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疑惑のコッペさん

もしかしたらスーパーの店員さんから、あだ名を付けられているかもしれない。
そんな疑惑が浮上したのは、昨晩のことだった。
そのスーパーは賞味期限が近くなるとお惣菜やパンや野菜が半額になる、私みたいなケチ人間にとっては天国のようなお店だ。
昨日も私は、半額シールの付いたコッペパン二つと甘食をカゴに入れ、ウキウキとスーパーを見回っていた。

そうだ、そろそろ水切りネットを買わないと。そう思い出して台所用品や掃除用品の棚を探したものの、見当たらない。

しぶしぶ近くでプリンを並べている店員さんに背後から近づきおそるおそる声をかけると、
「あっ、こっ」
と、彼女は目を白黒させて硬直した。
その後の対応も、どこかぎこちない。

「こちらです」を噛んじゃったのかしら。そんなに挙動不審にさせてしまって、なんだか申し訳ない。
恐縮しながら彼女について少し歩くと、彼女は「こちらです」と今度ははっきりと発音して、水切りネットを指した。

ネットは普段よりも少し安くなっていたらしい。「オススメ!」と主張が強いチクチクした吹き出し付きで、日用品の棚の短辺にダンボールで置かれていた。
お礼を言って彼女と別れ、一つカゴに入れる。そしてふいに、ヨーグルトも食べたかったことを思い出す。

プリンやゼリーのコーナーに戻ると、さっき私がネットの場所を聞いた店員さんがその奥で缶ビールを補充していた店員さんに、「コッペさんって言っちゃうとこだったじゃ〜ん」と焦り半分、笑い半分といった声音で話していた。

えっそれ、私のことじゃね?
思わずギクリと身体が固まる。

「あっ、こっ」はもしかして、
「あっ、こちらです」じゃなくて、
あっ、コッペさん」だったの?

とはいえ直接本人たちに問いただすメンタルなんて、内気チキンな私は持ち合わせていない。
私は彼女たちに気づかれないように、こっそりとその場を離れた。
ヨーグルトは、買えなかった。

半額商品ばかりのカゴを持った私と、同僚と盛り上がる彼女。
どちらも何も悪いことはしていないのだけれど、絶対に顔を合わせるわけにはいかない。この気まずさはいったいなんなんだろう。

ずっしり重いエコバッグを肩から下げて、とぼとぼと来た道を帰る。

「コッペさん」。
やっぱり私のことだろうか。
あの二人は私のことを「半額のコッペパンを買いにくるやつ」と認識し、そんなあだ名を付けたのだろうか。
私自身、接客業をしていた時によくこっそりお客さんにあだ名を付けていたので、店員さんの気持ちはすごくわかる。
けれど正直私は、自分があだ名を付けられる側に回ることはないと過信していたフシがある。
いつのまにか見られる側、あだ名を付けられる側に回っていたことの衝撃は、簡単には拭えない。

これからは行く時間をズラして彼女たちのシフトに当たらないように買い物に行こう。
ていうか、もうなるべくあの店には行きたくないなぁ。
でもあのスーパーの値下げに対する潔さは神がかっているし、家からの距離もちょうどいい。
いかがせむ。

気持ちがいっそう暗く塞がろうとした時、不意に少し前に見たウェブの記事の記憶が一筋の光として差し込んできた。
その記事では、ビスコを毎日買い続けることで店員さんからあだ名を付けられるかどうかを検証した人が取り上げられていた。しかもその人の実験記録は、書籍化までされたらしい。

その人に比べれば、週に2〜3回コッペパンを買いに行く私の存在なんて塵に同じじゃない?
しかも!この半額のコッペパンを求めているのは私だけではない。
私がいつも半額パンを品定めしている時(紙袋に入ったぶどうパン、つぶあん&マーガリン、はたまたピーナッツクリームやツナマヨと多種多様なコッペパンがあるのだ)、パンコーナーにわらわらと群がってくる顔ぶれは、わりといつも同じだ。
おや、この人一昨日もいたような、と思うことはけっこうある。

もしや、ひょっとして……ひょっとして、「コッペさん」は半額パンに集まる人々の総称だったりして。
その瞬間、それまでたった一人で所在なく立っていた真っ暗な舞台に、カッとスポットライトが当たった。

私の隣に堂々と立っているのは、コッペさんA(高齢男性)。
その横で腕組みしているのは、コッペさんB(推定主婦)。
反対側で少し恥ずかしそうに俯いているのは、コッペさんC(学生風)。

そう、私たちは、半額の狩人(パン部門)。
たった一人のあだ名ではなく、半額のコッペパンを標的と定める人々の総称としての「コッペさん」だとしたら。
途端に、先ほどまでの恥ずかしさが嘘のように引いていった。「コッペさん」という称号が、誇らしく思えてきさえした。ような気がする。

「我こそは半額の狩人、通称コッペさんである」とか別の狩人の竜田さん(惣菜部門:なぜかこのスーパーはいつも竜田揚げばかりが売れ残っているのだ)と名乗りあったりしたら、なんか『精霊の守り人』(上橋菜穂子の人気小説)みたいで超格好よくない?

超格好よいわけじゃないのは薄々わかっているけれど、こういう時はせっかく上がったテンションを守り抜くことが大切だ。己の妄想をしっかりと抱えた私は、半額の狩人としてこれからは胸を張って鍛錬を続けることにした。
父のような、立派なハンターを目指して。
突然の父親の登場で恐縮だが、彼はハンターとして非常に優秀なのだ。
私が帰省するたびに父は半額の焼き鳥や寿司を満面のドヤ顔で大量に買ってきて、深夜の宴を開いてくれる。
そんな父の娘として、私も腕を上げていきたいものである。


本当に私は「コッペさん」なのか、「コッペさん」は総称なのか、その真相はわからない。
けれどもともかく、「コッペさん」の名に恥じぬ生き方を心がけていこうと思う。
…いったい全体、なんの話なんだろう。

お読みいただきありがとうございました😆