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シェイクスピア参上にて候第二章(一)



第二章 近松門左衛門の登場

(一) マクベスの城コーダー城にて

 

八月のある日、鶴矢軟睦先輩とわたくしは格安航空券で、スコットランドのインヴァネスへ飛びました。ブロデリック・マッコーリーさんが、インヴァネスへ来るようにと、鶴矢先輩に連絡してきたからですが、わたくしも一緒に行くことになりました。

いろいろと、この先、マッコーリーさんとの仕事上のやり取りが多くなるだろうということで、わたくしをマッコーリーさんに会わせておきたいという思いからでした。

クロデン(カロデン)・ハウスホテルに来るようにというマッコーリーさんの要請により、そのホテルへ行きましたが、見るからにそのホテルは中世のお城のようでありました。

案の定、十六世紀の古いお城を、今では非常に雰囲気のあるホテルとして営業しているということで、お気に入りのお客さんも多くいらっしゃるとホテルマンが説明してくれました。

マッコーリーさんとホテルのロビーで会ったとき、マッコーリーさんが余りにも堂々たる体躯で、一九〇センチメートル前後と思われるその均整の取れた姿に圧倒されそうになりました。

しかし、物腰は非常に柔らかく、にっこりと笑顔で迎えてくれました。髪の色は、焦げ茶のブルネットといった感じの髪をしていました。片言の日本語なども交えて話す様子は、娘さんが日本人と結婚したこと、そしてかわいい孫娘ができて、その三人家族が東京に住んでいるということもあり、フレンドリーな雰囲気がどこからともなく出ていました。

マッコーリーさんの目的は、沈没船が見つかったところの海上の位置に鶴矢先輩を案内すること、そしていくつかの検討すべきことを話し合うこと、この二つでしたが、わたくしは沈没船のところまで同行してもよいし、インヴァネスを自由に観光して過ごしてもよい、どちらでもよいと選択の自由を与えてくれましたので、インヴァネスにはマクベスの城があることを知っていたわたくしは、海へは行かず、自由に観光することにしました。

それぞれのスケジュールを終えて、夕刻、再び、クロデン・ハウスホテルで会う約束で二手に分かれて、その日の行動を開始いたしました。

マッコーリーさんは自家用のクルーザーを持っており、豪華なその大型モーターヨットでよく海に出かけるということです。十数メートルの長さの船体を有し、長距離を長時間、走航できるように設計された非常に美しい形のメガヨットであると自慢げに話してくれました。

そのヨットに乗ってみたい気持ちにも駆られましたが、やはり、マクベスの城を見に行くことにしました。マクベスの城を見に行ったことで、わたくしはびっくりするような大きな出来事に遭遇することになったのです。

観光バスが、マクベスの城と言われるコーダー城に出ていると聞いて、観光バスに乗ることにしました。インヴァネスの市街地から北東の方におよそ十数キロ、ネールンの港街から南西に数キロの所、つまり、インヴァネスとネールンの間にその城はあるということで、わたくしはどんな城だろうと心を弾ませました。

コーダー城に着いてみると、かなりの数の観光客が訪れていました。さまざまな国からやってきているようでした。よく見ると、日本人らしき人々もちらほらと見受けました。少し白髪の混じった髪をして、額の禿げ上がった六十歳を超えていると見られる一人の人に語りかけてみると、やはり日本人でした。立派な知的風貌を備えていらっしゃる方でした。

「ぼくはね、お城が大好きでね。日本のお城はほとんど全部見たかな。今、ヨーロッパのお城を見て回っているんだ。何しろ、お城には歴史がぎっしり詰まっていて面白い。庶民の家は時代とともになくなって、新しい時代の家にどんどん変わっていくことが多いが、お城は大体、そのまま残っているんだ。だから、お城の研究は歴史の研究そのものだね。」

