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トラベラーズノート。

トラベラーズノートを初めて文房具屋さんで見かけたのが、30歳の頃。

「旅する人のための手帳なのか」
と思った私は、初めて出会ったトラベラーズノートにちらりと目を留めただけで素通りしていった記憶がある。

旅行は好きだけれど、そんなに頻繁に行くものではなかったから、自分からは縁遠い手帳なんだと思い込んでしまっていた。

それから長男が生まれて、間もなく私は毎日のように最寄り駅に電車を見に通うことになる。電車が本当に大好きな長男に付き合って、1~2時間ほど線路脇から電車を眺めたりホームで電車を見送ったりする日々だった。電車にあまり興味がなかった頃、「ちょっと暇だなァ」と感じながらも、歓声を上げる長男の笑顔に根負けしていた。

ある日。
いつものように、駅のホームから長男と電車を見送っていたときに、唐突に最寄り駅のホームが宇宙ステーションのように感じ、走り去る電車が特別な宇宙船のように見えた瞬間があった。それが、私の「鉄」になった瞬間だった。

もとから「鉄」だった主人はそれを喜び、「とっておきだ」と話す国鉄C62形蒸気機関車の古いDVDを私に見せてくれた。モノクロの画面の中、猛烈な勢いで黒煙を上げながら爆走するC62、通称「シロクニ」は、それまでの蒸気機関車のイメージとは全てが違っていた。

蒸気機関車には、観光客を乗せてシュッシュと優雅に走るイメージがあった。しかし、目にしたのはこんなスピードが出せるのかという猛烈な勢いで真っ黒な森の中を疾走する蒸気機関車の姿だった。1954年当時で時速129kmを記録しており、狭軌幅のレールを走る蒸気機関車の中では世界最速だと言われる。動輪径は1,750mmだから、私の身長を優に超える車輪の大きさであることがわかる。

C62は、戦後の日本を走り抜けた蒸気機関車の1つ。その力強い走りが日本の復興を支え、多くの人達の心をも力強く支えていたのだろうと思う。そして、私の心も強くかっさらっていった。

それから、蒸気機関車グッズを少しずつ集めることが私の楽しみの1つになっていた。ふと、「蒸気機関車の手帳はあるんだろうか?」と何気なく思って検索したところ、東京駅限定のトラベラーズノートがすぐにヒットした。「これだ」と思った私は、翌日には東京駅に足を運ぶことになる。

登録者100人突破を記念して、当時に作った「登録者100人記念の盾」が付いている

道に迷いながら東京駅のトラベラーズファクトリーを探し、トラベラーズノート東京駅エディションを初めて目にしたときの感動は忘れられない。蒸気機関車が金箔押しで凛々しくプリントされた1枚革の素晴らしい手帳を目にして、「旅人向けだから……」などという言葉も浮かばなくなっていた。

手帳の使い道など、家に一緒に帰ってから考えれば良い。
連れて帰らない理由などない、と心からそう思った。

トラベラーズノートは、1枚革で作られた本当にシンプルな作りの手帳。中に渡されているゴムバンドでノートを固定すれば、複数のノートを挟むこともできる。綴じ手帳を使い慣れていた私は、少し不安定な固定方法に始めのうちすら違和感があったけれど、すぐに慣れてしまった。

お出かけ記録やお菓子のパッケージ記録からトラベラーズノートを使い始めて、気が付いてみれば6冊のトラベラーズノートを所有している。鉄道手帳や言語を学ぶ手帳、お絵描き手帳など、自由気ままなペースで使用する手帳として使っている。

トラベラーズノートの魅力の1つに、素朴な革の背表紙が並んだときの可愛らしさもあると思う。手帳机のセンターにトラベラーズノートのパスポートサイズを並べているのも、そんな理由からだ。

トラベラーズノートを使うようになってから、「人生そのものが旅だ」と思うようになった。だから、誰が使ったって、どんな用途で書いたって、自由で全然構わないんだと思うようになった。

そして、2024年の抱負は、「黒革の成田空港エディションのトラベラーズノートを使い込むこと」だ。黒革の手帳にひっそりハマっているというのもあるけれど、今まで自宅で過保護に育ててしまっていた成田空港エディションを、外に持ち出してハードに扱っている。

この黒革をハードに扱うと、どんな経年変化をするのか?
心から楽しみにしながら、初めてのコモンプレイスを実践しているところだ。
味わいが増してきた頃、その様子も是非動画からお届けしたい。



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