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日記#78「カレーから論破」220107

・スープカレーsuageに行くと、入ってすぐの看板に「炙り牛タン&ネギ塩カレー」なる文字を見つけた。これは好奇心以外では動けないメニューだと感じ注文した。

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・感想としては、あまりにも「焼肉屋」でおもしろかった。牛タンを口に含んだ瞬間に頭によぎる焼肉屋の煙を吸い込むダストと焼肉タレの味わい、生ビールを感覚。スープカレー店にいるのにこのときだけは魂が焼肉屋に連れて行かれてしまった。焼肉店は冥界。牛豚鳥羊は家畜ではなく地獄の獄卒だったんだ。

・画像ではわからにくいが、牛タンから出たであろう油がスープをかなり侵食していてそれもおもしろかった。コクが出ていておいしい、が、文字通り油を飲んでいるのでかなり腹が圧迫される。代償はデカい。これは大学の文化祭で人気になるべきメニューだ。

・年齢を理由にした物言いが苦手だったりする。「若い内しかできないからね〜」とかそういう類の。しかも大体染髪やらピアスやら旅行だったり。できるだろ、やらないだけで、と思ってしまうのだ。もし義務教育に対して言ってたらその通りだけど。

・もしそこで「いつでもできますよね? できないのではなくやらないだけで、あなたが『やらない』を選択している、もしくは若い内しかできないものと決めつけ、思い込んでいるのでは?」とド正論をかましたらどうなるのだろう? 十中八九場の空気は急激な右肩下がりを見せるだろうな。そしてそれ以来その人との関わりの一切が断たれるのだろう……だから言わないほうがいい。思っても、言わないほうがいいことがここにある。

・ただ、ひろゆき等の配信切り抜きド正論ブームの現代なら、こうした発言を後先考えずに「論破チャンスだ!」と考えて口走ってしまう人とかいるんだろうな。考えるだに恐ろしいね。

・論破したい人間が増えているのに対して、論破されないように意識的に構える人はあまりいない気がする。まあそもそもコミュニケーションの中に「論破という選択肢」がある世界がなにかキテレツな様相ではあるのだけども。

・論破(合戦)が言葉の打ち負かし(合い)とするなら、論破されない、とはそもそも勝負という舞台に上がらないことなのだろうか。であれば論破されるということは一度武器を手に取った状態とも言えるか?

・とはいえだ。ひろゆきもスパチャの質問や意見に対してズバッと自分なりの答えを返している、いわば「論破風エンタメ」だと思うので、本当に相手が言い返せなくなるまで言い負かす論破とは違うんだよな。やはり論破なんてコミュニケーションの中で行われるべきではない。必要なのは議論なのだろうから。

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