりする。
自分と他人の境界がどんどん曖昧になっていく。

育児中って不満だらけだ。
夫がもっと動いてくれたらなあ。もっと共感してくれたらなあ。
赤ちゃんと一緒にいたいなあ。でもひとりにもなりたいなあ。
母乳で育ててあげたいなあ。でも乳腺炎がこわいや。
お金があったらなあ。あれもこれも良いものを買ってあげたいなあ。
働きたいなあ。でも働かずに赤ちゃんとできるだけいたいなあ。
両親や義両親がいればなあ。近くにいたらなあ。適切な距離感でいられればなあ。手なりお金なり援助してくれたらなあ。
我が子の発達が気になるなあ。…とかとか。
SNSしてるとそんな自分の中の小さな不満が相対的に知らずしらずに大きくなっている。
産前の自分がどう考えていたかなんて忘れて、良くも悪くもドライでいられなくなる。

育児って自分の状態に関係なく否応なく「最低限」をこなすことを求められる。
その最低限からどれだけプラスしていけるかって、育児の理想をどのように持って、そこまで辿り着く気力体力があるか勝負。
だから人によって理想が違うし気力体力も違うのだから、全てが違って当たり前なのに我が子を前に罪悪感を抱いてしまう。

でも大人である私は誰がどんな育児をしているのか見えるけど、赤ちゃんである我が子目線で見れば親が与える世界が全てだから、我が子の目からは比較対象がない。
勝手に親の気が散ってるだけ。赤ちゃんの目に見える世界がハッピーならそれで良し!と思っては、生理前に打ちのめされる、なんてことを繰り返す。

我が子を愛しているからこんなに悩むんだね。そこだけは比較しなくていいから楽だ。

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