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結婚と離婚と起業

最初に書いておきます。
めっちゃ酔ってます。
じゃないと書けないんですよ。
この題目については。笑
誤字脱字、構成がいつもよりさらにひどいと思います。
酔いが覚めても見直す気にすらなれません。笑
では、どうそ!

僕は結婚を早くしたかった。

若い時遊んでた割には、幸せな家庭生活に対する憧れが凄くあり、早く結婚して子供作って幸せな家庭生活を築くぞ!
とハタチぐらいから思っていました。
綺麗な嫁がいて、可愛い子供達がいて仕事を頑張ってして嫁が家を守ってくれる。
当たり前の日常が当たり前のようにあり、それが稼ぎに繋がる原動力になる。
そんな時代が僕にとってのあたりまえでしたし、好きでした。
そう言った意味では古臭い男だと思います。
いまもそれが通用するとは思いませんし、それがスタンダードでないこともわかっています。が僕の価値観はそうでした。

23歳で結婚して31歳で終焉を迎えましたがその中で学んだ、経験した事を書きます。

女性の結婚後の幸せは男性で決まるかもしれない。しかしそれは男も同じ。男性の幸せも女性で決まる。

細かい事、結婚生活に何があったか?
ンなことはどうでも良くて、夫婦で起きたことについて細かいことは書く気がしません。
ただ、これだけは書きたい。
それぞれが、尊敬し合い、理解し合い、謙遜して生活する。
我慢をお互い我慢と思わない。
もっと言うとお互いについて我慢することすらない。

それが夫婦の理想像かと思います。

まぁ、相性の問題と一言で片付けてしまえば良いのかもしれませんが僕が結婚生活を送った上で感じた夫婦感です。

誓約と制約ですよ。ハンタ的に言うと。笑
制約を制約と感じないぐらい価値観が合っていると最高ですね。

理想論かもしれませんがそうありたい。

また、それにより夫婦の幸福度は違う気がします。
夫婦間については人それぞれ。夫婦それぞれ。
ただ、言えるのはお互い次第。
と言うことです。
あっているかはわかりませんが。笑

結婚は家系と家系の繋がり。それだけに親を悲しませるな。

僕は出来ませんでした。
僕で言うと、母を心配させること。
高校生や20歳ぐらいまでの僕は母に心配を散々させてきたのでもうこれ以上させたくなかった。

結婚式も挙げて、僕は結婚時東京にいましたが嫁の実家が札幌のため札幌に移住することとしました。

根無し草でもあったので。

それもあり札幌で起業することになったのですが、結婚後の僕は特に母に心配をかけさせたくありませんでした。
電話が来ても「うん。大丈夫。上手くやっているよ。」しか言えない男でした。
母を悲しませたくなかった一心で。

それだけに悔しかった。がたくさん学んだ。

色々とありましたが、離婚を決意させたのも母でした。

久しく会っていない母が札幌に来た際、僕が母から言われた言葉があります。

「あんたね、離婚した方が良いよ。」

もうね、堰を切ったように泣きました。
号泣ですよ。
母の前で泣いたことなんでずっとなかったのに。
全てわかっている。
母はそんな素振りでした。

今まで頑張ってきたこと。やってきたこと。全てダメでした。

嫁の親の近くに家も建てたし、サラリーマンでしたが稼ぎも悪くなかったはずだし。
細かいことは書きませんが、僕なりには超絶頑張ってきたつもりでした。
が、ダメなものはダメなんです。

母にも、兄弟にもめちゃくちゃ迷惑かけてきましたがこれが1番の迷惑だっただろうなぁ。と今でも思ってます。

結婚には失敗できない。
家系と家系の繋がりだし何より母を悲しませたくない。
それだけに自分の力不足を感じました。

そして、もともと嫁からずっと離婚したい。と言われていた僕は決心しました。
離婚しよう。と。

それだけに「離婚しよう。」と思ってからの展開は早かったです。

いろいろあり、起業して離婚しましたが僕の起業するタイミングは離婚が原因でした。

起業するにしてもタイミングがあり、僕の場合は離婚を決意したことにより、下準備してきた起業とつながりました。

全てやり直そう

そう誓ったのが31歳の秋でした。

会社も退職して四畳半の物置。
そこが我が社のスタートでした。


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