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「丁寧な暮らし」にあこがれて

茹であがりそうに、暑い夜だった。
窓を開けて寝ようと思い、少しガタつく網戸を窓の片側に勢いよく寄せて布団に寝そべった。
窓を開けると、外の音が普段よりも大きく聞こえる。じっと耳をすますと、網戸にあたるカナブンのような甲虫のマッチョな羽音や、蛾のような柔らかいものの衝突音がする。
網戸に絶大な信頼を寄せている私は、ウチに入ってこようなんざ100年早いぜ!と余裕をぶっこいて眠りについた。

そして翌朝。
布団の上で柔軟をしていたら、小さいけれど網戸はくぐり抜けられなさそうなサイズの蛾が耳をかすめた。雑巾掛けをしていたら、床を小さな蜘蛛が飛び跳ねていた。この蜘蛛も、網戸をくぐれるとは思えない大きさだった。
怪訝に思いながらも、洋服やカバンにでも付いてきたのかなと楽観的に考えていた。
虫侵入の謎が解けたのは、出勤間際に部屋の戸締りをしていた時だった。
左側の窓(網戸で覆っていない方)が10センチほど開いていたのだ。

虫、入り放題じゃん。
嘘でしょう? 嘘だと言ってくれ……。

背すじが凍った。昨夜聞こえていた羽音のいくつかは、もしかしたら侵入後に聞こえていたものなのかもしれない。
蛾や蜘蛛ならまだいいとして、蚊やゴキブリのような部屋にいるだけで眠れなくなるような害虫も入ってしまったかもしれないと思うと、考えただけで身体が痒くなってくる。

昨日何が起きたのかを知るために、網戸を以前の位置に戻してから、右側にピシャリと閉めてみた。すると、左側の窓が網戸に引っかかってぬるりと開いてしまうことがわかった。
これから網戸を開ける時は、左窓を押さえながら網戸も精一杯引っ張らねば。軽い気持ちで開けようものなら虫パラダイス一直線だ。いったいこれまで、どれほどの虫の侵入を許してしまったんだろう。
考えるだにゾッとする。

地元の友人とLINEしていたら、一人暮らしの話題になった。
彼は現在職場の寮で一人暮らしをしているため、自炊レシピや節電・節約方法などの情報交換をよくしているのだ。
そんな彼に私もついに一人暮らしになったと告げたら、「あんたの一人暮らしって「インリビング」とか「ひとりごとエプロン」みたいな生活してそうだよな」と言われた。二つとも知らないのでYouTubeで検索してみる。
「インリビング」は無印良品の擬人化とも言われている素朴な雰囲気の女性の淡々とした丁寧な暮らしを映した動画だった。ポソポソと控えめでゆっくりした喋り方とゆったりした動作に「かわいい」「癒される」と惹きつけられている人がたくさんいるらしい。
この人が全力疾走している姿や虫の侵入にうろたえているところが、まったく想像できない。なんていうか、私の対極にいる感じだ。

「ひとりごとエプロン」は団地で一人暮らしする女性が日記調にその日の出来事を喋りながら料理を作る料理ドラマだった。
秋から冬にかけての話だからかグラタンや春巻き、スペインオムレツ(Tortilla de patatas)のような温かい料理が多く、見ているだけでお腹が鳴る。
ときめいたものだけに囲まれて暮らせば、そこがお城になる」という台詞にも、彼女の部屋への愛着にもとても共感できる作品だ。
なんだかんだこの料理ドラマに影響されて、八百屋で手に入れた新じゃがを使ってスペインオムレツを作り、彼女の真似をして日曜日の三食を写真に撮ってみたりした。

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朝: きな粉入りパンケーキ黒蜜がけ

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昼: スペインオムレツとピクルス代わりの

ぬか漬け

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夕: 玄米ご飯とお味噌汁


けれど、こんな暮らしを毎日送っているわけでは断じてない。

「インリビング」も「ひとりごとエプロン」も、あまりにも自分の実生活とかけ離れていて、友人の中の私のイメージに少し戸惑ってしまう。
私たちはお互いのSNSは知らない。
だから彼は、私の一人暮らしがコンロ獲得のためにリサイクルショップを覗きまくり店員さんに顔を覚えられて赤っ恥をかいたことや、虫との熾烈な戦闘や、シャービックを凍らせていることを忘れて冷凍庫を勢いよく開け、シャービック液を床に飛び散らせてしまい「だうっ!?」と叫び隣人から「大丈夫ですか?」と壁越しに心配されたような、そんな恥と苦闘にまみれたものであることを知らないのだ。

私の暮らしは決して無印良品的な丁寧で静謐なものではなく、もっと騒がしくて色もどぎつくて、混沌とした感じなのだ。

というかそもそも、生活からこうしたバタバタしたものを拭うこと自体、不可能なのではないか。
作品としての麗しき生活を撮り終えたあと、バルサンを焚いて咳き込んだり、放置されてボウボウに伸びきった豆苗を黙々と刈っているインリビング。想像するだけでちょっとキュンとしてしまうのは私だけだろうか。

お読みいただきありがとうございました😆