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#35 今こそ Public health mind を

今日は、自分の個人的な思いというものを、つれづれに書いてみる。

自分は医師であるが、「国際協力」や「公衆衛生」などに興味があり、これまで勉強をしてきた。海外のNGOの活動に参加させていただいたり、WHOでインターンをしたり、公衆衛生大学院で勉強をさせていただいたりした。

自分の中で一つ大切にしているキーワードがある。

” Public Health Mind ”

人々の、身体的・精神的・社会的な健康を実現するために、体の一部だけでなく、一つの疾患だけでなく、人々の価値観や気持ち、そして生活環境までも含めて包括的に考えて、アプローチする姿勢だ。そのためには、幅広い視点で物事を考える必要がある。

では、今回の新型コロナ対応はどうだろうか。

世界が infodemic に陥り、コロナが全てのようになってしまった。何をするにも、コロナ対策は?感染症対策はどうする?という懸念がつきまとう。コロナばかり・・・ 

日本の政治改革や米国大統領選などもそうであったように、たしかにsingle issue は、聴衆の興味を引きやすい。しかしどうだろうか。人々の生活はコロナのことだけではない。日常があり、経済が回っている。

コロナは幸い、風邪のウイルスである。さらに日本は神風が吹き、致死率も低い。コロナは風邪の一つという扱いにおさめて、医療で対応すればよい。市民はもっと自由な生活に戻るべきだし、戻れるのだ。

今回のコロナ対応で、感染症専門の方々の多くは、一気に飛びついた。それは必要なことであるし、ぜひ専門的知識を教えていただきたい。しかしあたかもそれが全てのように扱われると、さまざまなところに影響力が派生してしまうので、発信の仕方には注意をすべきだ。個人的には、このコロナ災害だからこそ、「公衆衛生の専門家」の出番だと思っていた。コロナの感染疫学的な視点の分析も必要だが、それだけでなく、それらが社会にもたらす影響を、幅広い視点から指摘していただけると思っていた。しかし、公衆衛生の専門家の多くも、「コロナばかり」になった。コロナ論文を執筆する、分析することに追われることになった。全体から見れば数が少ないコロナ患者さんをコントロールするよりも、もっとインパクトのある疾患・事象が今も起こっている。なぜ経済的困窮者の健康状態にもっと注目しないのか? 明らかに増えた自殺者のことにもっと目を向けないのか? (日本は超過死亡は減ってはいるが)他の疾患をもっと考えないのか?(途上国などでは)コロナ以上に亡くなる方が多い疾患もたくさんあるのに、なぜそれに予算がつかないのか? 教育の機会がかなり損失されたが、その影響は考慮されないのか? 差別が広がり続けているが、なぜもっと大きな問題として扱わないのか?

自分は大学院で、感染症以外のこともたくさん学んだ。Stigmaが、人々の健康にとてつもなく大きく影響することを知った。経済学や心理学との融合も必要であると感じた。そして、adovocacyも大切な役割であることを理解した。

「後で、コロナが及ぼした影響を検証する必要がある」では遅いのである。この2020-2021年を、人々の健康に関わる身として生きている中で、「今」何ができるかなんだ。

「公衆衛生」の道を目指して勉強してきた自分にとって、今回のコロナ対応の現実を残念に思っている。日本は臨床家や業界団体の意見がやはり強いのだということも感じる。専門家だけのせいではないのかもしれない。これだけ大きな災害として扱われてしまった以上、今や肩書きどうこうではななくなった。もちろん、がんばって活動されている方々も多くいらっしゃることを知っている。なかなか声を上げにくい社会の中で、勇気を出して声を出されている方々を尊敬している。いずれにしても、真の意味で、" Publich Heath Mind " をもった方々にがんばっていただきたいし、より多くの方々に幅広い視点をもっていただきたいと思っている。そこまで大それたものでなくてもよい。コロナ報道におどらされるのではなく、冷静に落ち着いて社会を見つめ、「人々の健康について想像する力」をぜひ持っていただき、そのために何ができるか、ぜひ多くの方々に考えていただけたらと思っている。そしてその答えは、「コロナと戦おう!」ではなく、「コロナを認め、人間らしく生きていこう!」であってほしいと思っている。

※ 今日は、知識の共有というよりは、つぶやき・ツイートになってしまったが、コロナ災害において今自分が考えたことを記しておこうと思い、記載した。もちろん自戒の念もこめてである。もし参考になる点があれば幸いである。