倫理なき資本主義の危うさ(一)
倫理なき資本主義の危うさ(一)
「エンロンショック」
「エンロン」「ワールドコム」「リーマン・ブラザーズ」と並べて思い起こすのは、いずれもアメリカの大企業であったということであり、さらには、巨額の負債と倒産という企業惨劇の立役者となったという事実です。
時期的には、1990年代から2000年代の約20年間において発生した企業不祥事であり、政権で言えば、クリントン(民主党)、ブッシュ(共和党)の時代に当たり、民主党、共和党に限らずに起きた大企業の倒産と言えます。
エンロン(Enron Corporation)は、かつてアメリカのテキサス州ヒューストンに存在した総合エネルギー取引とITビジネスを行っていた企業です。2000年度、年間売上高1,110億ドル(全米7位)、2001年の社員数21,000名という全米でも有数の大企業でした。
しかし、2001年6月、エンロンが参加していたインドのダボール電力が閉鎖となり、そこへ巨額の不正経理、不正取引による粉飾決算が明るみに出て、エンロンは2001年12月に破綻しました(エンロンショック)。
エネルギー業界の粉飾としては、世界恐慌(1929~1930年代後半)で崩壊したサミュエル・インサル(1859-1938)の金融帝国と並ぶ規模です。破綻時の負債総額は少なくとも310億ドル、簿外債務を含めると400億ドルを超えていたとも言われています。2002年7月のワールドコム破綻までは、アメリカ史上最大の企業破綻でした。
ガス業界の規制緩和と業界再編が進む中で、1985年にインターノースがヒューストン・ナチュラルガスと合併してエンロンが誕生します。本社はヒューストン・ナチュラルガスの本拠地であったヒューストンに置かれ、そのCEOであったケネス・レイが合併会社のCEOに就任し、2001年の破綻に至るまで実権を握りました。
CEOのケネス・レイは、ガス取引に積極的にデリバティブを取り入れ、企業規模を拡大していきます。その中で、粉飾会計にも手を染めて、90年代に入ると、時価主義会計を悪用し、見かけ上の利益を増大させていきました。インサイダー取引も、80年代ごろから行われていたことが判明しています。
1990年代後半には、デリバティブで電力価格がわかりにくくなっているのを利用して、同じ電力に対して同量の売りと買いを発生させて実質の取引量がゼロであるにも関わらず売上を上げる取引も積極的に取り入れています。
このような循環取引や空売りなどによる売上・利益確保は2000年のカリフォルニア電力危機においても積極的に行われたため、カリフォルニア電力の危機の原因の一つともなりました。
1998年には利益に占めるデリバティブ比率は何と8割を越えていました。 まさに金融ゲームです。
「貪欲な収益至上主義は必ず行き詰る」
収益のみが頭にこびりつくと、手段を厭わないようになり、悪魔の誘惑に引っ掛かります。
エンロンにはその要素が、粉飾会計、インサイダー取引、デリバティブへの過度の依存、循環取引、空売りなどのように、多く不正の見られる企業行為があり、エンロン企業陣の罪意識の欠如が顕著となって、ついには、破滅を呼び込む結末に至ります。
エンロンは、2001年12月2日、連邦倒産法第11章適用を申請し、倒産しました。
「有名な会計事務所も粉飾決算に加担する」
エンロンは、取引損失を連結決算対象外の子会社(特別目的事業体: Special Purpose Entity, SPEと省略されるシャドー・バンキング・システム)に付け替えて簿外債務とすることを積極的に行いました。
会計を全米有数の会計事務所であったアーサー・アンダーセンが担当していたために、決算における市場の信頼は厚かったのですが、実際にはアーサー・アンダーセンならびに顧問法律事務所も、数々の違法プロジェクトの遂行や粉飾決算に加担していたのです
1999年に設置した「エンロン・オンライン」においては、電力だけでなく、元々エンロンのフィールドであったガス・石油をはじめ、石炭、アルミニウム、パルプ、プラスチック、果ては信用リスク、天候、ネットワーク帯域幅、排ガス排出権に至るまで、あらゆる商品の市場をインターネット上に開設し、そのすべてでエンロン自体が売り手・買い手として取引を行いました。
このエンロン・オンラインのアイデアとシステムは、稼働当時はもちろん、エンロン破綻後も高く評価されていました。
しかし、ビジネスモデルが手数料ビジネスではなく自ら売買を行うトレーディングであったにもかかわらず、これまで経験のない商品の市場に積極的に乗り出していったために、もともとその市場にいたプレーヤーにいいように利用された面があり、エンロン・オンラインの急激に拡大していった売上・利益は、実際には、帳簿上のものにすぎませんでした。
それにもかかわらず、折からのアメリカにおけるITバブルの波にも乗り、1990年代後半にはエンロンは革新的で、なおかつ安定した成長を続ける超優良企業としての名声を確立していきました。
しかし、エンロン・オンラインの名声は帳簿上で、踊っていただけの虚飾のビジネスであったと言わざるを得ません。
「エンロンの終焉」
カリフォルニア電力危機で、経理上は大きな利益を上げたものの、この危機で2001年2月にパシフィック・ガス&エレクトリック社が倒産したため、実際には同社に対する数億ドルにも上る債権が回収不能となりました。
2001年夏には、インド・ダボール発電所、アズリックス(水道事業)など、海外での十億ドル単位の大規模事業の失敗などが明るみに出始め、株価もゆるやかに下落を始めました。
2001年10月17日、ウォールストリート・ジャーナルがエンロンの不正会計疑惑を報じ、株価はこの日から急落します。証券取引委員会(SEC)の調査も始まりました。
数々の不正経理が明るみに出るに及んで、ついには、12月2日にエンロンは倒産に至ります。
2002年2月のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの報道によると、このときすでにアメリカ合衆国議会が、エンロンとウォール街の調査を始めており、メリルリンチ、シティ・グループ、JPモルガン・チェースの三行が、エンロンの財務状態を知っていたことを明らかにし、情報の非対称性が露見して、情報弱者(お客)を欺く金融資本主義の手口が、あらためて注目されることとなりました。
持続可能な資本主義を構築する倫理的な努力なくしては、やがて、資本主義も大々的に見直さなければならない事態となることでしょう。健全な資本主義を構築することが世界的な課題となっています。
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