交換日記(一往復)

1000文字あるからセーフ!
今月中に10投稿するともらえるバッジほしい~みたいな下心がちょびっとあります。
めっちゃ恥ずかしいこと書いてあるけど三ヶ月以上前の自分は他人だってネットに書いてあったのでこれは他人。たぶん。

これ読むと解読不能なのがちょっとマシかも。

06/11(日)
漠然と寂しくて怖いです。
誰かと話したいけど、その途中に自分の話がループしてる気がしたり、頭の中で自分の声がうるさく感じたりして、なんだかうまくいかない。もう自分の言語化能力というのが私の悲観に追いつかない。
いやでもそもそも、私から発せられるものは薄暗くて他人に共有すべきでないんだろうと思います。
わからない。求めているのは無条件の肯定であるかもしれないし、ただ頭に詰まったゴミを外に捨てることかもしれない。ただそう言ったくだらない目的のために実在する他人を用いることはよくないと思うのです。そんなことをする自分が好きじゃない。
私は研究の発表の時きちんと質問の意図を読み解いて丁寧に質問に答える自分が好きです。仕切る時、論点を示すことはしても、反論しにくい喋り方で空気を思うままにしようとしないところ(できないところ?)が好きです。
そう言った部分はどちらかというとあなたが担っていると思います。私が担っている部分で好きなのは、行動のみを見るのではなく、理由を考えてあまり敵視したりひどく責めたりしないところです。また、だんだん幸福に対する感受性も豊かになってきたと思っています。
少し落ち着いてきました。
話題は変わりますが、あなたは誰なんでしょうか。誰として現れられるのでしょうか。本当はこうしてあなた宛のつもりで書くだけで落ち着けるから、誰でもいいのかもしれない。私の言葉で憂鬱な気持ちにならない誰か。ああでもあの時書いた「私」宛みたいですね。気づいたらそうなっていた。あの人にならないか危惧していたけどやっぱり独りで文を書くと私に還るのか。杞憂だった。そんなに簡単に他人には成れない。今の主体である私は「彼ら」と称されているみたいですね。きちんと変われるかな。また明日。

06/12(月)
そちらの文章に対して悲観的だなあと思ったので精神状態は良好、「私」に近い気はしますね。とはいえ今日もあの状態ではないなと思いました。やはり相対的なもの。
精神の健康という尺度のほかに、やるべきことにどれだけ取り組めるかという尺度もありますが、それでいうと私もいまいちかと。公共の事前開示問題と教科書の読み返し程度しかやっていません。これから物理の教科書を読んで可能な限り例題を解こうと思っていますが、時間からしてたかが知れていますね。
でも不思議と焦ってはいない。誰か宛に話すこと、そして「私」側として文章を書くというのはすごいですね。あなたも「私」として書けば多少は冷静な文になるのかもしれないけど、きっとそれだと混ざって共倒れになるんだろうな。
あなたが苦痛に苛まれないことを祈っている。私はあなたが幸福にも苦痛にも鈍感であることを良しとせず見据えて味わう所が好きです。また明日にも意味を見出しましょう。私が何も為せなかった時、私を救えるのはあなただけだ。


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