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魂開き(たまびらき)⑧

このエッセイは、わたしが自身の魂をひらくために描いている一枚の絵について、それを完成させるまでの心の移り変わりを記録したものになります。魂をひらくための絵を描こうと思うに至った経緯については『魂開き(たまびらき)①』をお読み下さい。

7日目の加筆。過去記事を確認したら、前回更新したのは13日らしい。10日間も何をしていたのだろう。

手帳を確認したところ、外出が続いていのと、気分の落ち込みがひどくてほとんど動けていなかったことが原因らしい。その間、ミニキャンバスの絵を完成させたりしていた。

『金脈』(魂の餌シリーズ)

で、肝心の魂の絵の現在はこちら。

ここは何も考えずに白い靄を作ったところなのだけど、じっと目を凝らすと、いろんな存在が見えてきたので、それをそのまま描き込んだ。

二重顎の観音様に花見をしながら一杯引っ掛けている亀、そして、天に昇ろうとしているわたしと夫。勝手にあの世へ行かないでくれ、と思いながら、どうしても白い服がいいと申すので仕方なく叶えてやった。

あとはこのよくわからない棒がつぶつぶ苺のポッキーに進化しました。今日はやたらピンク色を使いたくなった。春だからか。

そして、どうやらこの緑色の線はカエルの舌だったらしい。

今月ももう終わろうとしているのに、実際に筆を取ったのは7日だけということに慄いている。その割に完成が近い気がする。

筆を取らない日も絵の前に座って、次はどう進めようか絵と対話をする時間は作っていたので、絵と向き合っていた時間は長かったのかもしれない。

もともと生活の基盤作りを優先するか、後先考えずに絵の世界にのめり込むかの二択で迷っていて、その解決策としてこの絵を描くことにしたわけだけど、いざ描き始めてみると、絵を描く以外の道は選択肢からあっさり消えてしまった。

この道を行く、と決めたら、それ以外の道のことを考える暇なんてなくなる。それしか道はないのだから、障害物が現れようが、獣が出てこようが、そこを行くしかない。そのことを思い出した。
他に道があると思うのは錯覚だ。錯覚を存在するものとして扱うから迷うのだ。

さて、今月も残すところあと一週間。そのうちまともに絵と向き合えるのは4日間くらいだろうか。
完成したら詩をつけようと、一昨日思いついた。

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