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「問い」の瞬間こそが「創造」


「独立国家のつくりかた」(坂口恭平 講談社現代新書)

2012年5月刊。すでに10年以上前の本だけど、色あせない。ブログにも何度も書いているけどもあらためて読み直し。

この本で「学校社会」と「放課後社会」というコンセプトに感銘を受けて、
松陰神社の絵馬に書いたのは10年前でした。
「無数の放課後社会をつくる」これがツルハシブックス3年目のテーマでした。

さて、本日はアイデンティティのつくりかたシリーズのつづきです。

本書の第4章「創造の方法論、あるいは人間機械論P160より
~~~
あなたが「やりたいこと」など、社会には必要ない。今すぐ帰って家でやれ。

やりたいことを無視して、自分がやらないと誰がやる、ということをやらないといけない。しかも、それはすべての人が持っているものだ。絶対に。なぜなら人間は考える葦と言うじゃないか。考えているのだ。自分の得意なこととかやりたいこととかはどうでもよくて、ただ考えている。それを口に出す。

好きでやっているとか、そんな動機じゃない。もっと切実な動機でやっている。こんな大人たちに任せてしまってはたいへんなことになると思った。使命といっては大げさかもしれないけれど、これは自分がやらなければならないと心に決めたのだ。

大事なことは、何かに疑問を持ったかということだ。それがあれば生きのびられる。

今まで生きてきて、一度も疑問を持ったことがなければ、今すぐ企業に走った方がいい。誰かに指示されて生きていこう。

でも、何か「疑問」をもったらチャンスだ。そこから「問い」にまで持っていこう。

「疑問」を問いにする。この過程を僕は完全に独自な「創造」と呼んでいる。綺麗な色の絵とか、美しい旋律とか、創造というのはそんなものではない。あなたがこの世界のどこをおかしいと思えたかである。

まず僕たちは生きているわけだ。この社会で。この都市で。たくさんの人が生きている。同じシステムで動いている。そこは単一レイヤーのように見える。そして、問題がないように思える。平和のように思える。でもそれは平和なシステムではない。誰かを無視している。誰か困っている一が絶対にいる。それを見ていたら疲れるから、ヒエラルキーをつくって、一つのシステムをつくり出す。でもそれはあなたのシステムではないので、当然ながらちょっと居心地が悪い。そしてちょっとだけ大変。でも、楽なものだ。

すべての人の無意識が構築したもの、それが匿名化したシステムである。

無意識というものは本当に何も考えないで厄介なものだから「疑問」を持つ。なんだ、これ?と思う。そうするとしめたもの。そこに気づいたら、次に無意識ではなく意識で生活している人を見つけないといけない。

それが隅田川の0円ソーラーハウスの住人だったわけだ。

彼は徹底して疑問を持ち、意識を持ち、自分のシステムで生活をつくり上げていた。僕の言葉でいえば、「新しい経済」をつくっていた。そして、僕は彼から学んだ。

すると漠然とした「疑問」から、「どんな住生活というものが意識生活と言えるのか」「いかなる建築が意識を持った自律した建築と言えるのか」というもっと具体的な「問い」が生まれた。そこから僕の活動は始まった。僕はその体験を踏まえてつくった本を「創造」とは思わなかった。「問い」の瞬間こそが「創造」だと思った。

そうやって、まわりの景色を見てほしい。楽になるどころか、もっと緊張して、冷や汗をかいて、泣きたくなって、死にそうになって、おびえて隠れてしまいそうになるから。それはとっても孤独だ。でも、そんな時に会える人間がいる。物事がある。それがあなたの使命を見つけるヒントになる。恐れたままでいいから、近づいて手で触れたり、直接声をかけてみよう。
~~~ここまで引用

「好奇心」が大切だと人は言う。その「好奇心」生まれもったものではなく、育むことができると、広島で読書会を主宰する友人と対話していて思った。
「疑問を持つ」「面白がる」この2つを意識的にやっていけば、好奇心は育むことができる、と。

http://hero.niiblo.jp/e491176.html
参考:探究の森の子どもたち(20.11.8)

「疑問」を持つこと。
「疑問」を「問い」にすること。
そのためにアクションすること。
問いを得てまたアクションすること。

「使命」という言葉は「問い」とセットで語られるものだと思った。
そしてそれは壮大なる「勘違い」なのだなあと。

高校生、大学生が放つ「やりたいことがわからない」という言葉は、本質的には自分の意志や目指すべき到達点を知りたいだけではなく、自らの使命、つまり「自分は何に人生を賭けるべきか」という問いを知りたいのではないのか。

そうであるとすれば、
・自分の好きやベクトルを知ること、
・なりたいロールモデルや、10年後の姿をイメージする
・目標を達成するためのPDCA的なスキル
というキャリアデザイン的なアプローチだけではなく、

・世の中に疑問を持つ
・そのための体験と振り返り
・疑問を問いに変えるメタ認知および言語化能力
というキャリアドリフト(探究)的なアプローチがもっと大切なのではないか。

そして「疑問」が「問い」に変わる瞬間にこそ「創造」があるという坂口さんの論は、まさにアイデンティティの問題のひとつの解決方法を示している。

ふりかえると、僕自身もツルハシブックスにやってくる大学生が「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」という悩みを、生きる死ぬレベルの深刻さで語っていたことに疑問を持ったのが始まりだった。

そこからキャリア教育文脈ではクランボルツ先生の計画された偶発性理論や、哲学文脈では、國分功一郎「中動態の世界」やスピノザ「エチカ」の解説、社会学文脈では、三浦展「第四の消費」、歴史文脈では佐々木俊尚「レイヤー化する世界」など、「やりたいことがわからない」の正体を探る読書の旅と、大学生や20代と対話するフィールドワークを行ったと言えるだろう。

そもそも「やりたいことは何か?」という問い自体が間違っているのではないか?

そんな風に思ったのは、坂口さんのこの1冊が始まりだったような気がする。

疑問を持ち、行動し、それを「問い」にする瞬間。さらに行動し、次なる「問い」が生まれる瞬間。人は「学んでいる」、いや「生きている」と実感できるのではないだろうか。

そして、その瞬間にこそ「使命」という壮大なる勘違いとアイデンティティが構築されていくと僕は思っている。

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