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所沢のグリフィン

金曜の晩、僕と部長は酔っ払って静まり返ったオフィス街を歩いていた。とうに居酒屋は閉まり、タクシーも走っていない時間。
先ほどまでの部長主催の納涼会は、とにかくひどかった。
会費を7000円も取られた上に、出てくる料理は全部ゲテモノ。部長チョイスの料理の数々に、後輩たちはテーブルとトイレを行き来していた。

部長は無類のゲテモノ好きだ。
長期休みに入るたびに海外へ行き、アリの卵やサソリ、ワニなどを食べてきたとよく自慢げに話している。
最初は怖いもの聞きたさにギャラリーもそこそこいたものの、最近の新入社員にとっては映えないゲテモノよりも近場のスタバの新メニューの方が重大な話題だったようで。
部長が「こないださぁ」と始めた途端に彼らが目を見合わせて「お疲れさまでぇす」と去っていくところを何度か見かけた。

だからこれは、部長なりの復讐だったのだろう。会社の納涼会という参加せざるをえない場所で自分の趣味を全力で強要する彼の油ぎった欲望に、僕はすっかり引いてしまった。
そもそも僕は、その土地の人々が普通に食べているものを物珍しがって食べる風潮が好きではない。
大抵の感想は「よくこんなもの食べるなあ」「気持ち悪い」だし、たとえおいしかったとしても「意外とイケる」と上から目線の「意外と」がつく。
それはそれを常食している人々にも、食べものに対しても失礼なことではないだろうか。

部長に対しても世間のゲテモノに向ける下品な好奇心にもムカついて、僕はつい飲みすぎてしまった。
そして同じく飲みすぎた部長と今、おぼつかない足取りで家に向かっている。

「部長はどうしてそんなにゲテモノが好きなんですか」
無言で歩くのも気まずいので、相手の得意な話を振ってみる。
「俺は……別にゲテモノの味が好きなわけではないんだ」
「でしょうね」

味が好きならその食材ばかりを食べるだろう。部長の場合は節操もなく「とにかくゲテモノと呼ばれるものを」と求め歩いている印象がある。
「最近の若い奴らと同じ……承認欲求みたいなもんだな。ゲテモノを食べられると言ったら、昔はけっこう尊敬されたんだよ」
どうせそんなところだとは思っていたけれど、こんなに素直に承認欲求だと認められると少し拍子抜けしてしまう。
年下の世代と欲望の方向は同じなのにジェネレーションギャップをこじらせている部長がちょっとだけかわいそうに思えて、僕は部長の顔を見ないように月を見上げた。

すると少し離れたビルの屋上に、しゃちほこのような影が見えた。
なんだろう、鳥の置物だろうか。
部長、あれ……と声をかけたら、その影は一瞬身を低くしてから後脚を強く蹴り出し、ビルからビルへと飛び移り始めた。
生きものだったのか!?

黒い影はみるみるこちらへ近づくと、僕たちの頭上にあるビルから降りてきた。羽ばたくたびに風が強くうねり、目を開けていられない。
風が止んで薄目を開けると、そこには珍妙な動物がいた。

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上半身は鷲だが、下半身は……獣みたいだ。毛並みのよい逞しい後脚と、先端が筆のような尻尾。ライオンだろうか。

「グリフィンだな」
妙に落ち着いた声で、部長が言う。
ファンタジー小説にしか存在しないはずの生物の名を、躊躇いもなく口にした彼の顔を盗み見る。
……酔っているのだろうか。

「私を知っているとは、おぬしなかなかやるな」
あ、喋るんだ。
どう見ても嘴なのに、そこから発されるのは滑らかな日本語だった。
「どうして日本に?」
部長は部長で、普通に話しかけるんだ。
グリフィンはほう、というように少し顎をそらし、「私を見て驚かない人間は久しぶりだ」と言う。
「恐縮です。酔ってますから」部長がへらりと返す。
グリフィンは軽く咳払いをして、これまでの経緯を饒舌に語り始めた。

もともとは鬱蒼とした森の中に棲み、時折村の牛や馬を襲っていたこと。
村人たちも、それを必要な供物として受け入れていたこと。
ある日、村が都市になり、牛も馬も消えたこと。
仕方なくペットとして飼われている犬や猫を狙ったこと。
動物愛護団体から迫害され、インドに渡ったこと。
インドには大量の牛がいて、食には困らなかったこと。
白牛を連れ去ろうとしたところを見られて、インド人からターリーの銀盆を投げつけられたこと。
命からがら渡った中国で、危うく食べられそうになったこと。
そして今は、所沢の森に定住していること。

