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Short Story:鰹節を商います

*tentative (国会図書館デジタルコレクションが模様替えして新資料がある)

翻案:「江戸の起業家・高津伊兵衛」

伊兵衛は思い出す。鰹節を商っていた頃を。

「おぅ、生まれたか」
伊兵衛は雑穀商の家に生まれた。6人兄弟の末っ子だった。

「伊兵衛も12才か。年季奉公に出さんとな」
「どうしても江戸に出すんですか」
「江戸は、ほれ、新参者を受け入れてくれるけに」

父は伊兵衛を江戸に連れて行った。連れて行かれたのは穀物商だった。
「しっかり勤められよ」
伊兵衛は言われるままに仕事をこなしていった。その内、伊兵衛の働き方は主人の目に留まった。弟子を育てるかのように、何事かにつけ、店主は伊兵衛に教え込んでいった。

店主の目の付け方に狂いはなかった。伊兵衛を、19才で、店主名代として、上方に登らせた。店主は油屋も営んでいた。伊兵衛の尽力で、大阪の諸藩にも納めるようになった。

「お前はよくやる。」
店主は褒めたが、引き立てられない奉公人は快く思わなかった。伊兵衛は居心地が悪くても、精一杯働き、成果を上げていった。店が繁盛すると、店主は遊興に耽りだした。それを諫めると、店主まで疎んじるようになった。店主から、
「You are fired. 」
と言われたわけではなかったが、伊兵衛は独立を考え、江戸の日本橋で鰹節や魚の干物を戸板2枚から売り始めた。20才になっていた。商品の目利きがいいのか、飛ぶように売れた。時は元禄、華やかな文化が開く時代だった。

鰹節は室町時代に生まれた。大阪が本場だった。元禄期になると、鰹節のカビ付け技術は進歩していた。長期保存も可能になっていた。伊兵衛は目ざとく、カビ付けと乾燥方法を改良して品質の向上に努めた。伊兵衛ばかりではなかった。競争するように「江戸の鰹節」を開発していった。

「なに、かつおぶし・・・」
「縁起を担げるな」

江戸には武士が多い。鰹節が「勝男武士」に通ずることから武家が好んだ縁起物になった。祝い事に贈答品として利用され、行事の際にも利用された。

「鰹節の出汁はうまいよな」
「絶品だね」

元禄時代は料理の多様化が進んだ時期でもある。今にも続いている鰹節を活用した煮物や汁物が流行った。そのような動向を、伊兵衛が見逃すはずはなかった。伊兵衛は鰹節専門の問屋を開業した。

「この間は良くない鰹節を掴まされたよ」
「それに比べれば、伊兵衛さんの鰹節はいいね、ダントツだね」
「それに、安い」
「まぁ、掛け取引はできないけどね」*「掛け取引=商品の代金に一定の掛け率を掛けて販売し、それを買う」
「現金取引だね」
「よい品を安く売る、か」
「良品廉価主義だね」*「廉価」は、当時、取引されていた鰹節に比較して安いことを意味するが、通俗的表現である。「廉価」という概念は適切ではない。
「現金、掛け値なしか~」*この方法が後に普通になっていく。
「三井の呉服屋が始めた方法だね」*当時、画期的な方法。
「鰹節でね。いいこと考えたものだ」

伊兵衛は50才になる前に、なんと間口24間(約44メートル)の大店を開いた。伊兵衛は鰹節商品の技術を進歩させ、当時の慣習や、慣例に囚われない革新的な「商法」を行い、江戸の民の要望に応えていった。伊兵衛は革新的起業家といってもよい。

*続

参考本
・原田信男編(2014年)「江戸の起業家・高津伊兵衛」『江戸の食文化・和食の発展とその背景』小学館、160-162頁。