「いろいろと詳しいことを研究しておられるようですが、コーダー城はどうですか。」

「この城は、マクベスという王と結び付けられて語られる城だが、マクベスがスコットランドを統治した十一世紀の時代と、この城の創建の時代が合わないし、直接にはマクベスとの関係は全くないことが研究上わかっている。

シェイクスピアがこのお城をモデルにして話を作ったものだから、そっちのほうがすっかり有名になっちゃってマクベスの城なんて言われたりするが、そうじゃないんだ。」

「そうだったんですか。不勉強で、わたくしはすっかりマクベスのお城とばかり思っていました。実際には、いつ頃のお城ですか。」

「マクベスの実際上のスコットランド統治が十一世紀で、コーダー城の創建が十四世紀であるから、三百年という年代の開きがある。

シェイクスピアがマクベスとコーダー城を関連付けた背景、あるいは根拠といったものが、何かあったのだろうかと言えば、十五世紀から十六世紀に活躍したスコットランドのヘクター・ボイスという学者が、マクベスの事績について非常に不正確なことをいろいろ述べていて、どうやら、そういうところからの影響があったのではないかと言うんだがね。

シェイクスピアが生きた時代が、十六世紀から十七世紀にかけてであるから、シェイクスピアのほんの少し前がボイスの時代ということで、影響を受けた可能性はあると考えられるんだ。

正確に言うと、ボイスが亡くなった年が一五三六年、シェイクスピアが生まれた年が一五六四年で、ボイスが亡くなって二十八年後にシェイクスピアが生まれている。ボイスがコーダー城とマクベスを結び付けた不正確な情報をシェイクスピアがキャッチしてしまった可能性はあるとみてよい。」

「なるほど。いろいろ教えてくださり、とても勉強になります。失礼ですが、まだお名前をお聞きしていませんでした。名刺があれば、いただきたいのですが。」

そう言って、わたくしは、自分の名刺を先に渡しました。すると、そのお城マニアの日本人も、わたくしに名刺をくださいました。

「萩野琢治(はぎのたくじ)さんとおっしゃるんですね。そうですか。京都大学の「歴史地理学」の教授をしていらっしゃるとなれば、道理で、お詳しいわけですね。」

「ふーむ、近松才鶴さんですね。三丸菱友商事にお勤めですか。これは奇遇かもしれませんな。わたしの姪っ子が働いているところですね。米倉アキ子と言いまして、ロンドンにいるんですよ。」

「えっ、何ですか。米倉アキ子さんですか。同じところにいますよ。同じフロアで毎日顔を合わせて、一緒に仕事をしています。びっくりですね。」

「わたしの妹の子です。ちょっと男勝りなところがありますが、いい子です。」

「いやあ、まいりました。米倉アキ子さんの叔父さんにこんなところでお会いできるなんて、奇遇どころではありません。よほど、何かがあるように思います。」

一体、どうなっているんだろう。世間は狭いなんて言いますが、米倉さんの叔父さんに出会い、スコットランドのコーダー城について、いろいろと教わることになるなんて、全く、予想もしていない出来事ですが、絡み合う糸と糸が一つの運命として結び合わされているのであるならば、わたくしと萩野教授、そして米倉さんという三者の繋がりを意味あるものとして、受け止めざるを得ません。

実際、こののち、萩野教授とは並々ならない深い交流を築くことになります。そこに米倉アキ子さんも積極的に入り込んできます。

「面白い出会いになりましたなあ。それでは、一緒に、見て歩くとしますか。近松さんは初めてのようですから、わたしが説明できるところは説明して差し上げます。わたしは、この城は今回で、二度目なんですよ。」

「よろしくお願いします。本当に助かります。いやあ、それにしても、米倉アキ子さんの叔父さんに会い、お城の説明をしていただくなんて、なんだか夢のようです。」

「コーダー城は、歩いてみるとわかりますが、お庭が非常によくできているんです。庭園の美しさで知られているんですよ。」

「そうですね。きれいな緑が広がっていますね。このきれいに剪定された背の高い樹木の大きな壁の中庭に、また、小さな樹木の壁をいろいろな形に植え込んで作り、壁で囲まれた中に色とりどりの草花を咲かせているというのは、とても面白いですね。」

