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自主映画がうっかりたどり着く地平

*この記事はTCP学生応援団活動の一環として、各メンバーが映画制作体験を記したものです

高校野球とプロ野球を、全く同じものとして見る人は少ないでしょう。プロ野球選手のプレーとは能力も戦略も異なるからこそ、高校野球には高校野球の良さがあると思います。

では大学生の自主映画と商業映画にはどれほど違いがあるでしょうか。面白いのは、自主映画を見る側と、自主映画を作る側で印象が異なる点です。自主映画を見る人は、自主映画も商業映画もあまり変わらないものとして見ているのではないでしょうか。現在は、安くてかつ高性能なカメラや機材がひとしきり揃っているため、画面のクオリティだけでは低予算の商業映画と自主映画とではあまり差は見られません。実際自主映画で注目された作り手がそのまま商業映画に抜擢されることも少なくなく、映画をただランダムに見ていたら自主映画も商業映画も同じように楽しめると思われます。

しかし、自主映画を作る側にとって、自主映画の制作は商業映画の制作にはない面白さがあると感じられてなりません。このように書く私自身は、商業映画の撮影に参加したことはないのですが、それでも大学で仲間たちと自主映画を作る楽しさは唯一無二なものだなと直感的に理解しています。

脚本執筆、キャスト決め、衣装合わせ、ロケ地設定などのプリプロダクション、次に撮影、次に編集やカラーグレーディングなどのポストプロダクションという大まかな制作の流れ自体は商業も自主も大して変わらないでしょう。自主映画の最大の魅力は、その偶発性にあると思います。商業映画の場合、役者を決めるのはキャスティング担当、ロケ地を決めるのは制作部、と仕事が分割されており、それぞれの仕事には長年培われたノウハウがあるため、予算やスケジュールに見合った適切な采配がなされます。しかし、自主映画においてキャストやロケ地、はたまた実際の撮影方法などに至るまで、かなり偶然に左右された選択がなされています。

例えば、たまたまサークルの飲み会で出会った人にいきなりキャストをオファーしたり、知り合いの知り合いがたまたまバイトしていたカフェをロケ地に使わせてもらったりと、思わぬところで見つけた種を発芽させていく作業が自主映画にはつきものです。あるいは、現場においても監督も撮影監督も音声・照明スタッフも年齢や経験に大きな差があるわけではないことの方が多いため、方法を常に皆で試行錯誤しながら撮影が進むこともあります。もちろんこうした偶然に左右されてばかりの撮影はなるべく回避して、基本的なプランをしっかりと練る自主映画が大半を占めているのも事実です。しかし、予算やスキルがそこまであるわけではない大学生だからこそ、苦肉の策として用いた方法が意外と効果的だったりした時に最も自主映画の醍醐味を感じることがあります。

先述した通り、現在の映画群においては、パッと見ただけではそこまで差があるとは思えない映画達がいくつかあります。それはもちろん自主映画同士でも、見た目だけで他と勝負することが困難であることも示しています。だからこそ、必死に考えた末に発明したアイデアや地道に手繰り寄せた人脈に思いも寄らぬ奇跡が舞い降りている自主映画は一番輝くのではないでしょうか。

予算や人材は決して豊富とは言えないのに、ある日「うっかり」映画の面白さに辿り着いてしまう瞬間が自主映画を作っているとたまに訪れます。その瞬間のために仲間達の現場に参加しているのだなと思います。