仕事じゃなくて授業だからこそ学べるものがある(番外編)
今回は、2015年より早稲田大学にて実施されている実習形式の授業「早稲田大学映像制作実習」指導教員の篠崎誠先生、土田環先生のお2人にインタビュー。映画監督であり、現在も立教大学現代心理学部映像身体学科教授である篠崎氏、母校早稲田大学にて、現基幹理工学部表現工学科講師の土田氏は、それぞれ実習形式の本授業にて「何を思い」、学生に「何を学んでほしい」と感じるのか。長年異なる形で「映画」に向き合ってこられたお二人が、学生たちの実習を通して改めて感じた貴重な体験や、今だからこそ伝えたいメッセージを感じていただきたい(聞き手:Hikaru)。
——— そもそも映像制作実習はどういった経緯で始まったのですか?
土田:早稲田大学では、文学部にて原一男さん、柳町光男さん等、監督が一人入って学生に授業をするということは昔からあったんです。文学部は、映画を歴史的・美学的に研究するというのが基本的なスタンスだと思うのですが、そのなかでクリエイターに指導いただく機会を長期的かつ有機的に映画や映像を作る学びへ繋げていくことは、美術系の大学ではないので難しかったと思います。本授業の始まりは、 2015年に映画監督の是枝裕和さんが基礎理工学部の表現工学科に着任されたのが大きいですね。表現工学科にはCG、3Dや音響を研究する先生もいらっしゃるのですが、こうした領域のなかで表現をしたり、研究をするためには、文理融合というか、技術と同時に思考も大切だということを大学として目指してのことだと思います。
映画は「個人的な側面の強い『研究』とも異なって、閉ざされたものでない」という考え方が是枝さんの中には強くあって、全学部に開いてやりたいと当初から構想されていたと伺っています。しかし、2015年第一回は、実は理工の学部生は少なく、文学部生や、文化構想学部生が多かったんです。上映会も「大隈記念講堂」のみでした。
私は2016年から着任して、是枝さんと話し合う中で、単に「映画を作って終わり」ではなく大学の外で一般の人々に向けて「上映」までさせたいよね、ということにしました。やはり、学生に最も馴染みがあって、地域との連携を強く感じられる映画館として、早稲田松竹で何かやりたいと思いました。ご相談をしたところご快諾くださって、現在に至るまでの学生の作品を上映いただくことになりました。
——— 篠崎さんはいつ頃から参加されたのでしょうか?
土田:映画『三度目の殺人』(2017年)あたりですかね。是枝さんが段々と映画制作で忙しくなり、学生たちの数も増えてきたのだけれども、二人でさばききることが難しいと感じました。そこで、「上手な映画を作る」以前に「映画に誠実に向き合う」「共同でモノを創る」という授業のポリシーを理解してくださり、かつ私たち二人に共通して親交のある方を探すことになった際に、篠崎先生のお名前が挙がりました。
篠崎:今土田さんがお話されたように、私も映画は作って終わりではなく、観客に届けて、観客の想像力によって完結すると考えています。私自身、大学卒業後に映画館で働き始めたことが大きいかもしれません。今はなくなってしまいましたが、セゾン・グループが経営していたシネセゾン渋谷という映画館で約4年間、そのあと語学学校が母体のアテネ・フランセ文化センターで3年、併せて7年間興行の世界で身をたててきました。前者は商業映画館で、後者は文化施設ですが、共に「映画を見せる場」に関わってきました。
一方、映画づくりは、誰かに教えてもらったのではなく、中学時代から自主制作で実地に学んできました。ですから、授業で「見せる」というところまでやるという事に感銘を受けました。私は、本部校の立教大学心理学部映像身体学科の方でも映画制作の授業に携わっています。同じく作って終わりではなく、積極的に学外で上映したり、映画祭にエントリーしたりするように学生たちにハッパをかけてきました。ここ数年、PFFアワード、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭などでグランプリを受賞し、それがきっかけで配給会社が付き、商業公開される映画が出てきました(石田智哉『へんしんっ』(2020)、 壷井濯『サクリファイス』(2019)、中川奈月『彼女はひとり』(2018)など)。しかし、授業内で「見せる」というところまでは、出来なかったので、早稲田の映像制作実習は素晴らしいことだと思いました。
