【読書記録】感応グラン=ギニョル
2021年212冊目。
書店で見つけて、面白そうと思って買った作品。読み始めて気づいたんですが、表題作は東京創元社の「ミステリーズ! vol.96」で既読でした(笑)。この号は「怪奇・幻想小説の新しい地平」という特集だったので、表題作は怪奇小説として読んでいたのですが、本書は創元日本SF叢書にラインナップされていたので驚きました。
時代は関東大震災後の浅草。身体に障害があったり、ひどい傷跡をもつ少女ばかりを集めた、劇団とは名ばかりの、見世物小屋が舞台です。
主人公の千草は物覚えが悪いと過去に母親から虐待を受けており、身体中に傷が残っていたことから、千の傷を持つ女として一糸纏わぬ姿で舞台に上がっていました。千草は虐待の結果、その傷跡の一つ一つに記憶を保存する能力を持っています。
そして、見世物小屋に新たなメンバーが加入します。その少女は傷一つない美しい少女でした。少女、無花果は身体に欠けたところはないものの、感情を無くしてしまった少女でした。しかし無花果はその空っぽの心に他人の心を読み取り、さらには第三者の心にそれを投影することができるという特殊能力を持っていました。
無花果と千草が揃った結果、劇団の性質は一変します。あらかじめ収集していた感情や痛みを千草が保存し、舞台ではそれを無花果が観客の心に投影します。観客は登場人物の感情をダイレクトに感じることができるのです。
記憶装置となった千草は、自分の心を観客に見せることに快感を覚えます。
見たくば、観ろ。とくと視ろ。ただし、傍観者でなどいさせはしない。高みから見下ろすことなど許しはしない。その身をもって、とくと知れ。この痛みを。この苦しみを。
わたし達を、憐れむな。
これが、この短編集の作品の一環したテーマだと感じました。哀れみでも同情でも共感でもなく、まして救済でもなく、同じ苦しみを味わえという呪い。そして呪うことの愉悦。
救いのない、残酷でグロテスクなお話だと思います。これに魅せられてしまう自分は、少女たちに共感したつもりでいて、その実見世物小屋にやってくる観客に過ぎないのではと若干自己嫌悪にも陥りかけました。
外見的特徴ではなく、その人自身を見ろ、とは私にはとても言えません。ただ、少女たちの叫びを聞いてほしい。その美しさを感じてほしい。
固より此の室は地獄なれば、固より此のわたしが地獄なれば、堕ちるより外に道はございませぬ
『地獄を縫い取る』より
地獄でお会いしましょう。
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