人と話すことがしんどくなる時期と楽しくて仕方ない時期の考察

わたしはよく意図的に人を近づけないようにして、ひきこもる期間を作る。その時期は人と話すとしんどくなりやすい。

いま、ちょうど五ヶ月続いたその時期を抜けて、社交モードに入ったところなのだが、人と接している時の感覚の違いをはっきり感じているので、忘れないようにメモしておこうと思う。

人と話すことがしんどい時期は、良くも悪くも繊細になっていて、ちょっとしたことに心が反応して大きく揺れてしまう=常に刺激を受けているような状態にある。どうやらそこにエネルギーを奪われて疲れてしまうらしい。

実際、社交モードの今は、何かに反応してもすぐに慣れるし、不快なものは流せるし、余程のことでないと刺激にならない。
反応も素直だから溜め込むものも少ないし、むしろ人と話すことでエネルギーをもらっている。

あと、もうひとつ。
ひきこもり期は、自分の軸を作り替えてる最中でもあるのだけど、その時期は普段以上に人の影響を受けやすくなるから、影響力の強い人と接している時間が長いと思考が引っ張られて混乱してしまう。
何らかの影響を受けたい相手だったとしても、勝手にグイグイ引っ張られるのは不快だ。だから、だいたいの人間は距離を置かないと再構築の邪魔になってしまう。

この時期にいる時は、もうすこし人と交流するべきだろうかと悩んだりする日も多いのだけど、今振り返ってみると、『ここに到達するためのあの日々だったのか』と腑に落るものがあり、やっぱりこれでよかったんだと思った。
   
それに、よくよく考えたら、要所要所で必要な人には会いに行っていた。その方々からいただいた言葉はいまのわたしの柱の一部になっている。
   
今みたいに時期が来れば勝手に社交モードに入るから、何も心配いらなかったんだと思う。たまに孤独を感じることもあったけど、孤独がなければここまで来れなかった。あの絵もあの詩も生まれなかった。

それから、会えない時期、話せない時期があっても、遠くで気にかけてくれていたり、久しぶりに声をかけたり会いに行ったりしたら受け入れてくれたりする人たちの存在がとてもありがたかった。

そろそろ会いに行こう。

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