かつて王家の象徴として畏怖されていたグリフィンの数百年は、人間の文明化によって住処を転々とせざるを得ない孤独なものだったらしい。

「もう、誰も私の存在を信じない。私の姿を見ても“伝説の生きもの”ではなく“動物”として見てしまう」
拗ねたようにグリフィンは言った。

なぜ今は所沢の森に……?
そう尋ねると、グリフィンはそこからの話も長いのだと苦笑した。
「日本に来たのは、たまたまだった。だがそこで、いい出会いがあった。日本の都市化についていけずに、森に引きこもった妖怪たちだ。
河童や猫又、オロチ。みんな私と同じように、食糧のために人や家畜を襲ったが普段は静かに暮らしたがっていた。
国が工業に力を入れ始め都市が汚れていくと、人面犬やツチノコも逃げ込んできた。私は森が失われるたびに、全員を背に乗せて別の森へと移った。
そうしてある時、日本一愛されている妖怪の棲む森にたどり着いた。その妖怪が愛されている限り、この所沢の森が破壊される心配はない。
かくして私たちは、ついに安息の地を手にしたのだ」

いい話じゃないか。
正直所沢にグリフィンと言われても全然ピンとこないけれど、人間の端くれとしては彼が無事に住処を見つけられたことにホッとした。
そういえば、食糧は……?

僕の考えていることが伝わったのか、グリフィンは再び嘴を開いた。
「今は狸か狐が交代でスーパーに買いに行っているよ。むろん貨幣は全部木の葉だが」
よかったよかった……のかな?

しばらく黙って話を咀嚼していた部長が、不意にグリフィンの目を見た。
「埼玉の森で幸せに暮らしているあなたが、なぜ今夜はこの町に来たのですか?」
たしかに。

「喧嘩をしてきたのだ」とグリフィンは少しばつが悪そうに羽を揺すった。
「私たちはこの静かな暮らしに満足している、はずだった。
おかしくなったのは、アマビエが数年後に自分の時代が来るといきなりいい始めてからだ。奴は自分の顔を模したお守りや瓦煎餅を作り始めた。江戸時代の妖怪に再ブームなんてあるわけないと皆笑ったが、奴は本気だった。挙げ句の果てには“アマビエの部屋”なんて動画まで撮り始めた。
奴は数年後、世界中に恐ろしいウイルスが広がる、それを止められるのは自分だけだと繰り返した。最初は誰からも相手にされていなかったが、毎日のように配信するうちに信者のようなファンが何名かできたらしい。
承認欲求に取り憑かれて再生回数を血眼で見ている奴を見ていたら、私はかっと頭に血が上って……森を飛び出してとにかく翼を動かしていたら、お前たちが承認欲求の話をしているところに出くわしたのだ」

まさかその話題に食いついてくるとは。
部長は口ひげを撫でながら、「人も妖怪も、承認欲求からは逃れられない時代なんですねえ」と言った。
「人目につかずに静かに穏やかに暮らしたいと願う私の考え方は、もう古いのだろうか」

僕にはグリフィンの悩みが分かる気がした。
長年孤独に生きてきて、やっと仲間を得た喜び。その仲間が変わり始めた戸惑い。そして、承認欲求への恐れ。

「とにかくアマビエやほかの妖怪たちと話し合った方がいいんじゃないですか?」と僕が言ったら「わかっている。わかってはいる」とグリフィンは頷いた。
「お前たちと話していて、承認欲求がなんたるかもようやく理解できてきた。奴は妖怪としての己の影響力を取り戻したいのだな。私は、それを否定も応援もしない。だが、かつて崇められてきた身として共感はする。生活を変えるつもりはないがな」

グリフィンは森に帰る意思を固めたらしく、月を見上げた。
たぶんもう、会うことはないのだろう。僕はそっと息を吸い込んで、その凛とした美しさを目に焼き付けた。
同じことを感じていたらしい部長が、「最後に聞いてみたいのですが」と口を開いた。
「あなたの身体は、鳥の味なんでしょうか、ライオンの味なんでしょうか」
ここにきてまでゲテモノの話か!なんという失礼なことを。

「お前の承認欲求を満たす手伝いなぞしてやらん!」
憤然と羽ばたいたグリフィンは、後脚で力強く地を蹴り颯爽と飛び立った。一瞬前までそのコンクリートに座っていたのに、もう遥か遠いビルの上だ。
僕たちはぽかんと口を開けたまま、顔を見合わせた。
少し遅れて、夜空にグリフィンの笑い声が響いた。

キリリとした表情の鳥の絵と、壮大な物語『物語の欠片』を紡ぎ続ける橘鶫さん。ファンとして是非とも参加せねばと鼻息荒く書かせていただきましたが……まさかのグリフィン!
『ハリー・ポッター』や『ナルニア国物語』で、遠い昔に会ったきりだなぁ。彼は今、どうしているんだろう。
そんなところから妄想を広げ、遊ばせていただきました。
この機会がなかったらファンタジー(なのかしら…?)に挑戦することはなかったかも。鶫さん、とても楽しかったです!ありがとうございました♪

お読みいただきありがとうございました😆