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「ダダッダジョン」を知っていますか

あれは、ある秋の日のこと。
朝の電車で、びっしりとダダッダジョンが整列している柄の黄土色のリュックを腕に掛けている中年女性を見かけた。
うわ! ダダッダジョンってリュックにプリントされるほどメジャーな生きものだったんだ! それにしても奇妙なフォルムだな……。
奇抜さと懐かしさに目を引かれて何度も盗み見ていたら、さすがに持ち主に気がつかれた。持ち主がぎゅっと眉をひそめておそろしく圧のある視線を送ってきたので、「すてきな柄のリュックだな〜、と思いまして。すみません、ガン見しちゃって」と揉み手する勢いで下手に出たら「ああ、これ? フクロウなのよう。運もよくなりそうでしょう?」と彼女は相好を崩した。

雰囲気が一気にデタントに向かったことに安堵する一方で、彼女のリュックの柄がフクロウであったことに驚愕していた。よくよく柄に目を凝らすと、斜めに長く引き伸ばされてはいるものの、たしかにフクロウだった。
「ダダッダジョン柄ですか? 攻めてますね〜」なんて言わなくて本当によかった。危ねえ危ねえ。

事の顛末を会社で話したところ「ダダッダジョンってなに?」とみんな怪訝な顔をしていた。
誰もがダダッダジョンを知っている前提で語っていた私は、面食らった。

ダダッダジョン。それは10センチ弱くらいの、お尻の先がつんと尖った大きな蛹。つつくと尻をうねうね振って、地中に潜っていこうとする。たぶん羽化すると蝶か蛾になるんだろう。取っ手のような口吻がある。

これだけ説明しても誰からも「ああ、あれね!」という反応がもらえず、もしかしたらこの名称は私にダダッダジョンを教えた父親が独自につけた呼び名かもしれないと疑いはじめた。スマホでダダッダジョンを検索すると、出るわ出るわ、大量のジョン。「ダダッダ」をガン無視して、ハリウッドのジョン、ゲームの登場人物のジョン、ジャズ奏者のジョンなど、掃いて捨てるほどのジョンが検索結果に溢れかえった。
固有名詞で探すのを諦め「大きい 蛹 蝶 蛾」と調べて画像を見ていたら、ついに見つけた。

彼の本名は「エビガラスズメ」というらしい。
にわかに喜びがこみ上げてきて、エビガラスズメを飼育している人や研究している人のブログを漁った。
YouTubeで見つけたエビガラスズメの動画を先輩たちに見せたところキモいと一刀両断された。ダダッダジョンに出くわすたびに父が蛹を手に乗せて「くにゅくにゅしててかわいいね〜」と言っていたせいか、私にはかわいくしか見えないのになぁ。

エビガラスズメのことを考えているうちに一日が終わり、最寄駅に着いた。エスカレーターの降りた先にちょっと異質な雰囲気の人が待ち受けていることに気がついた時には、もうほとんど地上に着こうとしていた。
顔の半分を覆うほどの大きなフードをかぶったその人はエスカレーターの脇に立って、降りてきた人に話しかけながら何かを渡そうとして、断られているようだった。
あっという間に自分の番がきてしまいなにを言われるのかと身構えていたら、その人は低い声で「とりーくおーとりー」と言った。そして、一口チョコを差し出してきた。ところどころ埃や毛玉のついた真っ黒なフリースを着ていた。顔を見ると、ごくごく普通のおばあさんだった。
てっきりいかにもなパリピがハロウィンで浮かれているんだろうとたかをくくっていたので、フリース姿のすっぴん老婆に打ちのめされた。「とりーくおーとりー」って。一口チョコって。しかも彼女の後ろではライオンズクラブがさかんに寄付を募っているから、彼女の呟くような声はほとんど誰にも聞こえていないのではないか。
なんだかたまらなくなってチョコを受け取りお礼を言うと、彼女は眼光鋭く横に首を振った。「トリックオアトリート、ですか?」と聞くと、ふむ、と頷いて目を細めてくれた。
彼女がどのような経緯でハロウィンに参加してみむと思いついたのかは知らないけれど。「トリックオアトリート」はお菓子をもらう側が言うセリフだということくらいは誰か教えてあげてよ!
チョコを握りしめて駅ナカを歩いていたら、カラオケ喫茶から竹内まりやを朗々と歌うおじさんの声が響いてきて余計に悲しくなった。
所詮ハロウィンなんて、渋谷でしか賑わっていないのだ。

一日のうちに二度も鋭い視線に射抜かれてひどく疲弊したので、柄にもなくハーゲンダッツを買った。子どもの頃からハーゲンダッツは“とてもよいもの”で、うんと特別な日しか食べられない豪華なものだと崇め奉ってきたけれど。実は200円ちょっとなんだよなぁとスプーンをしゃぶりながら考えた。
たとえばファミマのコンビニスイーツのたぐいは大体200〜400円くらいのものが多いけれど、私にはそれらすべてのデザートよりもハーゲンダッツがダントツにリッチに見える。今も、きっとこれからも。
刷り込みの力って、すごい。
ダダッダジョンは、私の中で未来永劫かわいくあり続けることだろう。

お読みいただきありがとうございました😆