#4 ちくわの場所がわからない男。「ものごとの導き方」を知る。
食料品の買い出しにイオンに行った。「狸や狐の出る場所に出店せよ」と郊外への出店から始まり、気づけば国内第一位の業績を誇るあのイオンに。
そこには生存に必要そうなものがすべて揃っているので、食料品を買うときはここに行く。何故ならそこにはすべてがあるから。
しかしそこでつい迷子になってしまった。ぼくは買い物リストにある「ちくわ」の場所がわからなかったのだ。
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食品料コーナーをうろうろとさまようこと10分。すでに買い物カゴに入れたキャベツが腐り始めていないか心配になる。
気が狂う寸前で視界の端に「ちくわ」を発見。冷蔵の「ちくわ・かまぼこ」コーナーにそれはあった。
安堵感と共に、何故ぼくはちくわの場所がわからなかったのか、と疑問が浮かぶ。
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そもそもぼくがちくわについて知っているのは「①食べられる」ということだけだ。それが野菜or非野菜かどうかも、常温保存か冷蔵・冷凍保存かも知らない。
思うにこれは「ちくわについての解像度が低すぎる」ということではないか。ちくわについて何も知らない、ちくわのフローチャートがないからそれがどこに陳列されているのかの検討がつかないのだ。
キャベツについては知っている。キャベツは「①食べられて」「②野菜」である。さらに「③イオンの野菜コーナーの場所」も知っている。そのものと環境を知ればキャベツの場所はすぐに割り出せるのだ!
逆にちくわについて知っていることは「①食べられる」。これだけ。これではとてもではないが……ちくわの場所など……。
しかしこれはチャンスだ。ちくわが「②何者で」「③その属性のものがイオンのどこにあるのか」を知ればぼくはちくわ探しに10分もの時間を割かなくてよくなる。
そうとわかれば、まずはちくわのwikipediaにアクセスだ。ちくわのwikipediaってなんだよ。
竹輪(ちくわ)は、魚肉のすり身を竹などの棒に巻きつけて整形後に加熱した加工食品であり、魚肉練り製品の一つである。
竹輪の起源は弥生時代とも平安時代ともいわれはっきりしないが、いくつかの室町時代以降の書物に「蒲鉾」(かまぼこ)という名で記されている。
へ〜。
ちくわがどういうものであるかと、ついでに歴史的な豆知識まで知れてしまった。ありがとうwikipedia。
これで「②魚肉の加工食品」である、ということが知れた。つまり野菜ではない。この「ではない」は重要だ。何故なら、「③その属性のものがイオンのどこにあるのか」を導くヒントになるから。
「ではない」を用いれば「野菜ではない」「肉ではない」「魚ではない」「乳製品ではない」「冷凍食品ではない」etc...と導かれ、「野菜etc...の場所にはない」と断言することができる。
ものごとを断言したり導くためには「それが該当しない候補を削除する」ことが必要だ。知らないけど気に入った歌が聞こえてきたら、まずは男女どちらに当てはまるか、もとい当てはまらないかを区別するだろう。アキネーターはそうやってぼくらの思考を盗む。
上記の「ではない候補の場所」を探さないことで、ちくわの陳列場所候補は一気に狭められる。こうしてものごとを判断し、導いていく。
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無限の中から正体の知らない何か一つを探し当てることは困難だ。もちろんそれは楽しくもあるが、ちくわの場所探しに時間を割くのもなんだかなあ。
だからぼくらは「探している何かの正体」を「ある程度知っておく必要」がある。ちくわの歴史や製法、各地の名産ちくわまで知る必要はない。ある程度でいい。どういうものかを少しだけ知っていればちくわの場所はわかる。
他のものごとだってすべて同じだ。何の知識もないものの正解を導くことは難しいが、少しだけ知っていればいいのだ。そうすれば自然とその隣のものが見える。隣にないものも見える。解像度が一気に高くなる。少しだけ知る、それだけでいい。
ちなみに苦労して買ったちくわですが、ぼくは嫌いなので食べません。さようなら。
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