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◆小説◆ おばあちゃんの喫茶店9「作っても作ってもカレー(後編)」

しゅんしゅんとお湯の湧く音が聞こえる。
静かな喫茶店の店内。
おばあちゃんが慣れた手つきでティーポットやカップを用意している。
三人のこどもたちはカウンターに座り、おばあちゃんのノートを覗き込んでいた。

さなえ「思ってた以上にまじめな話でびっくり」

はなび「おばあちゃんがそこまで考えてるとは思わなかった」

このは「そういや、お店始める前の話だけど」

はなび「え、なに」

さなえ「ここって、どのくらいやってるんです?」

このは「五、六年くらい前じゃないかな。私がまだ小学生で、はなびも小学校入学したくらいだったと思う。
その頃ね、やたらカレーばっかり食べてる時期あったわ」

はなび「そうだっけ?」

このは「ガチで研究してたんだなぁ」

おばあちゃんがガラスのポットにお湯を注ぐ。くるくると茶葉が踊り、紅く色づきながらふんわりといい香りが漂い始める。
こどもたちの前に丁寧にティーセットを置き、順番に4杯ぶんの紅茶を入れた。

さなえ「いい香り」

おばあちゃん「関係ないけど、6つの味に含んでないのが香り、見た目、触感、音です。味覚以外の五感で感じるものですね。
見た目から食欲をそそったり可愛かったり、食べる前やあとに感じる香りだったり。
舌触り、歯触り、喉ごしが触感ね。熱い、冷たいなんかもここに入るのかしら。お箸やフォーク、スプーンで感じる触感もあるし、手でものを食べる国では『まず手で味わう』って言われるみたい。
音はほら、ハンバーグがジュウジュウいってたり、シャキシャキする音が気持ち良かったり、見た目や触感に付随する感じかな。
これらの要素も味に影響を与えます。
あとはまあ、空腹は最高の調味料、味覚を鮮やかにする効果があるけど、これはお客さんの問題だから強要できないわね。
さ、どうぞ。お茶飲みながら話しましょう」

そう言って、ようやくおばあちゃんは紅茶に口を付ける。
こどもたちもそれに倣った。

さなえ「ん。なんか私、変な地雷踏んじゃいました?」

はなび「まだ本題じゃないのに、情報量の圧やばかったな」

おばあちゃん「で、飽きさせないカレーを作るためにはコクが大切だと、おばあちゃんは思ってるの。
うちのカレーは甘みと辛みが強いでしょ。甘みは最初に感じ、辛みは最後に感じる味覚。最初と最後で味のギャップを作ってるのね。
後味が辛いから、2口目の甘みを新鮮に感じやすい」

はなび「なるほど」

おばあちゃん「勘違いして欲しくないんだけど、なんでもコクがあればいいってものじゃないのよ。
さっぱりした料理だと、どれか一つの味や香りに特化した方が良かったりもするし。フルーツなんかにうま味を足しても気持ち悪いでしょう」

はなび「でも、みかんに醤油かけるとうまいじゃん」

さなえ「ゲー」

このは「醤油って旨みというより塩みでは」

はなび「醤油も旨いぞ?」

さなえ「ゲー。飲んでそう」

おばあちゃん「もちろん、組み合わせることで新しい美味しさが見つかるってこともあるわね。どんな味を目指しているのかっていうコンセプト次第じゃないかしら。
コクの他にも『キレ』なんていうのもあって。
これは味を感じる速度、味を感じなくなる速度で、キレの良さはゆっくり味が変わるコクとは共存しにくかったりもします。
味の時間を意識して料理することを、タイムコントロール・クッキング。おばあちゃんはそう呼んでいます」

はなび「やっぱり念能力っぽいな」

さなえ「つよい」

おばあちゃん「で、本題」

はなび「まだ本題じゃなかった!」

さなえ「そろそろ脳が限界を迎えつつあります」

おばあちゃん「コクを深めるために酸味が欲しかったんだけど、レーズンってちょうどいいなと思ったのね。入れたらこんな感じ。おいしくなりました」

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はなび「本題短いな! 最初からそれだけで良かったんじゃないの!?」

