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ヤンキーが僕に教えてくれたこと#2

1の続きであります。まだの方はぜひ。

僕がヤンキーから受けた理不尽エピソードがもう1つある。
中学2年生の頃のことだ。一通り中学校生活にも慣れ、8人ほどいたヤンキーのうち、衝撃的だったあの歯抜けヤンキーを含む5人ほどとはだいぶ仲良くなれていた。彼らには冗談も通じるし、仲良くなればみんなにも優しい。そんな中で、誰に対しても等しく暴虐の限りを尽くす恐竜のようなヤンキーがいた。Eだ。Eはすれ違った人間を無差別に殴る。いつも大声でくだらない冗談をほざき、それに対してこちらが笑ってやっても殴り、笑わなくても殴る。めちゃくちゃだ。
当然ながら、Eのことは大嫌いだったし、極力関わらないようにしていた。

ある日のことだ。僕はクラスメートのFと一緒に、いじられキャラのGのほっぺたに接着剤をつけて遊んでいた。今思えば本当にくだらない遊びだが、Gも含め僕らは3人で楽しんでいたのだ。それを見かけたEが突然僕とFにブチ切れる。

「俺の友達になにしとんねん。調子のんなよ。」

実は、Gはクラス全体の中でもいじられキャラだったのだが、それゆえにヤンキーたちにもいいように遊ばれていた。特にEのGへの扱いはひどく、Gのことを「俺専用のサンドバック」と称し、毎日こてんぱんに殴り散らかしていた。そのため、体育などで着替える時、Gの身体はいつもあざだらけだった。
そんなGのことをいつもいじめているEが接着剤をほっぺたにつけて遊んでいる僕らに対してキレている。意味がわからない。
「何が俺の友達だ。普段Gのことを散々痛めつけているのはお前だろ。」
なんてことは言う勇気もなかったし、言う意味もなかった。Eには話が通じない。自分のおもちゃが他人に取られてイラッとでもしたんだろうか。とにかく僕とFはEの気が済むまで殴られた。

そのEが、成人式の時期に同級生みんなで大きな同窓会をしようぜと企画したのだが、誰も行かなかったときには本当に気分が良かった。
後日、僕が企画したらみんな来てくれた。

中学の先生たちはヤンキーにあまり怒らなかった。勝手なことをしても笑って見過ごし、みんなにとって当然のことを少ししただけでヨイショとおだてる。全く頼りにならない先生たちが気に食わなかったが、ここまでは100歩譲っていいとしよう。
しかしヤンキーに対してはろくに何も言わないくせに、僕らのような普通に頑張っている生徒に小さなことでグチグチ言ってくる。これに本当にムカついていた。カバンからケータイの音が鳴っていたというイチャモンをつけられたことがある。完全に冤罪だ。僕はケータイを必ず家に置いていた。しかし、それは信じてもらえなかった。靴下の柄のことを注意されたこともあった。校則では、靴下は無地の白色が規定されている。その日、僕が履いていたのは白地にアディダスのマークが入った靴下。はぁ!?と思った。てめぇらの目はどこについてやがる。真面目な生徒の粗探しをしてる暇があったら、今すぐヤンキーどものタバコを取り締まれ。とにかく頑張ってる生徒の揚げ足を取るような先生が大嫌いだった。なんて理不尽なんだ、と。

中学で受けた理不尽は、僕の人生観を大きく変えた。純粋そのものだったそれまでの僕の性格はひねくれたのだ。頼りのはずの先生は大したことなく、どんなにこちらが真っ当に生きようとも、好き勝手に生きているヤンキーがでかい顔してのさばっている。同級生の可愛い女子はなぜかみんなヤンキーと付き合っていった。僻みや嫉妬などではなく、あんなにいい加減なヤンキーどもがいい思いをするのがどうしても気に食わなかった。かといって自分の力でヤンキーを更生させられるわけはなく、どうしようもない。

その結果、僕は基本的に人を見下すようになった。というか、厳密に言えば、他人に期待しなくなった。他人に理想や期待を押し付けるのではなく、人間なんかそんなもんだと、ある意味諦めた。そうすることで、どうしても受け入れられないヤンキーの存在を飲み込むことができた。
生きていれば、ろくでもない人間に出会うこともある。そんな時、自分の中に強い正義感があってしまうと、怒りや憤りでこちらがしんどくなってしまう。それはどう考えても損だ。だから見下す。こいつはそういう人間なのだと。そんなもんだと。諦める。
「見下す」と言うもんだから、これがネガティブな考え方なのだと捉える人がいるかも知れないがそうではない。いわばこれは、自分を守るための盾だ。自分にとって価値のない人間に精神を消費するのはもったいない。人を見下し、興味をなくすことで節約したエネルギーを、たまに出会える素晴らしい人にぶつければいいのだ。

僕はこう思う。すべての人を認め、優しくなんてする必要はない。これはすべての人を拒否し、冷たくした方がいいと言っているわけではない。もちろん全てに対して優しくあれる人は素晴らしいし、理想的だ。しかし、みんながみんな、そんなに立派じゃない。だからこそ、限りある自分の優しさや愛情を、人を見下すことによって節約し、自分の本当に大切な人たちに還元して生きていきたい。
中学で出会ったヤンキーたち。君たちのおかげで僕は今日、周りの大切な人たちをより強く愛することができる。君たちに教わったんだよ。ありがとう。

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