「これは、見た形のまま、ウォール・ガーデンと言うんですよ。植木を幾何学模様に剪定して作った壁が大小さまざまあって、そこに草花を植え込んでいる。そういうかたちですなあ。

ウォール・ガーデンのほかに、フラワー・ガーデン、ワイルド・ガーデンなどがあって、ガーデンの植栽にさまざまな工夫を凝らし、お庭を堪能してもらいたいというコーダー城の城主の配慮が行き届いています。」

私たち二人は庭園散策を、萩野琢治教授の解説入りで、楽しんでいましたが、教授がしきりに腕時計を見始めたのを見て、尋ねました。

「何か待ち合わせのお約束でもあるのではありませんか。」

「そうなんだ。城内にあるカフェで待ち合わせのアポがあって、エディンバラ大学の人文学部で歴史学を学んでいる留学生の大山寛英君と会うことになっている。そろそろ時間のようだ。」

「どうぞ、行ってください。わたくしのほうは構いません。また、先生とどこかでお会いできる日を楽しみにしています。名刺を頂戴いたしましたので、いろいろご連絡を差し上げるかもしれません。」

「そうですね。いいご縁ができました。姪のアキ子によろしく伝えてください。ロンドンに行った際、そちらの会社のオフィスを訪ねてもいいかな。」

「どうぞ、お越しください。米倉さんとお待ちしております。アキ子さんも喜ぶと思います。叔父さんに会ったことをアキ子さんに伝えたらどんなに喜ぶかわかりません。」

こうして、わたくしは萩野琢治教授と別れ、自分一人で、城内をあちこち見て歩くことになりました。広い敷地にはいろいろなガーデン・スペースが設けられていましたが、その中に、「メイズ」をほぼ正方形の形で設けた場所、すなわち、迷路、迷宮を、植栽で造形した場所があり、興味を持って、そのメイズの中に入っていきました。

城内のガーデンには観光客が至る所に見られ、写真を熱心に撮っている姿などが見られたというのに、このメイズのところには誰もいませんでした。わたくし一人がぽつんと佇んでいるだけでした。

子供心に帰り、ラビリンスを楽しむ心地で、植栽の中に迷い込んでいきました。ほぼ正方形のメイズの、ちょうど真ん中当たりに立ったと思われた位置を、自分の目で確認していたとき、またしても不思議なことが起きました。

わたくしはわが目を疑いました。誰もいない、ここにはわたくし一人だけだと思っていたのに、迷路を歩いている人がいます。しかも、それは何と江戸時代の衣装をしている人の姿であり、髷(まげ)姿に、小袖を着て、紙子の羽織を羽織っている姿でした。

まさか、何かの撮影ではあるまいし、カメラクルーの一団なども見当たりません。わたくしは唖然とその人を見つめ、わけのわからない趣味の人がいるものだと思って、どうするのかと見ていましたが、どんどんこちらへ近づいてきました。その人の目当てはわたくしであるとわかったとき、一人の江戸時代人がわたくしの目の前一メートルのところにすっくと立っていました。

「驚くことはない。近松門左衛門です。あなたの遠い先祖です。まあ、マクベスの城と言われるスコットランドのコーダー城で、変な格好をした日本人に会うわけだから、驚くなと言われても、驚かざるを得ないことは十分にわかっている。それを承知の上で、こうして現れたのじゃ。」

「一体、わたくしは自分がどうなってしまったのか、ロンドン赴任以来、不思議の連続で、あの世の人が平気でわたくしの前に現れるようになって、何が何だか、ちんぷんかんぷんです。

混乱しているわたくしごとを申し上げましたが、近松門左衛門様でいらっしゃいますね。わたくしの御先祖様に、このようなスコットランドの地で、お会いできて嬉しく存じます。

