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自己対話で見つけたこと
ちゃんと書こうとするとうまく書けないので、とりあえず思いつくままに書き出してみる。
ビジョンボードなるものを作った。
雑貨を切り抜いて、自分の好きな世界を作り出すあれだ。
画用紙2枚に収まるように取捨選択が必要なので、これがなかなかどうして。自分の頭の中が見えてきて面白いのである。
今の私は、とにかく1人の時間が欲しいようだ。
喧騒からも離れたい。
コーヒーを、誰にも邪魔されず、ゆっくりと飲みたい。
それも、緑の見える風通しのいい場所で。
そりゃそうだよな。
毎日子どもの話声か、頭の中であれやらなきゃこれやらなきゃってずっと言ってくる声に追われる毎日。ぼーっとしたいのだ。つまり。
そして今、私は久しぶりに完全な1人時間をいただいてこれを書いている。
カフェで、ロイヤルミルクティのLサイズでおなかいっぱいになりながら。
だけど。
やっぱり頭の中ではあれやらなきゃこれやらなきゃなのである。なんともったいない。これじゃ休まらないわけだ。
とどのつまり、私は自由があろうがあるまいが、常になんかしてたい人間なのだ。
その「なんかしてたい」の中身が重要なのだ。
今の私は、「やりたくない、やらなくちゃいけない」ことばっかりで頭がいっぱいで、だから不自由だし苦しいのだ。
いまもMサイズのオムツを買って帰らないと、という考えが、この書き物を邪魔していく。やめて、邪魔しないで。
ビジョンボードのような暮らしをしている自分なら、「やりたい、やりたくてうずうずする、考えずにはいられない」ことで頭がいっぱいだろう。
(その「やりたいことってなんだろう?」.の深掘りはまた別で書くとして)
この両者の間に横たわる何者かが、私を「やらなくちゃいけない」ことばかりに引きずっていく。
その何者かとは、何なんだろうか?
一つはもう間違いなく、「母、嫁」という役割である。小さい頃から刷り込まれる、でももう今の時代的には完全に古くなったあれである。
私はもともと兄弟が下に3人おるのだが、この3人と一緒にジジババの家に行くと何故か私だけが片付けを手伝わされる。じいちゃんと父さんは酒を飲んでその辺に転がっているのに、ばあちゃんと母さんはずっと動き回っているのだ。
頭のどこかでおかしいおかしいと思い続けて、拗らせて弟をにくく思うくらいであったのに、やはり刷り込みとはすごいものである。
いつのまにか私も、そうせねばと、それができない私はダメなんだと思うようになった。
もうひとつ、これがたぶん私の中で絶妙に「母、嫁」とくっついて厄介なことになってるのが
「周りにいる人を楽しませたい」という思いなのだ。
純粋に、自分のできる得意なことで周りを幸せにする術のみを追い求めてこれれば、きっともう少し生きやすかったろうと思うのだ。
でもここに、「母、嫁としての役割をこなさなければ周りは幸せにできない」という謎の思い込みがくっついてきてしまった。
それはきっと、自分を育ててくれた、祖母や母へのリスペクトも込みで。
だけど、だけどね、私よ。
それを頑張って、いつもイライラしたり、落ち込んだり、元気がないのは、本末転倒なんだよ。そうなんだよ。
だから、やっぱり、今の私ができるスタートは、
自由時間に頭をよぎる「やらなきゃ」を一旦脇に置いといて。決めた分の時間は、全力でやりたいことだけをあれこれ考えたり、やったりすることなんだと思うのだ。
ふぅ。
時間いっぱいです。どうにかここまで書くことができた。
旦那氏、子供たち、私がただの私であれる時間をありがとう。おかげですこし、自分を表現することができました。
さて、オムツ買って帰ろかな。
今日も、子育てするすべてのお父さんお母さんにお疲れ様を。あなたもただのあなたでいられる時間を大切にできますように。
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