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ep.24 想定外。
2006年1月に独立してあと少しで1年という頃。僕は台湾で震えていた。
そもそも独立を考えたのは、ドイツワールドカップがあったからだ。大きなイベントのあとは景気が冷え込む。だからこそ、なるべく助走をつけて祭りに挑もうとタイミングを図っていた。
そのためには柱が必要だ。
まずはスポーツ総合誌A。ここでは主にサッカーやインタビュー取材、連載まで任せてもらえるようになっていた。
そして、同じくスポーツ総合誌B。僕の可能性を最初に拾い上げてくれた雑誌だ。こちらではサッカー以外の作品の掲載が見込まれていた。
最後は主に五輪種目を掲載してくれるテレビ誌C。こちらではその作品撮りの合間に撮れる有力選手の写真が見込まれていた。
最大の目標だったワールドカップの写真を使ってくれるA、もうひとつの目標だった個展にむけた作品撮りを支えるB、そして、その活動を後押ししてくれるC。
僕にとってその関係性は理想的だった。だからこそ、独立ができたのだと、今でも思っている。
フリーになって半年は目まぐるしい毎日だった。
エジプト、シドニー、香港、欧州各国の遠征、そして、ドイツワールドカップ。その合間で競泳や陸上の取材もこなしていたし、自分でも驚くほど順調だった。
しかし、最初にほころびが出たのはフリーになって最初の海外出張でエジプトにいるときだった。雑誌Cが廃刊になるという噂を耳にしたのだ。
「まじか、、」
さらにドイツの計画を練り始めた春先。今度はワールドカップを最後にBが廃刊になると告げられた。
「えええええ、、いい雑誌なのに、、、」
そして、秋が深まる頃、僕は台湾にいた。
雑誌Aの仕事で野球取材していたのだ。同行していた編集者から、年内で休刊が決まったことを告げられた。
「えええええええ!!? 嘘ですよね??」
柱として考えていた3誌。リスク分散まで考えた3誌だ。そのすべてが1年でなくなるとは、誰が考えるだろうか。
あまりの事態、いわゆる想定外に僕は震えた。
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