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世論と輿論/差別への矛盾的批判

岸田総理の荒井秘書官が差別的発言で更迭

Yuppo:日本では、2月初週末、岸田総理がオフレコでLGBTQの人たちを差別するような発言をした秘書官を更迭したんですよ。それでも週跨ぎで与党も野党も世論もこの秘書官に批判ごうごうです。でも、あまりにも世論が一辺倒すぎるから逆に気持ち悪くて何がどう問題なのか、あるいは問題とされていないことに問題は無いのか、落ち着いた俯瞰が足りないんじゃないかと思うんです。

お玉:世論(せろん)に煽られてばかりではなく、輿論(よろん)を起こしていくことも重要だよね。あとでこの話したいけど、ちなみにYuppoにはその更迭問題の景色、どう見えてるの?

差別ってどういうこと?

Yuppo:僕にはLGBTQっていう個別の社会イシューの是非よりも、イノセントに行われている差別や排除の問題の方が大きく見えています。
ある属性を有している人を一括りにして、扱われた側がネガティブな感情を抱くような拒絶的取扱いをする事が「差別」と世間で言われているようですが、他者の差別的言動には敏感なのに、自己の差別的言動には無邪気な人が多いのじゃないかなと。

お玉:堅苦しい定義だね。簡単に、「●●の試験で▲▲点以下だった人は不合格」と扱うのも、「不合格だった人って○○だね」と言うのも差別?

Yuppo:そうなんですよ、お話ししたいのはそーゆーこと。差別問題って、何は共有できて何は共有できないかの争いになりやすいんです。だから、少なくとも学力差別は正当な差別でLGBTQ差別は不当な差別って言う信仰めいた先入観を押し付けではなく、差別する側もされる側も共有できる基準かどうかが重要です。

お玉:①本人の努力でどうにかなり得たものについて結果的に異なる扱いが生じてしまうのは正当、②本人の努力ではどうしようもない属性についての差別は不当。③正当な差別だからといって貶める目的で行うなら不当、と言う線はあるかもしれないね。

Yuppo:それありますよね。言動の際は、された側がネガティブな感情を抱くかもしれない可能性への配慮というのは、どんなシチュエーションでも必要だと思います。じゃあ、今回の秘書官に対する攻撃的な世論や更迭という拒絶はどう理解するべきなんでしょうか?

発言は逆に、同性婚法制化を狙っていた?

お玉: あんまり報道を見ないから分からないけどさ、岸田さんは、本当は同性婚の法制化を考えているんじゃないかな。「社会が変わってしまう課題。」と先週の国会で答弁したのは、バックからの圧力に屈したように見せかけた観測気球だったのでは?更にそれを側近が擁護することで、世論(せろん)が炎上するように仕向け、一気に「それはおかしい」とまくし立てることで、しぶしぶ(に見える形で)法制化に進む。「泣いて馬謖を斬る」G7前にそんなシナリオを描いたとしてもおかしくないよね!?

Yuppo:確かに。ある与党幹部は、この秘書官の発言は「わが党の考えとも全く相いれず」って言ってます。じゃなんで早急に同性婚法案を提案しないの?って話になります。
ただ、もし法制化狙いで腹心の秘書官を斬るという大一番の狂言を打つなら、もっと格好良く更迭と任命責任を謝罪する演説をすると思うんですよ。例えば「先週の答弁と言い、今回のことと言い、わたくし自身がこの問題について最も不見識であったことに気付きました。かくなる上は、与野党皆さんの挙国一致で同性婚法案を今国会の最重要法案として成立させていただきたいと考えます」みたいに。でもそんな感じ無いので、多分想定外のチョンボじゃないすか?

批判者側も批判の理屈を反省した方が良い

Yuppo:政局の紛糾みたいな面をもう少し見ると、ある党の代表は「常識外で時代錯誤」と秘書官を批判してます。この批判はなぜまかり通ってるのでしょう?LGBTQを擁護しさえすればそれで良いのでしょうか?性的少数者も社会の多様性として包摂されることが重要という理念ならば、「常識か」(つまり世の多数派)や「時代に即しているか」(多数派も少数派も皆共生しようという世の中の空気)を理由に特定発言を拒絶するのは、この理念に矛盾しています。つまりこの秘書官がした発言と同じことをしてるこの人の理屈を通すなら、常識や時代が変わればLGBTQ差別は正当な差別ってことになり得るけど、そうなの?今回の事案を問題視するならば、元の発言をした人だけでなく批判している人も同じ穴の狢であることに気付くべきです。


世論と輿論

お玉:ああ、同調圧力ね!その問題は、地球温暖化についても、コロちゃん騒ぎについても、同じことが言えそう。「真実」は横に置かれ、ストーリーとそれを肉付ける断片的な「事実」を並べることだけで、世論が形成される。大体、今の世論(せろん)ってPopular Sentimentsでさ、本来の世論(よろん)であるPublic Opinionとは掛け離れちゃってるように感じるね。戦前まではそれぞれを違う漢字を用いて、世論(せろん)、輿論(よろん)で区別していたのに、戦後、「輿」を常用漢字から外し、2つをごっちゃにしたんだよね。意図的なものを感じるけど、世論(せろん)Popular Sentimentsであれば、マスコミによるプロパガンダで簡単にコントロールできちゃうから好都合だったんだろう。これもまた、知識レベルvs叡智レベルの違いと同根。ただ、この深堀りは大分、闇が深そうなので、続きはまたの機会にしよう!


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