おばあちゃん「ここまでが『その他の食材』の話でした。次に……」

このは「待って待って待って待っておばあちゃん!」

こどもたちは必死におばあちゃんを止める。

はなび「もう無理、もう限界だわ」

さなえ「すみません許してください」

このは「もう、私から説明するね。次にたまねぎ刻むんだよ。どんくらいだっけ」

おばあちゃん「5キロ」

さなえ「5キロ!?」

このは「だいたい、洗面器3杯ぶんくらいになるのかな。包丁でえんえんとスライスします。1時間はかかる」

さなえ「やばい!」

このは「指にタコができます。次にたまねぎ炒めます。えんえんと1時間くらい炒めます」

さなえ「やばい!」

このは「茶色くなったら他の具材をぶち込んで煮込みます。ぐるぐる1時間くらいかき混ぜます」

さなえ「やばい!」

はなび「お前の語彙がやばい」

さなえ「だってやばくない!?」

はなび「やばい」

このは「それからスパイスとかルーの用意して、カレールーが完成したら鍋ごと氷水に漬けて冷やします。冷えたらタッパーにラップを敷き、くるむようにしてフタをして冷凍します。
ここまででだいたい5時間くらいはかかります」

さなえ「5時間!」

このは「それで50食分くらいになるのかなぁ」

おばあちゃん「そうだね。最初の頃は2週間に1回仕込めばよかったのよ。
でもそれがだんだん週に1回になり、3日に1回になり……」

このは「お店終わってから仕込んでるもんね」

はなび「あーそういやおばあちゃん、夜なべをしてたまねぎ刻んでた」

さなえ「このは先輩、やけに詳しいですね」

このは「あたしはちょくちょく手伝ってるからね。さー、たまねぎ切るかぁ」

このは、水中メガネをかける。

はなび「うおっ、なに!?」

このは「たまねぎ対策、目に沁みない。おばあちゃんはちょっと休んでて」

おばあちゃん「だめよ」

このは「いいから」

おばあちゃん「こどもの労働は国際的に禁じられてるのよ」

このは「そうなの!?」

はなび「へー、知らなかった。でも姉ちゃんよく手伝ってるじゃん」

さなえ「私も手伝ってますよ」

おばあちゃん「えっと、その辺はグレーゾーンらしいの。賃金の発生しない家事手伝いは、雇用関係にならないとかで。
要するに、雇ってお給料を払うって関係がまずいらしいのよ」

はなび「タダ働きならいいっていう、よくわからんルールだな」

このは「じゃああたしがたまねぎ切るのは問題なくない?」

おばあちゃん「それが、長時間とか重労働の場合は、児童虐待って扱いになるのよ。カレー作りは完全に長時間重労働。中でもたまねぎ関係は苦痛も伴う、一番過酷な作業よ。これは間違いなく虐待」

このは「苦痛の対策はしてるので」

はなび「ここにきて水中メガネの重要性高まる」

さなえ「でも、おばあちゃんが無理して体を壊したら、元も子もないじゃないですか」

おばあちゃん「えっ」

さなえ「過労とか、サービス残業? やりがい搾取? ブラック労働みたいなやつじゃないですか?
私はこのは先輩にも無理して欲しくないけど、おばあちゃんにも無理して欲しくないです。
もっと自分を大切にして欲しい」

このはとおばあちゃんは口を両手で抑えて息をのむ。

このは「さなえ、天使……!」

おばあちゃん「さなえちゃん、うちの子にならない?」

はなび「は? なんでだよ! ダメに決まってんだろ!」

このは「YOU、妹になっちゃうべき」

はなび「ぜってぇー反対ー! ぜってぇー反対ー!」

さなえ「もっと褒めてもっと褒めて! 久しぶりの『本当のいいね』、ちょう気持てぃーんですけど」

このは「しかし、なんかいい方法考えないとね」

おばあちゃん「そうだねえ、もうカレーの注文が入ると落ち込んじゃうところまできてるからね。作っても作ってもカレー……我が暮らし、楽にならざりじっと手を見る」

さなえ「なにそれ知ってる。なんでしたっけそれ」

このは「石川啄木」

さなえ「あ、命どぅ宝(ぬちどぅたから)と関係あるやつ?」

このは「ない」


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