土田:それに関しては、実は色々とあったんです。早稲田松竹の上映に関して、早稲田松竹の方に一度、学生たちが強く怒られたことがあるんですよ。上映を「貸館」ではなく「興行」として行っていただいている以上、映画館としては最重要でないにしろ一般のお客様が来てくださることが大前提なわけです。ある年に、学生たちが「観ていただく」努力を全く行っていなかったり、観ていただいた方に対して上映後に「ありがとう」一つも言わずに出口でたむろしていたりしたんです。その時は、怒られましたね。ビラ配りもやらずして「観てもらえると思うな」と。結果その年は、学生も気を入れ直して、映画館近くでビラ配り等したり、学内でも声がけをして各回100人以上来ていただきました。大学の実習で「作りっぱなし」っていうのは、実はよくあるんですよ。私は映画を上映することから映画祭のプログラムに携わるようになったので、「その後」、つまり作品を届けるところまで考えて欲しいと思っています。
——— 特に上映会では、どういった方が観に来られるのでしょうか?
土田:やはりこういった映画の場合、一番は親族や友人、キャスト関係者の方ですね。また、とりわけ若手の映画監督を発見したいと思う方々や、ふだん早稲田松竹をご覧になる方々も観に来ていただいています。また、映画館のプログラム上、参考上映が盛り込まれているので、例えば篠崎先生の『共想』とセットで観に来られる一般の映画好きの方もいらっしゃいます。
篠崎:参考上映作品は、早稲田松竹の番組編成担当の方が選んでいます。私たち教員は一切口をはさみません。ありがたいのは、毎年制作実習で作られた各作品の内容を考慮して、共通のテーマやモチーフ、物語や人物設定、作品のもつ雰囲気などを意識して、参考上映作品を選んでくれることです。一緒に上映されることで、それぞれの映画が共鳴し合って、違う見え方と言いますか、単独で上映していたら感じられなかったような拡がりや奥行きが見えてくる。
それと大隈講堂は、学生の知り合いやスタッフ、キャストなどの関係者がほとんどです。しかし、早稲田松竹は当然、一般の観客が見に来てくれます。その時に、他のプログラムは満席で、自分たちのプログラムが入っていないと、もう少し宣伝をがんばろうと思うじゃないですか。それも含めて学びだと思います。
——— そういう意味で映画(映像)業界を目指す方が多く履修されるのでしょうか?
篠崎:そうですね。ただ、是枝さんともよく話すのですが、私たちは「プロの映画監督」を養成したくて、授業を行っている訳じゃないんですよね。人間関係に関して「こんな状況になったら、どうすればよいんですか?」と、学生から質問を受けることがあります。映画製作には俳優やスタッフ、様々な人が関わりますが、一人一人違うので「こうすれば絶対大丈夫という答えはない」といつも言うんです。友達同士ではなく、生まれも育ちも考え方も異なる人と関わることは、映画業界ではなくても活きていく体験だと思います。「どうすれば自分の思いが伝わるのか」それについて深く考える機会があるという事は、それだけでかけがえのない時間ですから。
土田:私も同意見で、映画を作る授業ですが、これをやり通す力は人間としてあらゆる局面で底力になっていくのかと思います。特に、他人に対してなされた講評に耳を傾ける、自分の場合に置き換えて考えることができる学生は、一年間のなかで大きく変わっていきます。ただ、それとは反比例するかたちで、過去のこの実習の監督たちを振り返ってみると、なんだかんだ「映画」にしがみついていきたいという思いの強い子が結果として多いですね。3人以外は、卒業後も映画・映像業界に携わっています(笑)実際に制作する4本程度の作品は、個々人の企画プレゼンテーションを経て、学生たち全員の投票で決めるんですよ。企画を書いた学生が監督になることがほとんどですが、単に「企画が面白い」だけでなく、「この人と共に撮りたい」と思ってもらえた子が最終的に監督になるという仕組みです。
