「ゆっくり」って意味を見直してる
私はとにかく速さを信じて生きてきた。音楽にそれが現れてると思う。もっと早く、もっといっぱい!!速度を上げながら多くの情報量を撒き散らすことしか生き方を知らなかった。
今もその属性は変わってない。でも、年齢や、タイミングや、体の故障などから、ここのところそのやり方を見直すきっかけがどんどん訪れている。
ある日、めちゃくちゃぼんやりした駅員さんの対応に、「なんであんなにボーっと仕事してるんだ、頭も心も回転が遅すぎる!」と怒った私に、夫がこう言った。
「遅い人だからこそ気づくことや、合うタイミングもあるかもしれないよ。」
その時は「はあ?」と思ったけど、数日後、意味がストンと落ちてきた。その通りだと思った。速いというのは、当たり前に、いいことばかりではない。ときに周りを置いてきぼりにし、ときに自己中心的行動につながり、ときに機を逃す。なぜなら私は人間社会に生きて働いているので、「良いタイミング」というのは私一人の問題ではないからだ。
散々酷使してきた右腕も故障してるし(経過がまだ分からないので詳しくは今は書かないでおきますが、きっと大丈夫!)、同時に今年は大事なタイミングだし、だけど私の人生はまだまだここからなはずだし、私は私のフォームの見直しを引き続きやってみようと思う。その中で、「ゆっくり」の良さも、学んでいこうと思う。そしたらきっと、知らない世界が見えて、また新しい自分に出会えるし、今までタイミングが合わなかった誰かと、未知の世界を作ることもできるかもしれない。
ゆっくり、じっくり、そしてスピードを必要とするときは水を得た魚のようにギアを入れよう。大丈夫。スピードを出すのは得意中の得意なのだから、やらねばなときはできる。普段の生活は、幼い時に苦手だったピアノの練習のようにゆっくりとやってみてもいい。
私はまだまだ私を知らない。その旅の途中の出来事がぜんぶ音楽になる。素晴らしい人生だね。
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