ep.13 独立。
2005年の師走が近くなった頃、僕は悶々としていた。
2002年の夏に写真を始めて3年と少し。僕はフォトエージェンシーの契約社員として平日内勤、週末カメラマンのスタイルを貫いていた。
しかし、2005年は活動範囲が広がり、週末だけに留まらなくなっていた。最初は有給休暇を使っていたけれどすぐに使い果たし、最後は上司や先輩の理解を得て欠勤扱いで活動を続けさせてもらっていた。
この状況が良いとは思っていなかったから、そろそろ決めなければいけないと感じていた。つまり、カメラマンとして生きていくのか、諦めるのかを。
当初は会社の収入がなければ生活を維持できなかったけれど、この頃になると写真の収入も着実に増えていた。これ以上、増やしたいならあとは独立しかないところまで来ていた。
僕のことを気に入ってくれていた編集長からは「お前がそこで働いてるうちは仕事を振りにくい」と言われたこともある。
翌年にはドイツのワールドカップも控えていた。祭り前は稼ぎ時だし、祭りのあとは景気が冷え込むことも織り込み済みだ。それらを考慮すると祭り直前の独立はリスクが高い。独立するならば、なるべく高く遠くまで跳ぶ必要があった。そのためには助走が必要だ。半年は助走つけたいなぁ、そう思っていた。
その祭りは2006年6月に始まる。今は2005年11月だ。
いつ独立するの?(はい、みなさんご一緒に〜♪)
「今でしょ」
独立のための舞台は整っていたと思う。それでも安定を捨てられない僕がそこにいた。その反面、勝負したい気持ちもあった。僕に足りなかったのは、ほんの少しの勇気と度胸だった。
2つの相反する思いの中で悶々と過ごしていたある日、社長に呼ばれた。社長は僕がカメラマンとして活動していることも知っている。世間話のあと僕の進路について聞いてきた。
「で、タカスくんは今後どうするつもりなの?」
あああ、、いやあああ、、えええ、どうしましょ、、。
「うーーーーん、辞めます。辞めさせてくださいッ」
僕の脳みそは長考向きではない。日頃の疲れのせいか、暖房のせいか分からないけれど、このときはとにかく頭がボーッとしていた。だから、最後はあまり深く考えず本能に従ったのだと思う。そうじゃなければ、フリーランスになるなんて大それた決断を、ビビリの僕ができるはずない。
こうして2006年1月、3年10ヶ月お世話になった会社を退職して、僕はカメラマンとして独立した。
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