結婚が私にもたらしたもの。
先日の元旦で結婚6年目に入りました。
つるうち家は、私の名字の「靍内」が絶滅寸前ということと、夫の頓着の無さから、妻の私の名字になりました。今の日本の婚姻届は、養子でなくとも、普通に「どちらの名字にしますか」にチェックを入れたら、妻の名字にすることもできます。ただ、割と珍しいケースのため、私の場合は役所から確認の連絡が来ました。
結婚前、私はもはや恋愛に興味が無くなっていました。誰と何をしても行きつく先にあまり変わりがなく、ドラマティックな気持ちが冷めたあとの侘しさを乗り越えることもできず、誰と付き合っても三年が限界。同じことの繰り返しはもうたくさん、私はこのまま尼さんにでもなるのかしら。なとど考えていた頃に夫と出会い、ほどなくして「付き合ってください」と言われたので、「あなたことは大好きだけど、恋愛ごっこはもうしたくない」と返したところ、「じゃあ結婚しましょう」とまさかの切り返しが来たので、面食らいながら家族に紹介したところ、「ええやんええやん、反対する理由が一つもないわ」と言われ、結婚に至りました。
私は人に対して、「結婚はいいよ、面白いよ!」と、言うようにしています。
当たり前のことだけど、結婚はいいことばかり、楽なことばかりなわけがなく、恋愛のときには避けることが出来ていたあらゆる責任を共にすることになります。我が家の最初の数年も、人に話すと「し、信じられない…」と言われるような地獄絵図の瞬間が何度もありました。
でも、私はいざ結婚すると決めたとき、「この人がもし歩けない体になったりしたときも、最後まで添い遂げられる覚悟が自分にあるか?」と問い、「あるとは言い切れないが、やる。」と自分の心が申したので、結婚の責任を引き受けました。その責任を引き受けると決めたとき、その覚悟こそが、恋愛ではどうしても得ることが出来なかった喜び、心からの安堵、幸せを感じる日々に繋がっていきました。
人間は、自分にとって都合の良いところだけを受け取ろうとしている限り、ずっと不自由で、満ち足りないのだと気付いたのです。
不都合も、理不尽も、事故も、病気も、借金も、全部ひっくるめて、他人の人生の問題を共に背負うからこそ、一人では絶対に味わうことが出来なかった幸せを知った。
これこそが、私が結婚から得た最大の糧です。
このことに気づいたことは私の人生観を根本から変える出来事で、だから私は、「結婚して本当に良かった」のです。
それでも、明日のことはなんにもわからないし、約束をしても、約束はできない。好きな人ができたり、タイミングがどうしても合わなくなったり、どちらかが先に死んでしまったり。私たちはどれだけ愛し合っていても、先のことを本当には約束はできないのだと心から思い知る毎日です。
だからこそ、今目の前にいる夫を毎日毎日大切にしたいし、あなたは最高の男だと褒め続けたいし、おいしいごはんを食べさせたいし、行けるときになるべく温泉に行きたいし、自分の幸福を殺してでもスターになる、みたいな考え方が私の中から無くなり、「花とポップス」という、他人と人生を共有する場を作り、承認欲求からではなく、目の前のあなたに当たり前に心血を注ぐ音楽活動を続けることができています。
私は、私の人生そのものを、音楽活動を通して表現しているのだと思います。それが一番、人生を面白いと思えるやり方だから。
その基軸に、今はパートナーとの生活があります。そして未来のことは誰も約束できないので、その生活がもし失われても、結局私は音楽活動をやり続ける人生でしょう。
だけど、「この幸せがいつか無くなるかもしれない」に怯えすぎると、今の幸せも見えなくなります。
今が最高に幸せ、だけど変化していくこの先の未来も、私が私である限り幸せ。これだけ愛する人が身近にいるからこそ、心からそう思える自分になりたいなと、思う35歳の年明けです。
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