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ハンドメイド作家さんと、客としての、わたし 〜例え作品を買わずとも、あなたの創作が、好き!と言いたくて言えなくて〜

ふと思った。ハンドメイド変態ことわたし、ツルカワは、今の今まで、いったい何人の作家さんと出会って来たんだろう、と。

手にしている作品の数だけでも、作品を手にしなくとも、それ相応の出会いがあった筈だから、家に飾られた作品を数えるだけではわからない。

特にブログ「きらめくあなたが、好きだから。」をはじめてから数年は狂ったように日々ハンドメイドイベントやハンドメイドショップ、手づくり市を巡る「修行」をしていたから、相当数に上る筈だ。

それからグループ展企画業を立ち上げ【Plum Tree】で交差した作家さん、さらには雑誌の取材や、今やってるギャラリーの出展者さん、そのお客さんの中にも作家さんは沢山いるから…とにかく膨大な人数なのは間違いない。

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実際、わたしの手元には数百枚の名刺やショップカードが残る。記憶力の悪いわたしにしては、その一枚一枚はから、かなりの確率でおおよそどんな作家さんだったか思い出せるが、すっかり記憶から抜け落ちてしまった方も申し訳ないことながらいる。

さらには、そのとき深い付き合いがあっても、連絡が取れなくなってしまった方、離れてしまった方、作家活動をやめた方、亡くなった方…、がいるわけである。そうするととにかく数え切れない数の作家さんと、関わってきたのだなと、感謝とちょっと戸惑いの気持ちが胸にこみ上げる。

が、なぜ、戸惑い、があるがといえば、自分の作家さんとのひとりひとりとの付き合いが、深いものでなく、浅く広く、に年を経ることになっていっていることをボンヤリ考えてしまうからだ。

顔を合わせれば話すだけでも、わーっ!うれしいね!元気、って方もいれば、なんとなくSNSでもフォローを外してしまったり、外されてしまったり、あとなんとなくの要因で、付き合いが途切れてしまったり、お会いしても話しかけるのに躊躇してしまう方もいる。

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ことに、後者のパターンでわたしが気になってしまうのは、作品をあまりその方から買わなくなったり、イベントのお知らせ頂いても顔を出せなくて、疎遠になってしまった作家さんだ。

なんか、悪いなぁ…作品を買いもしないのに…。そう勝手に自分で思い込んでしまって、なんとなく勝手に気まずくなってしまって、疎遠になってしまった作家さんが、たしかにいくらか、いるのだ。

作家さんという存在を、わたしは大概その感性から惚れ込んでしまうから、特殊な例を除き、気分を害して離れることはない。寧ろもっといろいろな話をしたい。けど、イベント時など、顔を合わせても、どうしても作品を買えないことはある。それはその人の作品がどうの、というより、その作家さんのコレクションにその時点で満足さているので、義理で買いたくはない、とか、純粋にお金がないとか、そういう事情だ。

そういうとき、わたしは勝手ながら、しばし、罪悪感を抱いてしまう。「買わないのに、悪いな」。そう思ってそっと話しかけないでその場を離れるうちに、疎遠になってしまうパターン。その活動を応援はしてるのに。

それがわたしは我ながらいちばん、悔やみたくなるパターンだ。
そしてそれがわたしの作家さんとの付き合いを「浅く狭く」してしまっていることを自分で知っている。

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たしかに「もうあまり買ってくれないから、イベントにも来てくれないから、ツルカワさんにとって私はもういいのかと思った」とごくごく少数の作家さんに、言われたことはある。

でも、そういう作家さんばかりでない、いや、寧ろそういう人の方が少ないと思う。

「ツルカワさん、そんなに気を遣わないで、気楽に付き合ってよ」と言ってくれる作家がほとんどだと思う。でもそうじやなかったら…という恐れが結局は、その人との関係をいつしか遠いものにしてしまう。

結局、作家さんとその客、という付き合いであっても、その人と人が、お互い、どこまで気を許せるか、緊張せず「買わねばならない」と構えず付き合えるか、の問題なのかもしれない。

ハンドメイド作品を売り買いするのは、店である場合もあるけど、わたしの場合、圧倒的に個人対個人のことが多い。だからあれこれ、気にかかる。

だけど、そろそろ「浅く狭く」の付き合いが拡がりつつあることは、なんとかせねば、と思う次第である。「広く深く」とはいかなくとも、さらには「狭く深く」ともいかなくとも、自分にとって心地よいと思える深さと広さの付き合いを得たい。それは自分に、いかに、無理なく、という呪文をかけていかねばならないということなんだけど。

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いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。