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シェイクスピア参上にて候第六章(ニ)


第六章 ロシアの大地が呼んでいる

(二)シェイクスピアが演劇論について語る
 
 
ロシアでの滞在を一週間と定め、上杉早雲さんとアラン・スコットはモスクワの「ノボテルモスクワキエフスカヤ」に宿泊する態勢を取ったわけですが、モスクワ到着当日、谷崎由紀夫さんと夫人のナターシャの迎えを受けて、モスクワ市内観光ののち、ホテルのグルメバーで夕食を取った次第は述べたとおりです。

 
四人で話し合った結果、翌日と翌々日の二日間は、谷崎由紀夫さんのお宅を訪ね、ロシアの情勢などを聞かせてもらうことにしました。

谷崎由紀夫さんはナターシャと彼女の母親リーディア、それに六歳の息子の健太君と四歳の娘のカテリーナ、全部で五人が一緒に暮らしている家庭になりますが、モスクワの市街地から北西の方向に当たるクラスノゴルスクのマンションに住んでいます。

翌日の午前九時にホテルへ迎えに来てくれた谷崎さんは、上杉さんとアランを乗せて、クラスノゴルスクにある彼のマンションへと車を走らせました。

モスクワの市内を走る車窓から見える住宅はどれもこれもマンションであり、個人住宅というのはほとんど見られませんでした。旧共産主義時代の集合住宅主義の名残といったらいいのでしょうか。

とにかく、マンションの林立というのが、モスクワの景観であると言い切ってしまってもいいような街の姿であると上杉さんは感じていましたが、間もなく、谷崎さんの自家用車ラーダは彼の住むマンションに到着していました。

外観はそれほどでもないマンションでしたが、内装はしっかりしていて、暮らしやすい住環境の作りであると上杉さんは感じ、谷崎さんにいろいろと聞きました。

「二重ドアなんですね。防犯とか防寒とかのためですか。」

「そうですね。ロシアの住宅はたいてい二重ドアが多いです。私が住んでいるこの住宅ですが、広さは六十五平方メートルで、家族五人で暮らすには決して広いと言うわけでもありませんが、まあ、十分です。

部屋は熱湯で温める温水セントラル方式で、冬でも部屋の中は全く寒くありません。ここのキッチンは広くて使いやすく、助かっています。」

このようなやり取りをしながら、部屋に通されたとき、ナターシャにそっくりな母親のリーディアが現れ、「ズドラーストヴィチェ!」とあいさつの言葉をくれました。リーディアもまた色白でブロンドの髪をしていました。

リーディアは六十一歳で、二十三歳の時ナターシャを生んだそうです。若く見え、五十五、五十六歳にしか見えません。現在、一人娘のナターシャは三十八歳ですが、タニザキさんと結婚したことをリーディアはとても喜んでいると話してくれました。二人の孫が可愛くて、生き甲斐でもあると語りました。

感じのいいリーディアがなぜ夫と離婚したのか分かりません。青森の谷崎さんの実家から送ってくる黒ニンニクが好きで、好きでたまらないなどと言い始めたときには、上杉さんも大笑いしました。すかさず、アランが上杉さんに、黒ニンニクって何だ、と聞いてきました。

そういう話で盛り上がり始めていたとき、ナターシャが二人の子供を連れて、居間に入ってきました。健太君六歳、カテリーナ四歳、いずれも可愛い子供たちで、二人とも可愛いだけでなく聡明な顔立ちをしていました。

谷崎さん夫婦はしあわせな家庭を築いていると上杉さんは思ったのですが、急に、わが息子の翔(六歳)と娘の麗奈(四歳)を思い出し、わが子のように、健太君を抱きしめ、カテリーナを抱きしめたのでした。

この日、谷崎さん宅で、上杉早雲さんとアラン・スコットは、リーディアの作ったロシア料理をいただき、家庭的な雰囲気の中で、とても寛ぐことができました。

実は、谷崎さん夫婦からゆっくりとロシア情勢などを聞くことがこの日の大きな目的であったのですが、話は変な方向へと進んでいきました。と言いますのは、リーディアが大の芝居好きで、居間で繰り広げられた話の大部分がロシアの演劇を語る時間になってしまったことです。

「みなさんは、演劇がお好きですか。わたしは演劇を見るのが大好きです。チェーホフの演劇が好きで、なかでも『三人姉妹』と『桜の園』がわたしの好きなものです。スタニスラフスキーという演出家をご存知かどうか分かりませんが、彼の演出が好きです。」

突然、このように切り込んできたリーディアの演劇話に誰が付き合うのかと思ったら、アランでした。アランの隠れた一面が現れた瞬間です。

「チェーホフはいいですね。わたしも好きです。チェーホフの『かもめ』もいいなあ。それより何より、イギリス人のわたしから言えば、スタニスラフスキーは、シェイクスピア演劇にも関心を向けてくれた人物として、感謝しなければなりません。

『ハムレット』『ヴェニスの商人』『十二夜』など、スタニスラフスキーが演出したシェイクスピア劇もありますし、古典劇を含め、近代劇、現代劇の在り方、演じる俳優たちの姿勢といったものを徹底的に研究した演出家はいません。

