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「人は、自らの意志で奴隷を選択?」

お玉:ドバイでのGlobal Sustainability Network(GSN=SDG#8全体を達成するためのネットワーク)のコンファレンスに出ていて、ポルトガルの貧困層の出身のマリアさんの話を聞いたんだよね。彼女は、掃除婦からエミレーツ航空の乗務員、そしてプライベートジェットの乗務員となって、バングラディシュに行ったんだ。そこで目にしたスラムの貧困は自分の体験してきた貧困とは全くレベルが違うものだった。仕事柄、所謂お金持ちとのネットワークができたこともあり、彼らからの支援を受ける形で、子供達のための基金を立ち上げた。同国内でシェルターを立ち上げ、安全と教育を確保して600人もの子供たちを救ったんだ。コンファレンスでは、実際に救われてマリアをマムと慕う青年が4人登壇し話をしてくれたが、僕にとって、涙なくして聴いていられない体験となった。一方で、その600人はスラムでの生活を続けていたら、本当に不幸だったのかな、という疑問も湧いちゃったんだよね。ちょっとひねくれてるけど。

あとさ、GSNってSDG#8達成のために、ICPOと組んで人身売買撲滅を図ったり、大学との協業をしたりしようとしているんだよね。SDGsってそれぞれのKPIがあってさ。その目標値と現実値の乖離をヒートマップとして見える化し、ヒートマップ上の熱い場所(乖離が大きい場所)で、アクターを探し、資金援助を行ったり、キャパビルをしたりっていう具体的な動きに繋いでいくという。それでヒートマップ上で日本はどのように映るのかなぁ、って。ゴール8.7は奴隷制をなくすことを謳っているので、ついつい途上国のイシューと捉えられがちなのだけど、日本の中にも奴隷化させられている人間が多くいるんじゃないか、て感じるんだよね。

現代日本は奴隷国家?

Yuppo:売春問題持ち出すまでもなく僕は日本って普通に奴隷大国だと思ってます。先日国内のある都市で講演したときに、「奴隷制に反対か、自分は自由だと思うか?」って聞いたんです。最初、40人が奴隷制に反対、40人中38人が自分は自由(奴隷ではない)って答えたんです。ところが、資本主義ゲームの中で価値観を見失っている会社や、組織の中で個々人が翻弄されているサラリーマンあるあるを思い浮かべてもらって、講演終わる頃にもう一度同じ質問したら、今度は奴隷制に反対って人は2人だけになっちゃった。興味深かったかったのは、全員が自分は奴隷と答えたこと。こんなクリティカルな認識の変換が生じるのって、自分が自分であることの意識を奪われている(いつの間にか失っている)からだと思うんです。この「意識を奪われている」っていうのが究極の奴隷状態だって意味で奴隷大国なんです。

お玉:社会の都合、会社の都合でやっているように傍から見える事柄でも、自らの意志でそれをやっていれば、精神的な隷属ではないのかもしれない。日本の例から離れて頭の体操をすると、ドバイやカタールに来ている出稼ぎ労働者の労働環境は劣悪で、現代版奴隷制の下の強制労働だという批判がある。誘拐や人身売買、強制的な児童労働は撲滅させるべきとは思うけど、出稼ぎ労働者たちは自由意思で選択して働いている面もあるよね。「10年間現場で働いて、家族を食べさせた上で、故郷にグローサリーを作るぞ。」って夢を持ったりしているんだよ。そういった人たちにとっては、傍から「奴隷制だからやめさせろ!」って言われても、それによって望まない形で働き口を奪われてしまう。コレって奴隷って言うの?

形式的奴隷と実質的奴隷 騒ぐべきでない問題と解決すべき問題

Yuppo:夢持って頑張ってる人のやり方を外野から「良くない」って騒ぐのって、その人の夢の実現プロセスを奪ってる人格や意向を無視するその態度こそ、人を馬鹿にして奴隷に仕立ててる。”奴隷良くないって言う方がSDGs的だよね"ファッションに安易に乗って滑稽な話。
日本の場合、自分の意思よりも社会的・人工的な規範(artificial code)に沿うように、意識的にか無意識的にか隷属させられてるところもあると思います。夢を持って会社に入ったつもりが40年間のサラリーマン契約のうちに、夢が徐々に削られていることに気づけない。辞めた後の人生が見えないから辞められない。やりたいことないから辞めることもない、っていう風に、そこから抜け出るエネルギーまで削られてる。抜けようとしても抜けられないのが奴隷なら、こっちの方がよっぽど解決すべき深刻な実質的な奴隷問題。

自分の立場や環境に自覚を持つこと

お玉:残念ながら言えてるよね。。。極端な物言いは承知で敢えて言葉にすると、出稼ぎ労働者は能動的意志を持った奴隷、日本のサラリーマンは受動的で意識を奪われた奴隷、と言えるかもしれない。Yuppoの講演を聞いた人たちは、自分の置かれた立場や今までの人生を振りかってみたら、奴隷制について「悪くないかも?」、「必要かも?」と言う自覚を持ったわけだ。ただ、その自覚を持つことが、自分の人生を自分で描く上での大きな一歩に感じるな。だって、自分の人生を自分で描いてくって、こんな段階を進んでいく感じじゃない?
 ①気付いていない段階
 ②気付いた上で、変える必要がないと考える、もしくは、変えられない、段階
 ③気づいた上で、変えたい、変えようと努力している段階
 ④変える行為が習慣化し次のフェイズに移行している段階
この①→②の段階に進むことで、漠然と得体の知れない閉塞感や苦しみの減少につながる事ってある。それが「この指とまれ」的、大きな一歩。一方で、気付きによる、苦しみの増加という側面もあるとは思うけど(笑)

Yuppo:気付いていないっていうのは、能動的に目の前に向かってそこに全集中だからって面もあるかもしれない。だからそういう人まで奴隷とは言えないかもだし、そういう人に向かって「あなた奴隷って気付いてないの?」なんて言う必要はない。けど、少なくともファッションに煽られて「奴隷制根絶」とか無自覚に言っちゃって、他者を人格ある人間と看做していない人がいるとしたら、②の段階を一旦かみしめてほしいですね。

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