息子を通して私を愛する。
今日も頭をかきむしりながら育児をした。
もともと、自分の世界観を、ペースを乱されるのが死ぬほど苦手な私である。
子どもなんて育てたら絶対に毒親になる、その恐怖が妊娠した時からあった。
でも、子どもが産まれて、あれ?杞憂だったかな?めちゃめちゃ可愛いぞ??とおもって、ほっとして子育てをして2年半。
恐れは現実になりつつあった。
上の子のイヤイヤ期である。
何を言ってもやだ。下の子におもちゃ触られてだめーーーの絶叫。キャスター付きのゴミ箱やトランクを家の中でガーガー乗り回す。カレーが食べたいと言うので作って出したら違うと言われ。
そして極め付けのトイレトレーニング。何回言っても、うんちをパンツの中にする。そして、黙ってる。
何一つ自分のペースでは物事がすすまない。
先日はそこに生理が再開し、PMSのイライラが重なった。
痩せない体、食事改善に取り組んでも続けられず、けっきょくふくろでチョコ買ってきて平らげちまうのよ私ってやつは。10才のころ、学校で匿名で嬉しかったことやお気に入りのものを書きましょうと言われて、ビッグマックとかなんとか食べもんばっかり書いたらみんなの前で読み上げられてクソ恥ずかしい思いをしたあの頃から何一つ変わってはおらん。そんな自堕落な自分への嫌悪。家事を手伝ってくれる旦那氏への感謝よりも前に、自分本位な不満が湧いてきてしまう自分の器量のちっさいことにもイラつき。
でももう限界で、子供にきつい口調が出てしまい、そのことを咎められたある朝、私の頭ん中でぷっつんという音がした。
頭の中がぐちゃぐちゃになる前に、自分の思いをちゃんと言えればいいのに、ストレスをうまくそらすことができればいいのに、それがどうにもできない。パンク寸前になるまで、自分の中で積み重なってるそれになかなか気がつかない。
ストレスの処理が下手すぎる。前からどうにかしないといけないと思ってたことが、ここへきて急ぎの案件になってしまった。
矛先が、上の子に向いてしまう。
すり寄られる感覚にイラついてしまう、走り回ることを注意する口調に、ぐずる彼の心の本音に寄り添う余裕が作れない。そうすると彼の中でますます不安が大きくなる、承認欲求が拗れる、みてーみてーが激しくなる。苛立ちが増す。
これじゃあ、だめだ。
小さい頃の私がして欲しくなかった、寂しいと思ってたことを、また私の世代で繰り返してはいけないのに。
でも、できない、、、、、
これまでの自己分析で、彼に優しくする前に、自分の頭の中で自分を片っ端から否定する自分の声を逆転させるべきだと言うことはわかってた。
自分への声掛けが厳しくて、勝手に自分で追い詰められて、それがストレスとなって降り積もり、周りに当たってる。公害だ。
わかってたけど、長年の癖をとるのはなかなかに難しい、どうしよう。
今日、彼を寝かしつけながら、彼が車でえんえんごっこ遊びをしてるのをみて、セリフをつけながら1人で喋ってるその様子にイライラしつつ、はたと気がついた。
先日ビジョンボードを作ったことで気がついた、ありのままの私とは、「自分の世界観に没頭していることができれば幸せな少女」である。
それって今の息子と同じではないか????
だとすれば、彼の今やってるごっこ遊びは、彼にとってはとてつもなく幸せな大切な時間なんじゃないか???
彼のそんな姿を大切にすることで、小さい頃の私の、あるいは今の私の自分の世界観を大切にして欲しかった、という思いにも答えられるようになる気がした。
そんなの大人になれば絶対無理じゃんて思ってきた。人に話しかけられたら相手に合わせないと、自分の世界観は脇に置いとかないと。って思ってきたけども。
*
彼は、母が驚くほど小さい頃の私によく似ているらしい。喋り方も、ずっと喋ってる様子も、泣き顔も。弟が生まれてからやたらお母さんの気を引きたくてふざけたりするところも、よく似てるなぁと最近気がついた。
なんかそしたら、小さい頃の私のあのおしゃべりやおふざけの奥にあった、【寂しい】に気づいてしもて。
同時に、あの頃の母の思いもわかってしもて、うっかり「だから我慢せい」と自分の気持ちをつい脇に置いておきたくなるけれども。
私の味方をできるのは、どこまでいっても私だけだからねぇ。
あー、そうだよね、寂しかったよね。
なんか甘えたかったよね。
しばらくそんなふうに小さい頃の自分に思いを馳せた。そしたら、目の前の息子に、ほんとに久しぶりに優しく声をかけることができた。
「だいじょうぶ、なにができても、出来なくても、すごくなくても、いい。すごいことできなくたって、私はあなたが大好き」
「車のお話、とっても楽しいんだね、素敵だね」
これは、あの時の私が、いや、たぶん今の私も、欲しがってた言葉だ。
息子にあの時の自分が欲しかった言葉をかけてあげることで、あの頃の私がすこし笑ったような気がする。
そして息子も、満足そうにおもちゃを置いて眠りについた。もうやめようね、寝ようね、とか声かけするより、よっぽど早く。
*
子どもを通して、あの頃の私を知る。あの頃の母の思いも知る。たしかに寂しかったけど、愛されてなかったわけじゃないんだと知る。
愛の研究所で私がもらったテーマは「思いやり」。私は、息子を通して、昔の傷ついた私を思いやり、母や父や、関わった人をも思いやることで、ようやく拗れを解いて素直な心で人を愛せるようになるのかもしれない、などと今ふと思った。
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