ロシアの芸術が高いとみられるのは、スタニスラフスキーのような人物が現れるからだと言っても過言ではありません。」

「アランが、そのようにロシア芸術を評価してくれるのは素直に嬉しいわ。わたしはスタニスラフスキーの演劇論というようなむずかしい考えの観点からではなく、スタニスラフスキーの演出した作品がとにかく好きで、ただそういうことなの。」

「それは多分、スタニスラフスキーの深い研究のたまものによるものだと思います。彼の演劇研究の成果が、人々を引き付ける何かを持っているのだと思います。」

こういうやり取りが、リーディアとアランの間で始まったのを横で静かに聞いていた上杉さんは、自分のロシア語習得の方法がロシア文学の読み込みであったことを思い出しながら、ドストエフスキーやトルストイにあまりにも傾きすぎていたことに反省する気持ちが生まれ、チェーホフやゴーリキーなどをもっと研究すべきだったと考え直していました。

谷崎さん宅での演劇話の一部始終が、このように、上杉さんからロンドンにいて後方支援を務めていたわたくしのほうへ伝えられてきました。

シェイクスピア様に守られて人生を過ごすようになったわたくしは、モスクワの谷崎さん宅で演劇論に耽っているリーディアとアラン・スコット、それに上杉早雲さんの様子がとても気になり、世界中で演じられてきたシェイクスピア劇の演劇論的探究が当然必要とされるのではないか、そんな気持ちに駆られて、居ても立っても居られない状況に陥りました。

ロンドン・オフィスのミーティングルームでひとり物思いに沈んでいると、わたくしの肩をポンポンと叩く人の気配に気付き、振り向くと、シェイクスピア様が笑顔で立っていらっしゃいました。

「相当、気になっていますね。スタニスラフスキーの演劇論があることを初めて知りましたか。この人の洞察は非常に鋭く深く、演劇の本質を極めるために、人生をかけた人物です。

チェーホフにしろ、ゴーゴリーにしろ、ロシアの文学には透徹したリアリズムの伝統があります。ロシアの土壌が生んだ戯曲とロシアの精神が生んだ演劇論が完全にかみ合うところを求めて葛藤した人物がスタニスラフスキーなのです。」

「本当に驚きました。シェイクスピア劇で頭が一杯になって人生を過ごしてきたわたくしは、ロシアの演劇に対して全く無知でした。

シェイクスピア様、どうぞ教えてください。シェイクスピア様はスタニスラフスキーをどのように考えていらっしゃるのですか。」

「ははは、彼のことは十分尊敬していますよ。それだけでなく、こちらの世界では、彼とわたしは親友になっています。いろいろと語りつくせない演劇の世界を語り合っています。なにしろ、わたしの『ハムレット』などを演出してくれた大切な人物ですからね。」

「そうですか。十七世紀と二十世紀を隔てる三百年の年代の開きをいとも簡単に超えて、シェイクスピア様とスタニスラフスキーが戯曲文化の世界を分かち合っておられるということですね。素晴らしいなあ。」

「十七世紀と二十世紀では、当然、人々の感性や知識、時代環境に違いがありますから、人々が演劇をどのように楽しむかということについては違いがあるのは当然のことです。

リアリズムに立脚した心理劇のようなものと歴史に題材を取った史劇あるいは悲劇や喜劇のようなものとでは、それを演じる役者さんたちに求められる資質あるいは演じ方の方法などに違いも出てくるでしょう。

しかし、個々の違いがどうであれ、演劇の本質、役者の心得が何か普遍的なものに貫かれているとすれば、それは一体何であろうか。こういうことに考えが及んだ時に、おそらくスタニスラフスキーの演劇論あるいは演劇のシステムといったものが非常に重要なことになるのだと思います。

二十世紀また二十一世紀において、世界中がスタニスラフスキー・システムと呼ばれるものを注目せざるを得なくなった事態の背景には、演劇の普遍的な本質、とりわけ、役者を通じての演劇の本質の表出をいかに実現できるかといった根本的な命題があるということを忘れてはなりません。

「身体」「精神」「感情」の使い方が非常に重要になってくるわけです。わたしもそうでしたが、スタニスラフスキーも役者でありましたから、演出家と役者業を兼ねる立場から見えてくるものがあるのです。」

「なるほど。よく分かりました。シェイクスピア様が二十世紀そして二十一世紀に至るまで、人々を楽しませる演劇文化に注目して、いろいろな時代状況を見極めていらっしゃる姿に感動いたしました。本当にありがとうございます。」

わたくしがそう言うやいなや、シェイクスピア様はスッとどこかへ消えてしまわれました。

わたくしが全く知らなかったスタニスラフスキーなる人物の世界、アランはそれをよく知っていたわけですが、そのスタニスラフスキーについて、シェイクスピア様はあの世で友達になっていらっしゃるとのこと、全く、驚愕の事実を知ったわたくしは、しばし、中空を見つめて呆然自失の状態でした。


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