——— 色々と繕って美しいものが出来上がるまでの、クリエイティブの基の粒を垣間見えるのが面白いです。語弊を恐れずに申し上げると、何も知らないド素人の子が一年足らずの講座で、ここまで素晴らしい作品を作り上げられることに驚きます。
土田 : 知らないからこそできるのかもしれませんね。
篠崎 : どこまで言えば伝わるのかということは毎回頭を悩ませます。
土田 : その点、3人(是枝、篠崎、土田)いればフォローがしやすいですよね。
年々作品の質が上がったことで言えば、学生はすぐに「撮りたい」と思うんです。でも、実は撮るまでを、すごく「頑張る」べきで。長く指導する中で大事にしているのは、先ずは「企画を磨く」、その次に「脚本」、下手をするとこの段階で夏休みがすぎます。10月まで脚本を書いているなんてのもよくあって。けれども撮影に入るまでに時間をかけた方が効率が良いことに気づきました。例えば、ここ数年は、各班が撮影に入る前に録音技師の高木創先生、早稲田OBの四宮秀俊さん(映画『ドライブ・マイ・カー』(2021 撮影監督))にも参加していただき、図面と共に、カメラワークのシミュレーションを行っています。もちろん、技術的な指導という側面もあるけれど、それにもまして、撮る前に、じっくりと「まずは考えろ」ということです。
篠崎 : 脚本が中途半端にしか直せないまま現場に入っても、絶対にうまくいきません。時間がかかっても脚本を納得できるところまで直した方がいいです。その上で、現場でしっかり粘って撮る。素材をとって、編集でどうにかしようというのもダメです。現場でちゃんとしないと編集で救えないんです。つまり、全部の過程が大切なんです(笑)あたり前ですが、脚本で納得できなかったり、うまくつかめないときは、俳優たちを呼ぶ前に、学生たちで演じてみたらいいんです。そうやって映画を「共有」していく。
——— 具体的な方法論でも何かありますか?
土田 : これはあくまでも「授業」であって、作品が素晴らしければそれで終わり、というわけではありません。毎年、上映会が終わった後に、担当部署ごとに、次年度の学生たちへ向けて引き継ぎ書を作成させます。ある意味で「反省」ですけれども、この時に自分たちのやりづらかったこと、悔しかったことを客観視することになるのだと思います。振りかえると、当初は本意ではなかったことにも、面白さを見つけることってあるのですよね。そんな考え方自体をできるようになることも大切です。あとは、学生たちにより立場の近いTA(ティーチング・アシスタント)を授業に付けるなどして、学生たちそれぞれの声に誠実に耳を傾けること。教員と学生という関係は、どうしても一方的になりがちです。僕らが講評をして、学生がそのまま「分かった」という反応は、まだ「浅い」んです。他者の言葉を自分の事として捉え、その反対に、自分の抱えている問題を他者に伝え「理解」することが大切で、そのためには時間もかかるし、教える側の方法もひとつではないのですよね。仕事じゃないから、経験だからこそ学びは大きいのかもしれません。
——— プロの映画人を目指す人ばかりではないからこそ、稀有な時間ですよね。
土田 : 篠崎さんに1年やってもらって言ってもらった言葉があります。この授業の良いところは「卒業した子が、ただ挨拶するだけでなくて、戻ってくる授業。そんな良い授業は中々ない」と。今でも、後輩の作品を観に、上映会に来てくれるOB・OGも多いんです。
篠崎 : そういう意味でこの授業は、一緒にものを作ったり、考えたりすることの出来る場として、ちゃんと機能しているんですよね。OB、OGたちがみんな「初心を忘れたくなくて・・・」とフラッと帰ってくる。稀有な学びの場だと思います。