シェイクスピア様とあちらの方ではとても懇意にしておられるとのこと、いろいろ、シェイクスピア様からお伺い致しております。近松才鶴と申します。改めて申し上げることもないと思いますが、あなた様の子孫です。」

「わが愛しの才鶴よ、よう頑張って生きている姿を、いつも、あちらから、しかと見守っているぞ。あの交通事故は一歩間違えば、大変なことになる事故であった。必死に守ったのだ。シェイクスピア様も力一杯お守りくださった。有り難いことであった。」

「わたくしは、一体、何と言えばよいのでしょうか。わが先祖、近松門左衛門様と、世界的な文豪、シェイクスピア様に守られて生きている、恐れ多くて言葉もありません。」

「そんなに恐縮しなくてもよい。大事な子孫を心配するのは、先祖として至極当然なこと、「マクベス」などの作品を中学生時代から愛読していた才鶴に、シェイクスピア様が特別に注目されたということの有り難い僥倖が加わって、あちらへ逝くはずの命が、こちらに無事に留まることができたのだ。」

「わかりました。本当にありがとうございます。それにしても、コーダー城でわが先祖様にお会いできるとは、想像もしませんでしたが、なぜ、こんな場所にお姿を現されたのですか。

グローブ座でシェイクスピア様が姿を見せられたのは、再建された劇場とシェイクスピア様が一体であり、あの劇場があちらとこちらの自由往来のハブ空港のような役目を果たしている、そういう霊的な磁場の形成された場所であると教えてくださったので、よく理解できたのですが、門左衛門様がコーダー城で御登場なさったのは、ちょっと意外です。ちょっとどころではありません。本当にびっくり仰天です。」

「ははは。コーダー城に現れてはいけなかったかな。シェイクスピア様と懇意になってから、一度、二度、このコーダー城に案内されたことがあって、それ以来、わしはこの城がとても気に入り、ときどき、訪ねてくるのじゃ。それだけのことじゃ。」

「御先祖様には、本当に恥ずかしいことでありますが、わたくしは、門左衛門様の作品を一冊も読んでいないのでございます。近松門左衛門全集のようなものを取り揃えて、一生懸命に読ませていただきますので、今後もいろいろとお導きのほどよろしくお願い申し上げます。」

「そうして頂くと誠に有り難い。と言うのは、シェイクスピア様とわしの合作で発表した「リヤ王と国姓爺」が、あちらで大いに受け、大人気を博したので、その内容を才鶴よ、お前にしかと伝えることとしたい。

それをペンでもパソコンでもよいが、書き上げて、こちらの世界で、お前の名で発表してもらいたい。シェイクスピア様とも話し合った結果、それはグッド・アイディアであると非常に喜んでくださった。

今後は、この門左衛門がお前といつも一緒にいて、これまで以上に導きの手を差し伸べようではないか。シェイクスピア様も同様にしてくださるであろう。よいかな。」

「そのような大きな仕事をわたくしに任せていただくなんて、夢のようです。ご期待に沿えますように、一生懸命頑張りたいと思います。」

こうして、コーダー城の庭園の一角に作られた「メイズ(迷路)」で、わが先祖との出会い、そして、「リヤ王と国姓爺」の沙翁・近松による合作作品の地上発表の任務遂行の命令、このような驚天動地の出来事がわたくしの身の上に起きたのです。

スコットランドのインヴァネスへの出張が、鶴矢先輩との同行という軽い気持ちであったのとはまるで違った意味を帯びてきたことに、正直、わたくしはまさに「迷路」に入ったような気持ちになったのですが、御先祖様とシェイクスピア様に命を助けてもらった以上は、「リヤ王と国姓爺」はどんなことがあっても発表しなければならないと強く決意し、思ってもみなかった劇作発表の使命の遂行へ、わたくしの心は静かに燃え上がっていくのでした。

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